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白秋の黄昏

カテゴリ:読書( 11 )

8月15日。

8月15日。終戦記念日である。
本日の朝日新聞に「林尹夫」の名前が出ていた。


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学生時代、もう半世紀ほど昔のことである。
真継伸彦の「青春の遺書」の中で彼の名前が出ている。
「林尹夫」「高野悦子」「浮谷東次郎」「福本まり子」そして「有田倶子」


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昭和48年発行の本である。
その中で
戦時下の青春と現代の青春〈林尹夫〉
として記されている。この本を書きたいと思ったのは
「昨年2月に起きた連合赤軍の「浅間山荘」事件、直後に暴露された彼らの恐るべき死刑、続いて5月末に起きたテルアビブ空港の乱射事件などが代表であるが、これらの衝撃的な事件が起こるたびに、青年たちの行動のわからなさが、繰り返し問題になった…思い出すたびに慄然とするこのわからなさに、一筋の照明を当てようとしたのである。」
とこの本の趣旨を述べている。
この本に導かれて四人のことを述べた本を読むことになった。

今日の朝日新聞には、

京都大生から学徒出陣で海軍航空隊員となり、戦死した林尹夫(ただお)さん(享年23)の
遺稿集「わがいのち月明(げつめい)に燃ゆ」。
この一節をはじめ、最期の叫びを集めた「やすくにの遺書」という冊子が今春、
靖国神社や在外公館などで配られ始めた。英訳もついている。
「靖国神社に祀(まつ)られているのは、赤紙一枚でひどい戦争に参加させられた人がほとんど。
本当の姿を読み取ってほしい」。まとめたのは言論誌「月刊日本」の南丘喜八郎さん(71)。

との記事が出ている。
1972年発行の「わがいのち月明に燃ゆ」を改めて読んでいる。
当時の私には同じ年代でありながらも難解な表現に戸惑っていたことを思い出す。


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前半は、戦争という特殊な状況の中で文学に没頭し、人生感、死生観、
人付き合いといったことに悩む面が強調されている。
後半は、実際に軍人となって、日本の敗戦を予感しながら、自分のあり方を問いつつ
苦悶苦闘している姿が行間から読み取れる。

終戦記念日の今日、「林尹夫」の提起する問題にどう答えていくのか。
少なくとも古稀を迎える私たち団塊の世代は何らかの答えを示さなければならないように思う。







by shin0710s | 2017-08-15 17:23 | 読書 | Trackback

「からくりからくさ」を読む。

梨木香歩の作品である。
「西の魔女が死んだ」そして「りかさん」と読み進めている。
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この「からくるからくさ」は「りかさん」に続く作品である。
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ある人は、
大人向けのファンタジー。出てくる日本語や登場人物達の手仕事、染色や機織り、
キリムといった手間をかけた丁寧な時間が折り重なって不思議な空間にすっと引き込まれる。
りかさんと共に作品を完成させるまでの道のりには、手仕事の世界の壮絶さを感じるのだけど、
軽やかで優しい世界で後味も悪くない。いい本。

との感想を述べている。

「西の魔女が死んだ」そして「りかさん」さらにはこの「からくりからくさ」の作品から
梨木香歩の「いのち」についての思いが作品の底辺に流れている。

「これは、私の手です」「これは私の足、私の目、耳…そして私の頭…」
「私の脳…私の心…」
と問うていくとその「私」とは?との問いが残る。
この「からくりからくさ」で

かって祖母は、体は命の「お旅所」だと言った。神社のお祭りの時、神様の御霊を御神輿に乗せる。
命は旅している。私たちの体は、たまたま命が宿をとった「お旅所」だ。それと同じようにりかさんの命は、人形のりかさんに宿をとった。

西の魔女が死んだのおばあちゃんの残した言葉
「ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ ヘ
          オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ」
に作者の「いのち」に対する憧憬が感じられる。

市松人形ではないけれど。
かわいいので。
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by shin0710s | 2016-10-25 16:26 | 読書 | Trackback

御門徒のおばあちゃん。

時折激しい雨。
本町に大雨警報が出ている。
台風18号の影響だとか。
秋雨前線が活発になっているらしい。

雨の降る日は?
戸外に出ずに読書をする。
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晴耕雨読というけれど、夏の間は外で汗を流すことは
体に悪い。
晴れた日に田んぼを耕すのは、季候のよい秋か春に限る。
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10月が近いが、晴天の日は30度を超える。
雨の日は体力的に無理無理。

