カテゴリ:建物( 93 )

文化財の現状(2)

担当の乙女校区には、村の人々が大事に伝え保存してきたお宮や石碑等がある。
船津山口にある山上神社(山の神)を祭ってある。
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そして世持には、天神社や妙見社がある。
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妙見社の祭神は、タカミムスビの神。
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どんな神様かよくわからない。
また地震で崩れてしまっている地蔵堂もある。
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さて、地震の時我が家のワン公はどうしていたかな?
全員固まっていたように記憶するがどうだったかな。
ジャスミン、どうしていた?
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by shin0710s | 2017-03-02 20:18 | 建物 | Trackback

豊前街道南関御茶屋跡へ。

阿蘇内牧の的石の茶屋は、細川家の参勤交代時の茶店として有名である。
ところが、南関に御茶屋跡がある。
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細川家の参勤交代時の御茶屋である。
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屋根瓦には細川家の紋がある。
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確か阿蘇から大分に抜けていたと思っていた。そこで調べてみると、

細川家の参勤交代は、熊本藩主は豊後街道阿蘇大分経由)を通ることが通例であったが
元禄年間からは豊前街道も利用している。
元禄元年(1688)から文久3年(1863)までの参勤交代では豊前街道は参勤47回、帰国14回、
豊後街道は参勤27回、帰国63回が利用されている。
このように豊前街道は参勤に多く用いられ、帰国には圧倒的に豊後街道が用いられていた。
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南関御茶屋(御客屋)は、嘉永3年(1850)8月に起工して、嘉永5年(1852)正月頃に完成したもので、藩主が参勤交代する時や領内巡視の際に休憩、宿泊していたものです。古文書によると、それまでの御客屋(南関町公民館付近)が古く狭い上に間取りが悪く、藩主休泊の時に混雑するという理由で現在の地に建て替えが行われました。財源の一部には富講の売上金が充てられました。 建物は、南北に長い造りで、北から御居間、御次の間、三の間と配されており、屋根には細川家の九曜紋をあしらった鬼瓦や軒瓦が葺かれております。居間の正面から南関冨士とも言われる大間山が見えます。通常御茶屋と御客屋は別々に存在しておりますが、南関の場合はひとつの建物を御茶屋とも御客屋とも呼んでいたようです。(豊前街道を行く)より

今、御茶屋では、雛飾りがされている。
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寄付をしていただいたので、この雛祭りの時期に飾るそうである。
柳川、八女に近いので、「ぼんぼり」や「箱びな」が飾られにぎやかである。




by shin0710s | 2017-02-26 22:44 | 建物 | Trackback

手取教会へ。

学生時代から気になる建物があった。
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カソリック手取教会である。

今日は、晴天久しぶりに熊本市の鶴やホールに出かける。
デッサンの作品展である。
ところで鶴やから見える建物がある。
それがこの手取天主堂である。昭和3年にできている。
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建築家は鉄川与助の最初のコンクリート造りである。
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八角形のドームで小さい天主堂で、内部は広く高くて花柄をあしらった内部装飾が美しい。
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内部の写真は借用したものである。
一度中に入りその装飾を見てみたい。

by shin0710s | 2017-02-02 21:27 | 建物 | Trackback

四方仏を訪ねて

暖かい日射し。
ちょこっと今日も外へ。
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さて今日はどこに?
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上豊内へ。気にかかっていた五輪の塔である。
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五輪塔は下から四角(六面体)・丸(球)・三角(四角錐または三角錐)・半丸(半球)・上の尖った丸(宝珠型)
または尖っていない団子型(団形)を積み上げた形に作られる。
地輪は黄、水輪は白、火輪は赤、風輪は黒、そして空輪は全ての色を含む。
製作された時代・時期、用途よって形態が変化するのが特徴である。

だそうである。五輪の塔と並んで四方仏がある。
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四方仏とは、
仏教では四方仏といって、東西南北の仏国土(仏の国)にそれぞれ一人づつ如来がいると考えられている。
西:阿弥陀如来  南:釈迦如来 北:弥勒仏 東:阿閦如来(薬師如来)
らしいけど自信はない。
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今でこそこの地域は農村そのものの風景であるが、
甲佐町史には、「豊内地区は「忘れられた城下町」か」,と記されている。
地名として法念寺,本丸、味噌倉等の地名が伝えられている。
この地域から大正時代の森林鉄道工事に際して
おびただしい五輪塔等の石像物が発見されている。
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なかなか興味深い四方仏であり五輪塔である。

by shin0710s | 2017-01-31 22:39 | 建物 | Trackback

塚原古墳公園へ。

晴天。
暖かな陽射しに今日も誘われ「マーサ」をつれて
塚原古墳公園に出かける。
久しぶりのマーサである。
阿蘇の高岳、俵山、久住山等の山に登ったマーサであるが、
交通事故に遭って以来すっかり年老いてしまっている。
今日はどうかな?
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気持ちよさそうに歩く。
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塚原古墳公園は、国指定史跡「塚原古墳群」を中心に整備された公園で、
歴史民俗資料館も併設されている。
国指定史跡であるこの古墳群には、約500基にものぼる前方後円墳や方形周溝墓、円墳がある。

