修正会をつとめる。

毎年のことであるが、元旦は心新たな気持ちとなる。
浄土真宗の元旦はどのようなものであろうか。

修正会とは、正月元旦につとめられる法会で、一般には正月に修する法会という意味である。
浄土真宗においては、一年の計は元旦にあり、と言い習わすことから、
一年の始まりに当たり「念仏を正しく身に修める法会」とされているらしい。
ところで、煩悩に正月休みなし。私たちは毎日毎日煩悩いっぱいで生きているのであるが、
これをなくすことはできない。
煩悩は、なくすことはできないが、気づくことが大切なのであろう。
煩悩いっぱいで生きておりながら、煩悩に気づいていないからどうしょうもない
不安や苦しみをかか抱え込んでしまうのである。
深い思考を通して煩悩解放を完成された阿弥陀仏は、南無阿弥陀仏となってこの私に届き、
わが心のあ在り様が知られたとき、自然に頭が下がり、すがすがしい心の夜明けが訪れる。
蓮如上人は、「あらたまの年のはじめは祝うとも 南無阿弥陀仏のこころわするな」とよ詠まれ、
念仏あってこそ新年が本当の新年になるのだ、と教えられるのである。


正法寺の修正会は、午前9時よりつとめる。
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今年は、弟の住職、新発意、従妹それに私で色衣、五条袈裟で出仕。
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正信偈の行譜でお勤めをする。
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そして法話。法話にはならないが、今年は私がつとめる。
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小学校低学年時代の正法寺の修正会の様子を思い出す。
午前7時、すべての戸や障子を開ききり、お勤めをする。
とにかく寒かった。
それが終わると、村外れにあったお墓へ。
正法寺の墓地でのお勤め。

寺に帰り、父の元旦の訓話。
そしてお屠蘇をいただく。
ここまでが寺の修正会であった。

ここからやっと暖かな部屋で正月の料理をいただく。
お屠蘇で顔を真っ赤にして雑煮を食べる。
60年近く昔のことである。

最後は、みんなで記念撮影。
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by shin0710s | 2015-01-01 14:43 | | Trackback

ダックス4匹の愛犬と猫1匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


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