午前中は、一周忌法要でお参りに行く。
昨年ご主人を亡くされ、一人で暮らしておられる。
4月の熊本地震でしばらくは北九州の長男のところで
暮らしておられた。
でもやっぱりご主人と過ごした家がいいと熊本に帰り一人暮らしをされている。
御年89歳。
お婆ちゃんと話をするのが楽しい。

最近読んだ本には、それぞれにり凜とした気品のあるお婆ちゃんだ出てくる。
「阪急電車」は、有川浩の作品。この小説の芯となる「萩原時江」おばあちゃん。
映画では、宮本信子が演じている。
息子夫婦とはちょっと距離ができている一人暮らしの老婦人。
確かな年齢を重ねてきた女性の美意識と価値観をもち、背筋を伸ばして生きている姿がいい。

「西の魔女が死んだ」は梨木香歩の作品である。黒に近い褐色の大きな瞳。
今はもう半分以上白くなり、うしろで無造作にひっつめられた褐色の髪。
骨格のしっかりした大柄な身体。
そのおばあちゃんの言葉
「魔女になるために必要なのは、物事の正しい方向をキャッチするアンテナと
何事も自分で決める力です」

イギリスから日本に嫁いできたまいのおばあちゃんの言葉である。
幾多の困難を乗り越えてきたおばあちゃんは、まい対する
暖かくそして生きていくことのすばらしさを伝えている。

そして本日読み終えたのが同じく梨木香歩の「りかさん」。
この作品のある感想として次の文に出会った。
「この人の本を初めて読んだのは高校生の時。それから好きになって
何冊か読んだけど、この人の書きたいものは家族の系譜『母から娘に伝えられ、
受け継がれるもの』だというのがこれまで読んできた本から読み取った、今の私の見解です。
自分を見失いそうになった主人公が自分の中に脈々と受け継がれてきた確かなものを発見し、
自覚することで自己を確認し、成長していくというモチーフがほとんどです。」
確かに若い時代ならばそうであろうと思う。
今から人生を生きていく若い人にとっては主人公の姿を己自身と重ねるだろう。 
私の年齢になるとやはり主人公のおばあちゃんである麻子さんの姿に惹かれる。
過ぎ去りし日々を思い出しながら、子や孫に何をどう伝えていくのか、
それでいて迷惑を掛けないように生きていきたいと思う私である。

今日は、お参りの後に、おばあちゃんと味わい深い時間となった。
「朝、家の前を掃除しているとですね、小学生が『おはようございます』、
とあいさつしてくれるんですよ。私もうれしいので、私の方からも『おはようございます』というんです。
そして『行ってらっしゃい』と。でも大人はそういう会話が成り立たんですよ。
顔を見ないように、合わせないようにしながらさっさと歩いて行かれるんです。
ちょっと、寂しいですね。」

そういう大人になってはいないか、と。
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by shin0710s | 2016-09-29 19:53 | 読書 | Trackback

阪急電車

「それじゃ学校まで行こうか」
辞令交付式で教頭先生に案内されて、
三宮から阪急電車に乗った。
「しまった、特急に乗った」
というので梅田まで行き、普通電車で引き返し阪急六甲下りた。
40年ほど昔のことである。

鈴蘭台の借家から神戸電鉄で新開地へ。
そこから神戸高速で阪急三宮に行き、そこから普通電車で阪急六甲でおりる。
そこから10分ほどで高羽小学校。そこが初任の地。50分あまりの通勤時間。
3年間勤めた小学校である。

阪急三宮駅を出発すると新開地の地下鉄から地上に出て高架鉄道となる。
春日野道、王子公園駅そして阪急六甲。
六甲山の山脈を左に見ながらの通勤であった。
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遠い昔のことを思い出したのは、映画「阪急電車」をDVDで見たからである。
つい3回も見てしまう。
さらには、文庫本まで買って読む。

関西では大手の阪急電車は、えんじ色の車体である。ロケで使われた電車は、
40年前に使われていたものである。
内装は、木目調の内張に囲まれ、緑色のシートが並んでいる。
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20歳台の後半、教師として半人前の時代である。
「有川 浩」著「阪急電車」。
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まだ私の青春時代の名残が残っていた時代と重なる風景や心情描写に一気読みをしてしまう。
恋愛の描写が上手いなあと思っていたら女性作家であると知り、納得する。
男性にはなかなかこのような言葉を繋ぐことはできない。
文庫本とDVDで40年前を思い起こさせてくれた。

