酔芙蓉咲く。

台風の余波で終日安定しない天候であった。
朝、晴れ間が見えたので境内を歩く。
柿が熟している。
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お隣の酔芙蓉が咲いている。午前九時。
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純白の花びらである。
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天候が安定しない。雲に覆われたかと思うと
晴れ間あり。
そして雨。
せっかくの酔芙蓉である。
その変化を味わいたいと思う者の
天候の変化が激しい。
午後4時。
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すっかり桃色となっている。
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雨が落ちてきている。
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一世(ひとよ)とは短きものよ酔芙蓉 
昔読んだ高橋治の「風の盆恋歌」に酔芙蓉が出ていたように記憶しているが
どうだったろうか。
# by shin0710s | 2016-10-05 20:52 | | Trackback

生の意味を問う。

朝日新聞の今日の言葉についメモをとった。
「生きている理由を…問わずにいられないのは、『問う自分』と『問われる自分』の
歩調がどこか合っていないからだ」 
神崎繁

「問う自分」と「問われる自分」とは?
どちらが本物の自分なのか。
どちらも本物の自分、との答えが返ってきそうである。

子どもの頃から、自らを省みる「反省する」との思考を
重ねてきている。
また、教師をしている衣子どもたちに反省会と称して
学級指導を行ってきている。
反省する主体と反省する客体がある自分のなかにある。
このように言葉に頼って文章を連ねれば連ねるほど意味不明になった行く。

唯識という学問がある。
真宗では正信偈に
天親菩薩造論説
帰命無碍光如来
依修多羅顕真実
光闡横超大誓願

天親菩薩となっているが世親菩薩である。
この天親菩薩が唯識という学問を大成したとされている。
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唯識では人の心の有り様を
以下の図で表しているようである。
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さてこの図の中で「問う私」と「問われる私」はどこになるのだろうか。
# by shin0710s | 2016-10-04 20:33 | ことば | Trackback

ダックス4匹の愛犬と猫1匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


by shin0710s