花見塚古墳は前方後円墳。
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登ると全体を見回すことができる。
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遠く甲佐岳が見える。
マーサは元気である。円墳の頂上まで登ることができた。
まだ大丈夫。
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by shin0710s | 2017-01-26 21:36 | 建物 | Trackback

記念碑

昨年松ノ本共同墓地に出かけたとき
気にかかる記念碑が二基あった。
今日は天気がいいので改めて出かける。
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音頭司 松本新兵衛之
と彫られている。
そして背面には明治三十年と。
寄進者の名前もある。
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地域の長老の話によると、この方は熊本城石垣を作るときの頭領だったらしい。
そしてその遺徳を偲んで明治時代に建立されたと。
本町の人だけではなく近くの町の人名もある。
もう少し詳しく調べてみたい。

その横に名号を彫った碑がある。
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共同墓地にしたとき、古そうな碑だったので
そのまま残したそうである。
詳しく読み取れない。
拓本をとるしかないのかもしれない。

チョコマミーをしばらく遊ばせる。
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by shin0710s | 2017-01-06 17:32 | 建物 | Trackback

小さな小さな村の美術館

11月から始まったお取り越。
休日を中心にして今日が七日目。
本日は、近くの村の御門徒宅へ。

龍野小学校の近くにある小さな美術館へ。
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民家をそのままにして、親子二代の作品を展示してある。
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本田景風先生は明治23年3月3日生まれ。鬼籍に入られたのは、昭和46年。84歳。
明治40年から龍野小学校、甲佐小学校で教鞭を16年執られ、一念発起し日本画の道入られている。
京都の日本画の巨匠「水田竹圃」先生の門下に入り、南画の研鑽を積まれている。
大正12年の関東大震災の年に帰熊され、以後熊本市で星友会を結成。南画の指導者として県下広く
活躍され多くの作品を残されている。
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龍野小学校のある場所を凌雲台と呼ばれているが、景風先生は「凌雲の丘」の作詞をされている。
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また本田建二郎先生は、熊本城を題材にした油絵で日展に何度も入選されている。
お二人の作品が数多くあり、十分整理されていないものの作品のすばらしさに目を奪われる。
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ただ、今回の地震で家屋も含め作品等に痛みが出てきているとのこと。
町内のみならず多くの方が見学できるような日が来て欲しいと思う。

by shin0710s | 2016-11-20 20:40 | 建物 | Trackback

古い駅舎

57号線を住吉から少し下ると
三角線の網田駅がある。
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相対式ホーム2面2線を有する駅である。
木造の駅舎本屋は熊本県内最古の駅舎であり、国の登録有形文化財に登録されている。
せっかくの機会なので丁寧に見て回る。
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駅舎内は大正、昭和の名残がある。
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小さな駅であり、乗降客もほとんどない。
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でも何とも落ち着く。
昭和39年まで甲佐町も鉄道が通っていた。
熊延鉄道である。
網田駅のような姿であった。

しばらく待っていたが列車のくる気配はない。
特急A列車で行こうがくるかもと思っていたのだが、残念である。
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by shin0710s | 2016-11-03 22:19 | 建物 | Trackback

灯台もと暗し

住吉神社の横に白亜の灯台がある。
住吉灯台である。高さ17m。
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江戸時代の1724年より高灯籠があり、胡麻油で灯りを灯していた。
廃藩置県により胡麻油の支給が途絶え、明治初期には石積の破損のため取り壊された。
その後、1933年(昭和8年)にコンクリート造の灯台が建設された


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この灯台に来たのは、高校生の頃?
海から離れた田舎に住んでいた私にとって灯台は大きな驚きであった。
「これが灯台か」と。
ことわざの「灯台もと暗し」の意味を覚えたのがこの頃であった。
ただ、その意味は
「灯台がない頃は、暗かった。しかし灯台ができたので明るくなった。」
との理解であった。灯台は周りを明るくする。だから灯台がなかった頃は、辺りは暗かった。
結構その理解で文章の筋をたどることができていた。
何とも恥ずかしい話である。

灯台を見ると、その誤った理解のことを思い出す。
遠い昔のことである。
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干潟では潮干狩り?
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もう退屈したよ、先に行こうよ。
ジャスミンが訴えている。
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by shin0710s | 2016-11-01 15:42 | 建物 | Trackback

三角西港へ。

三角西港には洋館がある。
ジャスミンと一緒に戸馳から向かう。
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洋館を見るとなんかうれしくなる。
その装飾のおもしろさや二階のテラスが楽しい。
振り返れば小学校時代の校舎は、木造二階建であった。
玄関の装飾が記憶に残っている。
また玄関から入ると右手に重厚な校長室。
そして校長室前の廊下から二階の行動に至る
階段は手すりに装飾が施され黒光りがしていた。
小学校の校舎は、洋館もどき?だったのだろうか。

さてジャスミンこれで宇土半島一周はおしまい。
帰ろうかな。
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by shin0710s | 2016-10-08 21:31 | 建物 | Trackback