初お目見え
「Élan」
前右足に障害を持つアビシニアンである。
ルランとリランの母親である。
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by shin0710s | 2016-09-11 11:19 | 読書 | Trackback

今こそ、人生の夏休み。

孫守、屋根修理と三日間の力仕事(?)を終え、今日は休息日。
とは言うものの公的な仕事を離れて1年5ヶ月。
八月も半ばとなっている。

季節は秋冬と進んでいくが、今は、人生の夏休みである。
時間はたっぷりある。この暑い中、戸外で働く必要もない。

ならば人生の夏休みを楽しまねば。
少年時代、この季節は読書を楽しんでいた。
ダニエル・デフォーの「ロビンソンクルーソー」
ジュール・ヴェルヌの「海底2万里」「八十日間世界一周」「十五少年漂流記」
等を胸をどきどきさせながら読んでいた。

そこでまずは興味があった上橋菜穂子さんの「精霊の守人」
から読み始める。
読み始めると止まらない。
本を批評するために読むのではなく、ただ楽しいから、おもしろいから
読むのである。
ファンタジー作品であり、少年時代に帰ることができる。
この作品の世界に入り込んでいけるのがうれしい。

上橋菜穂子「守り人」文庫版10冊を読み終える。
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そして「獣の合奏」4冊にむかう。
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更に、「ゲド戦記」にも興味がわく。
夏、家にいるならば読書である。
図書館に行くのもいい。
ただ、つい人の目が気になるので我が家で読書が一番と思っている。
さて次は本屋大賞に選ばれた「鹿の王」にむかうことにしよう。


ジャスミンは眠い。エアコンの部屋が大好きである。
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by shin0710s | 2016-08-12 11:32 | 読書 | Trackback

泣いた赤鬼。

明日は学校訪問である。
3年生の道徳の授業でこの[泣いた赤鬼]が取り上げてある。
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山の中に、一人の赤鬼が住んでいました。赤鬼は、人間たちとも仲良くしたいと考えて、
自分の家の前に、 「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。
おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます。」
と書いた、立て札を立てました。
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けれども、人間は疑って、誰一人遊びにきませんでした。
赤鬼は悲しみ、信用してもらえないことをくやしがり、おしまいには腹を立てて、
立て札を引き抜いてしまいました。
そこへ、友達の青鬼が訪ねて来ました。青鬼は、わけを聞いて、
赤鬼のために次のようなことを考えてやりました。

青鬼が人間の村へ出かけて大暴れをする。
そこへ赤鬼が出てきて、青鬼をこらしめる。
そうすれば、人間たちにも、赤鬼がやさしい鬼だということがわかるだろう、と言うのでした。
しかし、それでは青鬼にすまない、としぶる赤鬼を、
青鬼は、無理やり引っ張って、村へ出かけて行きました。

計画は成功して、村の人たちは、安心して赤鬼のところへ遊びにくるようになりました。
毎日、毎日、村から山へ、三人、五人と連れ立って、出かけて来ました。
こうして、赤鬼には人間の友達ができました。赤鬼は、とても喜びました。
しかし、日がたつにつれて、気になってくることがありました。
それは、あの日から訪ねて来なくなった、青鬼のことでした。

ある日、赤鬼は、青鬼の家を訪ねてみました。青鬼の家は、戸が、かたく、しまっていました。
ふと、気がつくと、戸のわきには、貼り紙がしてありました。
そして、それに、何か、字が書かれていました。

「赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。
もし、ぼくが、このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。
それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。
さようなら、体を大事にしてください。どこまでも君の友達、青鬼。」

赤鬼は、だまって、それを読みました。二度も三度も読みました。
戸に手をかけて顔を押し付け、しくしくと、なみだを流して泣きました。


さてこの童話をどのように子どもたちに提示し、どんな心情を培おう
とするのかな。
楽しみである。
余りに有名な童話である。
この童話についてこのような意見もある。

 自分の童話の中心に「善」を据えた広介は、もう一つの飛躍をします。
悪と見えるものの心や行いに善を書いた、という発展です。
それが「泣いた赤鬼」と「りゅうの目のなみだ」です。

