2006年 06月 27日
サクラ、書くことは考えることなんだよ・・・
さざ波だけが目に入る静かな世界である。
フェンスのツタが人目を避けるように
よじ登っている。
本日は3年生の対外的な研究会。
60人近い先生方が来校された。
「三年とうげ」の授業。
今日の授業でつけたい力は
○場面にあった音読を工夫する力
○友達との感じ方の違いに気づく力
を掲げての授業であった。
1時間の授業のなかで、音読が何度も入る。
そして自分の考えたこと思ったことをシートにまとめる。
「書く」活動が入る。
書くことは、授業のなかでなくてはならない活動である。
ところで私たちは、その時その時いろいろなことを学んでいる。
それを書いてみると、
いかに無整理、無秩序にものごとを学んでいるかということがわかる。
書くということは、自分を整理することである。
それは子ども達にとっても同じ。
書くということは、自分を確立することである。
書くということは、モヤモヤしたものに形を与えることである。
したがって、不確かなものを確かなものにしていくことである。
書いているうちに、学んだことを一つ一つ正しく自分の内面に位置づけたり、
足りないところを補ったりしている。
書くということは、経験が整理されることである。
したがって、経験が生きたものになり、意味を持ったものになる。
また書くということは、考えるということである。
したがって、自分の考えを築き上げていくことである。
書くということは、自分を客観化することである。したがって、自分を、自分にも人にも見えるようにしていくことである。
書くということは、自分を責めていくことだからつらいのはあたりまえ。
振り返ってみると、担任した子ども達には必ず日記を書かせた。
子どもは書きながら考える。
書きながら問題を見つけ、探求する。
実は、日記を書き始めて15年近くになる。
これもまた、半径7kmの世界でしかない。それでもペンを持って300文字から400文字の文章をつづる。読み返すことはほとんどない。それでも習慣として日記をつづっている。
殆どがパソコンで文章を作っているなか、日記だけは文字を書く。
そこにどんな意味があるか分からないが、未だに続いている。
そして、このブログも昨年8月より続いている。
授業は、楽しかった。子どもの顔がいい。
こんな子どもの顔がでる授業はあまりない。
担任は、授業内容に満足していないようであるが、
子ども達は十分に満足して帰ったに違いない。
6時過ぎに家に着く。
曇りの天気のため、薄暗くなっている。
サクラ、コウメとしばし遊ぶ。
サクラ、今日は何してた?
「部屋でコウメといました」
「遊んでいい?」
「うん、いいよ、道に出ないこと」
と言っても聞くわけもなく・・・
「サクラ、おいでー」
と叫ぶ羽目になる。
それでも涼しい顔をしている。