人吉へ、そして球磨、佛の里へ(2)

球磨地方は佛の里である。
どこと言って変わりないふつうの日本の風景である。
私の住むところとそれほど変わるものはない。
まず湯前町の城泉寺へ。
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小さな村の一角にこんもりとした杜がある。
そこにこのお寺はある。
茅葺きの屋根が周りの景色と重なり
違和感のない世界が広がる。。
お寺と言うよりお堂といった趣である。
無住であり、地域の方が大事に守って
おられるためであろうか。
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 城泉寺は、上球磨の豪族、久米氏の菩提寺として建てられたものですが、現在は阿弥陀堂だけが残されています。沙弥浄心(久米三郎真家)の創建なので、昔は浄心寺と呼ばれたいました。境内の十三重石塔、九重石塔、七重石塔は、鎌倉初期の造立であるのにもかかわらず、欠損摩減が少なく、国の重要文化財に指定されています。
 阿弥陀堂は、桁行(けたゆき)・梁間(はりま)ともに24尺3寸5分(約7.4m)、茅葺の小堂ですが、鎌倉期の手法が示された建物です。本尊の阿弥陀如来、脇侍の観音菩薩と勢至(せいし)菩薩も鎌倉初期の作で、本堂とともに国の重要文化財に指定されています。

http://washimo.web.infoseek.co.jp//Trip/HitoyoshiAmida/hitoyoshiamida.htm
数百年にわたってこのお寺が
美しいままで残っていることに感動を覚える。
この地方の方々の素朴な信仰心がこの姿となって
残っているのであろう。
どこから見ても調和のとれて姿である。
ひっそりとたたずむ城泉寺は
人の心の奥底にある優しさを示すものかもしれない。

湯前町まで足を伸ばす。
市房ダムがある。
ダムを囲んで桜並木が続く。
花の季節には人々が押し寄せる。
湖水から大噴水の水が勢いよく空中に飛ぶ。
そのしぶきが太陽の光を受け、
大きな虹が湖水に弧を描く。
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この湯前町から少し足を伸ばせば椎葉である。
冬になると湖水の先にそびえる市房山が雪に覆われる。
宮崎との県境の町である。

ここで引き返し、多良木町に向かう
青蓮寺阿弥陀堂である。
城泉寺と同じく茅葺きの屋根であるが
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青蓮寺阿弥陀堂は、鎌倉時代の永仁3年(1295年)、上相良三代頼宗が初代頼景公菩提のため創建したもの。広さ五間四面の茅葺で、軒高約4.48m、軒より棟までの高さ約7.58mの方形のプランを有する単層の木造大建築です。 青蓮寺阿弥陀堂内は内軒、外軒に別れ、柱は内外すべて丸柱です。四方に廻縁を有し、外観は一見極めてシンプルで素朴ですが、専(もっぱ)ら鎌倉時代の荘重、雄健の感をよく表現しています。
城泉寺と比べると、人の息吹が感じられる。
参拝される人の匂いがするような気がする。
信仰の道場としての寺である。
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人々の祈りが聞こえてきそうなのである。
城泉寺もすばらしい。しかし仏教遺跡として命を永らえている
かのようである。
それはきっと青蓮寺にお参りする人がそのまま
この阿弥陀堂へ参拝されるためであろう。

今回は3ヶ寺にお参りをすることができた。
まだ生善院観音堂(猫寺)を始め多くのお寺がある。
自分の目と耳と全身でその信仰の有り様を学びたい.

チュン、チマリなに取り合ってる?
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チュン、行くヨー
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by shin0710s | 2006-10-16 19:54 | Trackback

ダックス4匹の愛犬と猫1匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


by shin0710s