  鬼として生まれながら、こころねのやさしい赤鬼が、
人間と仲良くしようと考えるのですが、怖がられてうまく行きません。
そこへ青鬼がやって来て、村人の前で、芝居をしようと言います。
青鬼が村にで乱暴を働き、それを赤鬼が懲らしめる。

  芝居はうまく行き、赤鬼は村人に受けいられます。
村人と仲良くお茶を飲み、楽しく暮らします。
しかし、青鬼はそれっきり姿を見せません。
赤鬼は心配で心配で、青鬼の家に家に行き、張り紙を見つけます。

 「  あかおにくん、

  にんげんたちとは どこまでも なかよく まじめに
  つきあって、 たのしく くらして いって ください。

  ぼくは、しばらく きみには お目に かかりません。
  このまま きみと つきあいをつづけていけば、
  にんげんは、 きみを うたがう ことに なるかもしれません。
  うすきみわるく おもわないでも ありません。
  それでは まことに つまらない。
  そう かんがえて、 ぼくは これから たびに でる ことに しました。

  ながい ながい たびに なるかも しれません。
  けれども、ぼくは いつでも きみを わすれますまい。
  どこかで またも あう 日が あるかも しれません。

  さようなら、きみ、からだを だいじにして ください。
  どこまでも きみの ともだち
                     あおおに 」


           ※原文は平仮名の部分がカタカナです。

 広介は昭和四十八年十一月十七日、八十歳で亡くなりました。
生涯にわたって童話を書き、千以上の作品を残しています。

広介の童話は、母親が子守歌のように読み聞かせるもの、として人の善意を書きつづったのです

というのである。
さてさて子どもたちはどんな反応を示すかな。
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by shin0710s | 2014-09-04 17:37 | 読書 | Trackback

子どもにお話を。

夏休みも今週まで。
子どもたちも宿題等が気にかかることだろう。

庭に虎の尾が咲き始めている。
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また百日紅も。
今年は夏の太陽が顔を見せてくれなかったので
百日紅の花も勢いがないような気がしていたが…
元気に花を咲かしてくれている。
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幼稚園の園児や小学生に語りかける場面がなくなった。
幼い子どもたちに民話や昔話をするとよく聞いてくれていた。
DVDやテレビなどの動画にしか興味を示さないかと思っていると
とんでもない、語り手の目を見てしっかり聞いてくれる。

さて今日は、[百日紅]を見ていたらふと
かって子どもたちにしようと思っていた民話を。

むかしむかし、ある海辺の村に、貧しい家がありました。
その家には美しい娘が、漁師のお父さんと二人で暮らしています。
漁師のお父さんは、朝から晩まで小さな舟で一生懸命に働きますが、でも捕れる魚は少ししかありません。
これでは魚を売ってお金にするどころか、娘と二人で食べる分にもなりません。
なさけなくなったお父さんは、娘に言いました。
「ごめんよ。これだけしか捕れないで」
「いいのよ、お父さん。それよりお父さん、体には気をつけてね。病気になったりしては嫌よ」
娘はそう言うと、ほんの少しの魚で夕ご飯のおかずを作るのでした。
 
ある朝の事、娘は舟を出すお父さんをはげまそうとして言いました。
「お父さん。今日は、たくさん魚が捕れるような気がするわ。がんばってね」
「ああ、わかった。がんばってくるからな」
お父さんは娘にやさしく微笑むと、いつものように舟をこいでいきました。
(がんばって、お父さん。たくさんの魚が捕れたら、余った魚を村の人に売って、
そのお金で、タマゴを買いましょう。そしてお父さんに、お酒も少し買いましょう。
・・・それでもお金が残っていたら、赤いくしを買いたいわ)
やがて、夕方になりました。
いつも舟が帰ってくる時間になっても、お父さんの舟は見えません。
「どうしたのかしら?」
娘は浜辺に立って、舟が帰ってくるの待ちました。
あたりは、だんだん暗くなっていきますが、舟はまだ戻りません。
「お父さん、魚がたくさん捕れるので、はりきり過ぎて遅くなっているのかしら?」
娘は海に向かって、一人言を言いました。
やがて日が暮れて、海は真っ暗になりました。
「お父さん、お父さん」
心配になった娘は、丘の上に登りました。
そして丘の上で枯れ木を集めると、海にいるお父さんから自分のいるところがわかるようにと、
火をつけました。
でもとうとう、その夜は、お父さんは帰ってきませんでした。
「お父さんの舟は、きっと風に吹かれて、どこか遠い沖の方に流されてしまったんだわ。
でも、いつかは帰ってくるわ。きっと帰ってくるわ」
こうして娘は、毎日、毎日、丘の上でお父さんの舟を待ちました。
でもそのうちに食べる物がなくなって、娘はやせていきました。
そして百日がすぎた朝、とうとう、娘は丘の上で死んでしまいました。
それを知った村の人たちは、娘をかわいそうに思って丘の上にお墓をつくりました。
すると次の年の夏、娘のお墓のわきに、村人の知らない小さな赤い花が咲いたのです。
それは、百日紅(さるすべり)の花でした。

