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白秋の黄昏

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小菊の黄色がまぶしい。

明日から11月。今朝は7度。
霜注意報が阿蘇地方には出ていた。
秋が深まっていく。
庭の小菊もさらに花を咲かせている。


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霜降の言葉が出てくる季節になっていく。

 此秋は 
    何で年よる
        雲に鳥
            芭蕉

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そして、今年の霜月は この子もそして古希を迎えた私も
丸くなる季節になっていくのだろう。


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by shin0710s | 2017-10-31 16:54 | | Trackback

古稀同窓会へ。

午前10時、役場の輝きホールに集合。


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本日は、昭和39年中学校卒業生同窓会である。
卒業以来半世紀以上が過ぎている。
そして今年は古稀の年となった。
皆、すっかりおじいちゃんおばあちゃんである。

久しぶりの同窓会なのであちこちで昔話に花が咲いている。


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とにかく団塊の世代なので生徒が多かった。
7クラスもあった。
今は、二つの学校が一緒になっているのに、2クラスである。
いかに当時の子供たちが多かったかと思う。


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まずは、各クラスごとの記念写真。


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そして町長にも参加していただいて、全体写真。


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今回の参加者は、六十数名となっている。
また同級生で鬼籍入っているのが30名。
にぎやかで、話が途切れることなく続く。

ふと思い出したのが、当時と思うが高村光太郎の詩である。


  道 程  
     高村光太郎
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

当時それぞれに大きな夢を描いていた。
50年以上たった今どのような道ができているのだろうか。
満足すべき道であるだろうか。





by shin0710s | 2017-10-30 19:10 | | Trackback

木守り柿

今年は我が家の柿が豊年であった。
昨年はほとんどならなかったのだが。
「がんざん」と呼ばれている柿である。
子供のころから甘柿のことを「がんざん」と呼ぶと思っていたが
「がんざん」とは甘柿の一つらしい。
お寺の境内には、「こはる」と呼ばれる甘柿がある。
こちらな11月の中旬ごろが食べごろである。

さて、我が家の「がんざん」は生前母が、私が柿が好きなので植えてくれたもので
10年ほどになる。
今年は豊年だったので、毎日のように食べていた。
それも3個ずつ。
それに小ぶりで傷がついた柿の実は、ワン公におすそ分け。
私もワン公たちも今日も元気に過ごすことができるのは、柿の実のおかげか。



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長きにわたって食べ続けた柿の実も残り少なくなった。
そこで来年に備えて、いくつか残している。
「木守り」というらしい。
最近は、いくつかどころか、ちぎることなく全て落ちてしまっている近隣の柿であるが。



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ところで「木守り」とは、あるお寺の法話に

…「あれは、木守り(きもり)とか木守り(きまもり)といいましてね、
来年もよく実りますようにとお願いをするおまじないで、木のてっぺんに残しておくのです。」
なるほど、何てゆかしい習慣であろうと感心していると、つづいて言葉がありました。
「それとですね、何もかも私たち人間が奪い取って食べてしまうのではなくて、
これから食べ物の少なくなる冬に、きっと苦労するに違いない野山の鳥たちに
残しておいてやろうという心づかいでもあるのですね。」…

とあった。母が植えてくれていた柿の木である。
自然の恵みに感謝し、小さな小鳥の命のためにと願うことは、母の思いに
添うことであろう。


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by shin0710s | 2017-10-29 21:14 | ことば | Trackback

寺子屋法座第2回

本日は雨。
今日、明日と雨になるらしい。
それに台風22号が近づいているので心配である。
さて、本日は寺子屋法座の2回目。

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住職が講師になって法話をする。
「ブッダ」の生涯に学ぶと題して今日は、
「発心(悩む)」を中心にして話をしてくれた。


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このような小さな法座で語り合ったのは、大学生のころ。
「歎異抄」そして「正信偈」について一生懸命に調べ、発表して、意見を出し合っていた。
二十代前半のころである。
それから40年以上もたっている。
  


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そのころと今とを比べるとどんな違いがあるのだろうか。
もちろん体等の表面的なものは大きく変化している。
仏法を聞く、ということについては、少しも変化していない。
変わらないまま今日の日を迎えている。
一番問われるのは私自身の「後生の一大事」なのだ。




by shin0710s | 2017-10-28 20:27 | 真宗 | Trackback

小菊が咲き始める。

黄色の小菊が咲き始める。
晩秋に向かう頃に小さな黄色の花を咲かせている。
まだ数輪が咲いたばかりである。


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畦道にはススキの穂が風に揺れている。




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さあ、チョコマミー遊びに行こうか。



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by shin0710s | 2017-10-27 21:31 | | Trackback

