心を通わす授業を。

梅雨入りして晴れや雨の日の変化が大きい。
今日は、湿度が高く風も強い。

「三年とうげ」の研究授業である。
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授業をする先生も真剣であるし、
子ども達もそれに負けないくらい一生懸命考える。
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「あるところに、三年とうげとよばれるとうげがありました」
の書き出しでこの物語は始まる。
民話の持つリズムやテンポの良さがよく表れている。

三年とうげで 転ぶでない。
三年とうげで 転んだならば、
三年きりしか 生きられぬ。
長生きしたけりゃ、
転ぶでないぞ。
三年とうげで 転んだならば、
長生きしたくも 生きられぬ


とリズムに乗った文が出てきて、一気に物語の世界にはいる。
この三年とうげは、言い伝えを信じるあまり、病気になってしまったおじいさんが、少年の一言で考え方が変わり、元気を取り戻していく発想の転換が面白い作品である。

今回の授業は、文に即して想像を広げ、それを音読に生かしていく。
そして更に、友達の読み取りを聞き合いながら想像を深めていくことである。

ここに、子ども達が心を通わせる場面が出てくる。
子ども達の読みは、その子の生活背景がある。
また、一人の子どもがそれまでに生きてきた姿が出てくる。
それをこの物語を通して心の交流が生まれてくる。
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授業が進むなかで子ども達が読み取ったことを発表する。
少し小さな声で聞き取りにくい場面があった。
「聞こえなかったので、もう一度言ってください」
との声がした。
うれしかった。
心の交流とは、相手の気持ちを慮らっていくところから生まれる。
多くの学校で、聞いたのは、「聞こえません」そして「聞こえません」
叱責にも似た鋭い言葉である。
その言葉は繋がりを作るより、繋がりを切る。
「聞こえなかったので、もう一度言ってください」、あるいは、「お願いします」
の言葉が行き交うなら、どんなにか潤いのある学級となるはずである。
あるほんの一節である。
「昨今、いろいろな形で人間関係が希薄になっていますが、その原因の一つは、おのおのが自分を誇示しようという思いが先に立ち、相手のことを見ようという気持ちがなくなっているからではないでしょうか」
納得する文章であった。
「聞こえませーん」
の言葉には、そう言うことによって自分を誇示する思いがないとは言えない。
子ども達に、美しい言葉を伝えたい。
「言葉を大切にする、美しい言葉が行き交う学校」
今それを本校ではめざしている。

今日はサクラですよ。
昨日はダックス組は散歩がなかった。
あわてて飛び出し、そこらあたりを走りまわる。
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「さあ、パパさん散歩行きましょう」
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「まだ行かないの?」
「庭であそぼーっと」
「コウメはどこなかな?」
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「サクラ、しゃきっとして」
「そうそう、その顔、その顔」
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by shin0710s | 2006-06-22 21:10 | Trackback

ダックス4匹の愛犬と猫1匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


by shin0710s