百日紅は死んだ娘に代わって、今でもお父さんが帰ってくるのを待っているのです。

by shin0710s | 2014-08-25 19:30 | 読書 | Trackback

The Little Red Hen

麦畑である。
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さて何をする麦?
パン?
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幼稚園にいたときに「The Little Red Hen」の話を
園児たちにしたことがある。
ありとキリギリスに似た話であるが、最後がちょっと違う。


にわとりが小麦の種まきをし、
水をやり
刈り取って
粉をひいてもらい
生地を練って
パンを焼く、、、、。

それぞれの過程で
犬、猫、豚、あひるに
手伝いを頼むのですが、
みんな知らん顔。

みんな、パンが焼きあがったときだけ
「食べるのはお手伝いするよ!」と言うのですが、
にわとりは
「これまで何も手伝ってくれなかったのだから
パンを食べるのも自分ひとりでけっこう」
と、一人で食べてしまうというストーリー。


麦畑を見ていたらつい思い出してしまった。
5年前のことである。

誰のしっぽ?
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こっち向いた。
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やっぱりジャスミン。
チョコ太とチョコ子がいるけどジャスミンもかわいい
ワン公である。
by shin0710s | 2014-06-05 21:34 | 読書 | Trackback

「ごんぎつね」を読む。

兵十はかけよってきました。うちの中を見ると、
土間にくりが固めて置いてあるのが、目につきました。
「おや。」
と、兵十はびっくりして、ごんに目を落としました。
「ごん、おまい(おまえ)だったのか、いつも、くりをくれたのは。」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
 兵十は、ひなわじゅうをばたりと取り落としました。
青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました。


新美南吉の「ごんぎつね」の最後の場面である。
小学校の4年生国語の教材である。
この場面の兵十と「ごん」の出会いと別れを子どもたちと共に味わいたい、
そう思って力を込めて授業をしてきた。
それも1回や2回ではない。4年生の担任をするたびに子どもたちの
深い読み取りに感動しながらである。
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先日の天声人語である。

 去年の秋、朝日歌壇に二つの歌が並んでいた。
〈ごんぎつねも通ったはずの川堤(かわづつみ)燃えあがるようにヒガンバナ咲く〉中村桃子。
〈名にし負わば違(たが)わず咲きし彼岸花ごんぎつねの里真赤に染めて〉伊東紀美子。
どちらも愛知の方(かた)である
▼その愛知県半田市に、童話「ごんぎつね」などを書いた新美南吉の生家や記念館がある。
今年が生誕百年と聞いて訪ねてみた。朗読会や音楽祭といった多彩な催しが計画され、
地元は四季を通して華やぎそうだ
▼同時に没後70年でもあり、三十路(みそじ)に届かぬ夭折(ようせつ)が惜しい。
国民的童話といえる「ごんぎつね」は18歳のとき世に出た。
1956(昭和31)年から小学教科書に載り、教室で読んだ子は6千万人を超えるという
▼この短い一話が、どれほどの幼い心に、やさしさや哀(かな)しさをそっと沈めてきたか。
その広がりには大文豪もかなうまい。
「ごん」に限らず、人生の初期に出会うすぐれた読み物には、
たましいの故郷のような懐かしさが消え去らない
▼記念館の学芸員遠山光嗣さんによれば、「ごん」の結末はなぜ悲しいの?という質問が時々あるそうだ。
わかり合えないことやすれ違いがどうしようもなくあることを、南吉は言いたかったのでは、
と答えることにしているという
▼近年は、母子(ははこ)の狐(きつね)の「手袋を買いに」も「ごん」にならぶ人気があるそうだ。
〈里にいでて手袋買ひし子狐の童話のあはれ雪降るゆふべ〉
と皇后さまは詠まれている。
南吉は古びることなく、人の心を洗い、ふくらます。

