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白秋の黄昏

カテゴリ:遺跡( 76 )

晩免古墳へ。

宇城市にある晩免古墳へ出かける。
3号線バイパスから少し入ったところに晩免古墳はある。
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この古墳については、旧清和村の安徳天皇陵に行ったときに
もう一つの安徳天皇陵があることがわかり行ってみたいと思っていた。


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この晩免古墳の天皇陵については以下のブログに詳しく述べてある。

安徳天皇陵。安徳天皇は高倉天皇の第一皇子で母は平清盛の娘・建礼門院徳子。安徳天皇は平清盛の強引な後押しにより、生誕一ヶ月で皇太子に立てられ、翌々年にはわずか三歳で父・高倉天皇からの譲位により即位した。しかしながら、翌年清盛が死ぬと各地で平家追討の動きが出て、寿永2(1183)年7月の木曽義仲の入京に伴う、平家一門の都落ちに際しては三種の神器と共に奉じられ西国に脱出した。すると後白河上皇は後鳥羽天皇を即位させ、天皇が二人立つという異常事態となった。以後、安徳天皇は平家一門と共に西国を転々としたが、文治元(1185)年、源平合戦の最終決戦となった壇ノ浦の合戦で敗れた平家一門と運命を共にし、海中に没して亡くなったとされている。
しかしながら、『醍醐雑事記』に「先帝行方不明」とあり、『玉葉』でも「旧主御事、分明せず」とされていることなどから、実は安徳天皇は壇ノ浦から密かに脱出して生き延びたという伝説・伝承が西日本には平家落人伝説とともに各地に残されていて、全国には安徳天皇陵とされるものが十数ヶ所あると言われている。
この立岡に伝わる伝承によると、宇土を治めていた古保里越前守を頼って平家の残党が隠れ住み、安徳天皇の御霊を晩免の地に祀った、あるいは熊本県清和村(現山都町)に葬られた安徳天皇の墓をこの地に移したといわれている。


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この古墳は立岡古墳群の一つとして独立丘陵上に位置しており、直径30~35mの円墳である可能性が高いと考えられている。尚、明治16年にこの晩免古墳の近くに
ある潤野古墳の石棺が露出し、石蓋の裏に「吾人平資盛」との彫刻が見付かり、引き続き明治19年に行われた晩免古墳の調査で石棺の身の内面に菊花文があることが確認されたことなどから、地元に伝わる安徳天皇伝説を受け、宮内省(現宮内庁)より御陵墓伝説地(現陵墓参考地)に指定された。
ただし、潤野古墳の「吾人平資盛」の彫刻は書体から後世の偽刻である可能性が高いとされ、晩免古墳についても五世紀後半頃の築造であると考えられているという。
http://www5f.biglobe.ne.jp/syake-assi/newpage1032.html

by shin0710s | 2017-09-10 19:58 | 遺跡 | Trackback

文化財を守る

世持から乙女台地に沿って緑川の支流である錦郷川が熊本市城南町に流れている。
中山部落の西方から錦郷川下流に沿って横穴古墳群が数多く点在している。



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 横穴古墳は、古墳時代の後半から奈良時代(約1500年~1300年前)頃に見られた
墓の一つで崖に横穴を掘って作ってある。
内部はドーム状になっており、コの字形に区画した遺体安置所(屍体)がある。
墓内にはふつう2~3個の屍床が設けられている。
 古墳時代を代表する遺跡といえば塚原古墳群であるが、
この塚原古墳群の築造が終焉を迎える6世紀末に本町の横穴群へと墓制が変化していったと考えられる。
 中山古墳群は、5~6世紀のもので山裾に現在十数基点在し、内部は三床の祭壇式になっていまる。
もともと入口は閉塞石(ヘイソクセキ)とよばれる石でふさがれていたのだが今はその石はない。
 この麻生原から中山にかけての錦郷川に沿っての低地は、
古墳時代後期から終末期には生産力が高く多くの人が住んでいたと思われる。