たわわに実った柿の実

今年も境内の柿の実が鈴なりである。
昨年は干し柿にチャレンジしたがアオカビに悩まされて
口にすることができたのはほんの少し。



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さて、この柿の実はどうなるのやら。
何とかちぎらなければと思うもののなかなか大変である。
渋柿なので干し柿やあおし柿にするしかないのだが…


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明治10年(1877)1月に西南の役が始まる。
 3月19日 政府軍、八代の日奈久に上陸し、30日に堅志田に本営を設ける。
 4月 3日 政府軍と薩摩軍は戦闘となり、政府軍は岩下・仁田子・豊内・大町・下横田・有安・上揚村等を焼く。
このため子のお寺も消失している。そして再建されたのが現在の本堂である。
この明治10年の西南の役当時もこの柿の木はあったと祖母が話をしてくれていた。
この柿の木は140年以上の樹齢を重ねていることになる。


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そう思うと頑張って生きているこの柿の木を
大事にしなければと思う。
そのためには、まず柿の実をちぎることからかな。
ジャスミンもそう思うかい?


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by shin0710s | 2017-10-26 21:21 | | Trackback

山高きがゆえに貴からず。

「山高きが故に貴からず、樹あるをもって貴しとす、
      人肥えたるが故に貴からず、智あるをもって貴しとす」

久しぶりに甲佐岳を船津台地から眺める。


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ここから眺めると甲佐富士と名付けてもいい。
山を見ながら、ふと思い出したのが
「山高きが故に貴からず」の言葉である。
いつ覚えたか忘れているし、その意味も定かではない。
昔の寺子屋の素読用の教科書だった実語教の冒頭であるらしい。
その意味は、
どんなに外観がりっぱであっても、内容が伴わなければすぐれているとはいえない。
物事は見かけだけで判断するなというたとえ。


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とはいうものの、ベストセラーになった本に
人は見た目が9割 (新潮新書)竹内一郎著
がある。
さて私は、見かけに左右されていることは間違いない。
第一印象に大きな影響をうけるのである。
小心者の私であるためなのかもしれない。
あまり見かけと違ったということは少なかったように思う。


by shin0710s | 2017-10-25 19:20 | Trackback

ツワブキの花。

暖かくそれでいて爽やかな日差しが降り注ぐ。
ずいぶん長い間、雨の日が続いていたのでジャスミンと境内散歩。



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柿がおいしそうな色となっている。
渋柿だから、このままでは食べられない。
ジャスミン、どうしようか。
吊るし柿にするか?
去年は失敗したからね。


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ツワブキの花が咲いている。
しばらくは、この花を楽しむことができるかな。


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by shin0710s | 2017-10-24 15:03 | | Trackback

南三箇の六地蔵から。

南三箇の六地蔵は享保17年(1732)に建立されている。碑文によると
建立者は部落有志となっている。


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今回の地震により倒れていたが、部落の方々の手によって元の姿を取り戻している。
碑文、地蔵像等損傷、欠損も少なく大事にされてきている。



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享保17年は、江戸時代の三大飢饉の年である。
以下のような大飢饉の年に建てられている。
この六地蔵へ込められた願いがいかばかりのことであったかと思う。

1731年(享保16年)末より天候が悪く、年が明けても悪天候が続いた。
1732年(享保17年)夏、冷夏と害虫により中国・四国・九州地方の西日本各地、中でもとりわけ瀬戸内海沿岸一帯が凶作に見舞われた。梅雨からの長雨が約2ヶ月間にも及び冷夏をもたらした。このためウンカなどの害虫が稲作に甚大な被害をもたらして蝗害として記録された。
被害は西日本諸藩のうち46藩にも及んだ。46藩の総石高は236万石であるが、この年の収穫は僅か27%弱の63万石程度であった。餓死者12,000人(各藩があえて幕府に少なく報告した説あり)にも達した(『徳川実紀』によれば餓死者969,900人)。また、250万人強の人々が飢餓に苦しんだと言われる。また、1733年(享保18年)正月に飢饉による米価高騰に困窮した江戸市民によって享保の打ちこわしが行われた


春から翌年の春にかけて大飢饉。餓死者山のごとし糸田村も60人餓死。
大洪水、院の馬場より横田と新橋までの塘筋破損。諸方田方腐れ、収穫皆無。
秋、蝗が大量に発生し、稲の被害甚大。気が出が死者多数、翌年の春の樅種もなく
藩より種子籾が渡される。 (新甲佐町史)



by shin0710s | 2017-10-21 17:27 | 遺跡 | Trackback

くださいな。

外に出るとついてくるのがコウメ。


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私待っています。


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ちょっと大きいかな。



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大丈夫、絶対落としません。


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おっとっと、あぶないあぶない。


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by shin0710s | 2017-10-19 20:52 | ワン公 | Trackback

ビーグル1匹、ダックス5匹の愛犬と猫2匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。