ときおり雪。
寒い一日であった。
九州山脈は真っ白。
脊山は?
午前中は雪が舞っていた。


明日は、今冬一番の冷え込みになるらしい。
水道管が気にかかる。
少し水を出しておかなければ。

山頭火の句から。

生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり(修証義)


生死の中の雪ふりしきる

この句について山頭火のよき理解者であり、友人でもあった大山澄太が

この句には「生(しよう)明らめ死を明らむるは仏家一大事の
因縁なりしという前書きがしてある。芭蕉以後俳人は多い、いま
では何十万という人が俳句をつくっておりますが、「修証義』の
最初のことばを自分の俳句の前書きにした俳人は、かつて日本に
いない。これは、山頭火の特色だと思うのです。大げさにいえば、
山頭火は『草木塔』という一冊の句集を残して死んだのでありま
すが、「草木格』全体の前書きがこの『修証義』の
「生を明らめ死を明らむるのは仏家一大事の因縁なり」
だと私は思うのであります。(中略)
そこで山頭火や私らの経験を通じて、お話を進めたいのである
ます。一日にいえば、生死ということは、煩悩、生きる人間の苦
悩です。人はみんな未解決のトラブルを持っています。それを明
らかにする。それをごまかさないで、はっきりと自分の煩悩の正
体をひつつかまえて、牛.死のない問界へ山ていく。禅師の申され
る「生死の中にも仏あれば生死なし」その仏を悩みの中に自覚す
るのが、禅なのです。山頭火は歩くこともまた禅、俳句すること
もまた禅でありました。
「生死の中の雪ふりしきる」捨てても捨てても煩悩が出てくる、
その自分のからだ、この自分のきたない汚れた心にはらはらと音
を立てて真っ白い雪がふってくる、ただそれだけのことなのであ
ります。雪がふりしきってくる、その中を歩き続ける、煩悩はそ
のまま未解決であります。(以下略)付


この句が人を引きつける意味がこの解説でよくわかる。
# by shin0710s | 2012-02-02 20:15 | | Trackback | Comments(0)
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