 本町にはここ中山古墳群、そして船津東前古墳群、



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下豊内横穴古墳群がある。 緑川を挟む山々に残る横穴群や古墳をはじめ数多くの遺跡を守り、
後世に残していくことは我々の務めであろう。

by shin0710s | 2017-09-08 19:45 | 遺跡 | Trackback

中山横穴古墳群へ

世持から乙女大地に沿って緑川の支流である錦郷川が熊本市城南町に流れている。
中山部落の西方に錦郷川に沿って古墳群が点在している。


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横穴古墳は、古墳時代の後半からなら時代(約1500年~1300年前)頃に見られた墓の一つで
崖に横穴を掘って作ってある。
内部はドーム場になっておりコの字形に区画した遺体安置所(屍体)がある。
中山古墳群は、船津横穴古墳群と同じく5~6世紀のもので山裾に十数基点在し、
内部は三床の祭壇式になっている。

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もともと入口は閉塞石(ヘイソクセキ)とやばれる石でふさがれているが今はその石はない。



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本町にはここ中山古墳群、そして船津東前古墳群 下豊内横穴古墳群がある。

by shin0710s | 2017-08-29 20:30 | 遺跡 | Trackback

小川島の六地蔵

せっかく寒野に来たので小川島の六地蔵に向かう。
資料では知っていたが実際に見るのは初めてである。


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今まで4体の六地蔵を見てきたが、この小川島の六地蔵も
船津の六地蔵と同じようにずいぶん摩耗しており地蔵菩薩の輪郭もわかりにくい。



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何時の頃に立てられたのかもよくわからない。
元あった場所から耕地整理で今の場所になっているらしい。
甲佐町の六地蔵は、1700年代に建立されている。
この六地蔵もその頃であろうか。


眞(マーサ)のトレッキング記録。
(2008.6.8)
大矢岳へ。コウメと一緒に。

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by shin0710s | 2017-08-04 20:24 | 遺跡 | Trackback

寒野へ出かける。

東寒野に用件があり、久しぶりに緑川を反対側から眺める。
鵜の瀬堰が見える。

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アオサギが飛び立っている。


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鵜の瀬の由来については、
慶長13年(1608)に完成した、清正公の緑川治水工事の一つ。
堰の位置を、夢のお告げで鵜が教えたということから、この名が付いたと言われている。

道路の反対側には小さな祠がある。
お地蔵様が祭ってある。一体は確かにお地蔵様。もう一体は?
観音像のようでもあるが。

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マーサがいないと寂しいもの。
もう一度山に連れて行きたかったな。


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by shin0710s | 2017-08-03 19:46 | 遺跡 | Trackback

隣町の気にかかるもの

隣町に行くたびに気にかかるものがあった。
御船橋を渡るとき目に飛び込んでくる。


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屋根の上に何か置いてある?
何?
何のために?
自家用車からの眺めなのでゆっくり見ることができない。
そこで今日は確かめに。

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恐竜のようである。
でも何のために?案内板はあるのかな。

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御船町は恐竜の里なのでそのアピールかもしれない。
建物は民家ではなかったようだけど。


by shin0710s | 2017-07-27 19:33 | 遺跡 | Trackback

阿蘇草部吉見神社の日子八井命御陵

阿蘇は田植えの真っ最中。
田植えの終わった先にこんもりとした杜がある。草部吉見神社から300m程離れている。



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標高600m余り。
冬場は厳しい寒さだけど、これからの季節本当に気持ちのいい
所である。
銛の入り口に石碑がある。


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日子八井命御陵と記してある
陵墓参考地とは、伝承や出土品などにより一旦は宮内庁によって皇族の墳墓とされた上、
誰が埋葬されているかを特定できないもののことらしい。


日子八井命(ヒコヤイ)は、彦八井耳命・彦八井命・武国竜命・高知保神とも書かれますが、
「古事記」では、初代神武天皇の皇子で母は大物主神の女・伊須気余理比売命とし、
「日本書紀」の神八井耳命=神沼河耳命は同母弟とされます。

