2017年 09月 30日
大宰府へ。
平城京、平安京に次ぐ、外国との交渉の窓口となる役所(大宰府)の跡
7世紀後半、大和朝廷は那の津の官家(みやけ)をここに移し、奈良・平安時代を通して、九州を治め、
我が国の西の守り(防衛)、外国との交渉の窓口となる役所(大宰府)とした。
その規模は平城京、平安京に次ぐ大きなものであり、南北22条、東西24坊の都市計画があったという学説がある。
万葉集には"遠の朝廷(みかど)"と詠まれ、その規模をしのばせる立派な礎石が残 り、
そこを中心に門や回廊、周辺の役所跡等が整備されて、現在は公園となっている。
公園に柿の木が一本。
熟した柿がおいしそうである。