霜柱 ザクザク鳴らす 通学路

夜はストーブが欲しくなった。
こうして日々冬に向かっていく。

霜柱 ザクザク鳴らす 通学路
             みなみ

「草枕」国際俳句大会の入賞作品である。
本校の6年生。
冬の寒い朝、霜柱が真っ白になるくらいたっていた道路。
ザクザク鳴らしながら登校していた小学校時代を思い出す。
霜柱がニョキッと出ていた田んぼ。
霜柱を踏むときのあのギシギシというかザクザクというか
あの音は、体に染みこんでいる。
もうすっかり踏むこともなくなった霜柱である。

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           場所清正公の階段から

ときおり山沿いの道で眺めるのみ。
あの音、あの感触は
冬の寒い朝、体を丸めて登校していた昔日の思い出である。
登校班ではなかったが、ほぼ全員の小学生が一緒に登校していた。
それも男子女子と別れて。
当時は私の住む村は、本町では小さな集落ではあったが、
それでも小学生は35~17人ほどいた。
団塊の世代と言われる私の小学校4年生当時は
1000人を超える学校であった。

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              加藤神社にかかる黄色の葉

今、その母校は、219人。
実に五分の一に減少している。
過疎と少子化が児童数に表れている。
その子どもを取り巻く状況は一変している。

この俳句の世界に共感できる世代は多いに違いない。
自分の小学生時代と重ねることができるであろう。

しかし、この子も今では、バス通学である。
不審者対策である。かつて歩いていた距離は5kmちかく。
今はその道をバスで通学する。

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階段から加藤神社を眺める

誰もが教育に対しては、自分なりの考えを持ち
論議に加わることができる。
しかし、子どもを取り巻く環境は大人の受けた
小学校や中学校時代と比べると大きく変わっている。
その時代の教育観で今の「いじめ」等を論じるのは
無理であろう。

先日の講演会での話である。
たとえば、コンビニに行く。
店員が
「いらっしゃいませ」
と言葉をかける。
この言葉かけに何人の人が答えるであろうか。
品物を持ちレジに並ぶ。
黙って品物を渡す。
「ありがとうございました」
の声に黙って出て行くのが普通であろう。

コンビニがなかった時代であったら、
店に入れば言葉のやりとりがあった。
当たり前のことであった。
今は言葉のやりとりがないのが当たり前である。

と言うのである。
これはほんの一例に過ぎない。
小学生がビデオやデジカメ、パソコンなどには
圧倒的に知識を持っている。

こんな中でほとんどの先生が精一杯頑張っている。
「善人はニュースにならない」そうである。
学校のある部分が大きく報道され
顔を上げにくい状況が作られているような気がするが・・・。

「待ってーぼくも行くー」
ランが散歩についてくる。
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夕暮れを楽しむ。
「実家はいいなあ」と言っている?
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by shin0710s | 2006-11-17 19:40 | Trackback

ダックス4匹の愛犬と猫1匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


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