by shin0710s | 2013-02-08 16:59 | 読書 | Trackback

少年の日々。

少年の日々
草も木も 輝いていた
水にたわむれた 夏
夕焼け空をみあげた 秋
冬には 風を切って走り
春には 草のみどりにねころんだ
鳥も けものも
山も 川も
みんな みんな 友だちだった
          丘 修三


石垣を組んだ用水路が町中を流れている。
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整った川となっている。
この川は 大井手川とよばれている。
子どものころは、「ういで」と呼んでいた。
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大人になって「ういで」ではなく、「大井手」の漢字をあてることを知った。
小学生のころよくここで泳いでいた。
大川(緑川)も楽しかったが、この大井手川も格好の遊び場であった。
夏の梅雨の時期は激しい勢いで流れる。
それだけに高学年になって流れに乗って泳ぐことができる川であった。

また7月も終わりのころになると田圃に水が入らないように堰を止めていた。
そうすると「井手へり」となり、フナやはえや鯰が捕れる。
時にはウナギだって。鮎さえも捕ることがあった。

 丘修三さんの
「稲の穂が実り始める九月の中頃になると、町はずれにある用水路の堰をしめ、
田の水を落として田をほすのが、ぼくの町のならわしだった。
町中を南北に流れる川は、堰がしまると、たちまち、二、三十センチの浅瀬にかわってしまい、
しばらくは町中の子どもも大人も、手に手にあみやモリをもって、魚とりに夢中になる。」
少年の日々 丘 修三著

 
はわたし自身の少年の日々を思い出す作品である。
この本の後書きに

「…水の豊かな町で、緑川という大きな川が町の西を流れ、
その支流が町の中を南北に縫って流れておりました。
町並みを一歩ぬけると、青々とした田園が広がっており、
そのむこうになだらかな山々が町を取り囲んでいました。
 山や川や、たんぼや畑にかこまれていると、春に春の、
秋には秋の遊びがどこにでもころがっていました。 
一日一日がとても短く、まるで毎日がお祭りのように楽しかった…」


とある。今も本町は、当時と大きく変わることのない姿をしている。
それでも私の少年の日々のような子どもたちの姿を見ることはない。
「紅鯉(べんごい)」に心を躍らす子どもたちはいない。
「メジロ落とし」や「ウナギてぼをすける」の言葉は死語となっている。

当時の子どもはいつも遊んでばかりいたわけではない。

「その頃の子どもはよく働きました。
畑の手伝いをしたり、山へ薪を拾いに行ったり、子守をしたり、
牛や馬の世話をしたり、いくらでも仕事があったのです。
本で勉強することより、遊びや仕事の中で学んだことが多かったような気がします…」


先日、図書室に丘修三さんが寄られた。
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短い時間であったけど、語られることばに耳を傾けながら
私も丘さんの作品を改めて読んでみたくなった。
そこで読んだのが、この「少年の日々」である。

この後書きの最後の言葉は

「…あの頃は命が身近にありました。赤ちゃんも病院でなく自宅で生まれ、
老人もうちで死んでいきました。
身の回りに牛や馬や、犬や猫や鳥や虫がいて、その生き死にをいつも見てすごしました。
今、考えると、それはとても大切な経験だったような気がします。
私に豊かな少年時代を恵んでくれたふるさとと幼き日の友人たちへ、この作品を送ります。」


である。
還暦を過ぎた今、少年時代のことを思い出すことが多い。
この頃と違うのは一日一日が長くなってしまっていることである。
愚痴ることが多くなっている今こそせっかくの還暦と呼ばれる時代を当時のように味わうことが必要であろう。
生と死を少しづつ身近に感じ始めている今だからこそ。

さて、本を閉じ山に川に出かけていこう。
せっかくの第2の少年時代である。
by shin0710s | 2011-10-31 22:39 | 読書 | Trackback

ビーグル1匹、ダックス5匹の愛犬と猫2匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。