しかし、「日本書紀」
には日子八井命の名は無く、「新撰姓氏録」「阿蘇氏系図」
では神八井耳命の子となっています。

どうも、「日本書紀」は日子八井命=草部吉見神にふれたくないようですが、

草部吉見神社のミササギが現地では日子八井命のものとしていることは間違いがないことから

今のところは草壁吉見神社の主神は「日本書紀」で消され「古事記」で神武の子とするものと考えています。

     http://ameblo.jp/hiborogi-blog/


墓所とされる場所には3つの禁忌がある。

馬に乗ること▽汚物を焼くこと▽婚姻で他の村へ出る女人や、死人を通すこと-である。

http://www.sankei.com/west/news/160924/wst1609240002-n2.html

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陵墓の横に甲斐有雄の道しるべがある。地震で頭部が崩れたのだろうか。


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陵の周りには石碑がある。
2つの碑にも文字らしいものがあるが判読しがたい。


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この碑は、猿田彦さん。
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by shin0710s | 2017-05-19 11:54 | 遺跡 | Trackback

天草へ。

一気に春爛漫の気候。
天草本土へ。
まずは城山公園キリシタン墓地へ。
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桜が満開である。保育園の子どもたちであろう。
花見の最中。
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平和を祈るキリスト像の前には、島原・天草一揆前後の名もなき信者が静かに眠っています。
傍らには、我が国に初めて西洋医学を伝え、日本最初の総合病院や育児院を建て、
1566年には天草にキリスト教を伝え、
天草でその生涯を終えたポルトガル人宣教師ルイス・デ・アルメイダの像、
天草最初の殉教者アダム荒川の碑が立っています。http://www.t-island.jp/p/spot/detail/5
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子どもたちの声が聞こえてくる。
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遠足の 小学生徒 有頂天に 大手ふりふり
往来とほる

     木下利玄(きのしたりげん)
小学生ではないけれど、子どもたちの元気なあいさつが心地いい。
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by shin0710s | 2017-04-14 21:12 | 遺跡 | Trackback

散歩の楽しみは。

散歩の喜びは?
ワン公本来の姿を見ることができること。
全力で走る姿は美しい。
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山登りも好きである。どんどん登っていく。
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また歩くことで川の匂い、せせらぎの音の変化に気づく。季節の変化を体で感じることができる。
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そして思わぬ花に出会う。
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時には知らなかった遺跡を発見することがある。
遺跡かどうかわからないけれど。
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山の斜面に横穴がある。その中は?
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さて、この横穴は何だろう。何のために掘ってあるのだろう。
新たな楽しみとなる。
散歩の途中の船津には横穴古墳がある。
緑川を挟んで我が家の対岸にある。
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古墳時代の遺跡である。六世紀から七世紀の古墳である。
甲佐地区には古墳が多い。
乙女の麻生原中山の低地は、古墳時代後期から終末期には
生産力が高く多くの人が住んでいた。(新甲佐町史より)


by shin0710s | 2017-03-24 11:48 | 遺跡 | Trackback

赤ちゃんがいると…

ここ数日、赤ちゃんを撮る機会があった。
赤ちゃんのいるところ笑顔が波のように広がっていく。
語りかける言葉も柔らかく優しい。
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思わず触りたくなる柔らかな肌。
濁りのない瞳でまっすぐ見つめてくれる。
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お母さんの笑顔もすばらしい。
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我が子の時代はずいぶん昔のことだけどそれでも当時を思い起こし
赤ちゃんに語りかけている。
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可愛い女の子にも思わずカメラを向ける。
赤ちゃんや幼子に出会うと心が温かくなる。
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by shin0710s | 2016-10-24 21:48 | 遺跡 | Trackback

ビーグル1匹、ダックス6匹の愛犬と猫2匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。