ほとけはつねに 照らします
真宗教団連合法語カレンダー10月
本日は、母慈了の三回忌法要をつとめる。
兄弟親戚そして総総代さん、仏婦会長さんとともに母の在りし日の
姿を思い出しつつ、母の言葉を思い起こす。
母は、愚痴の多い人であった。
身の回りのこと、生活の不如意のこと、私のこと、妹や弟のこと。
私の前では、よく口から出てきていた。
しかし、愚痴のままでは終わらない母であった。
「恥ずかしいよね、つい言ってしまう」
そしてお念仏が口から出てくる。
若い頃の私には理解しがたいことであった。
なぜ、お寺にいながらそんな愚痴が出てくる?
それで坊守がつとまるのかと。
今、この年齢になって母の愚痴がよくわかる。
思うまい、言うまいと思ってもわき起こる喜怒哀楽の言葉。
まどいの眼そして次々と出てくる諸々の欲望。
その姿を照らしている働きに母は目覚めていたのであろう。
お勤めの後、両親のことをよく知っておられる先生の法話をいただく。
母の三回忌は、生きている私たちへの母からの供養の日である。