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白秋の黄昏

小さなボランティア?

日曜日に、近くの公民館で「お話」を、と子ども会
の事務局から依頼されている。
小学生や保護者それに地域の人が対象である。

子どもたちに話をするのは仕事柄そう苦痛ではないが
保護者や地域の方、それも老人会のメンバーとなると
これは難しい。

しかし、自治公民館の活性化あるいは、地域の教育力
を高めるための会であるなら避けるわけにはいかない。

そこで、今日は、町の民話を少し勉強することにした。
町を貫流する大きな川がある。
ここにまつわる話についてはあまり記憶に残っていない。
これほど大きな川であるから、またずいぶん過去に水害を
引き起こした川であるから何か残っていると思うのだが。
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ただ、川岸やよどみにはそれぞれ固有の名前がついていた。
それは、きっとこの川が生活と密着していたためであろう。
「やまんこ」「じゃぶち」「がんどまつ」等どんな漢字が当てられ
ていたかわからないが、名前が付くということは、そこに人々の
日常生活とつながっていたためであろう。
漁をすること、あるいは、洪水で大変な思いをしたことが
愛着として固有の名となったのであろう。

それにしても、その名前は過去のこととなっている。
今の子どもたちにはその名は伝えられていないのである。

明日は、そのような身近な名前の歴史を思い起こし
子どもたちに語ってみようと思っている。
# by shin0710s | 2005-08-27 08:34 | Trackback

下野

春先に咲き乱れていた、下野の花。夏も終わりが近づいた
のに、うす桃色の花を咲かせている。
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茶花としてお茶の席をにぎわしているとか。
賑わしているという華やかさはない。
ただ、咲いている様子は、騒々しさを感じてしまう。
それが、一輪あるいは二輪となると、静かな世界を
醸し出すから不思議である。

4時半から役員・理事会があった。3分前到着で、少し
入りずらかった。
この会のメンバーは平均年齢が56歳くらい。
まさに、白秋の黄昏時である。振り返ればこの期の黄昏時は、
玄冬に至る春の兆しが現れるときである。
そう考えれば、少しうきうきしてくる。
ただどうしても、年金の問題、退職金のことが話題
として出てくる。
生きるためには、財が必要なのである。
それもただ生きるのではなく、よりよく生きていく
ためには、少し多めの財が必要なのである。
その少し多めの財があってこそ、玄冬の春を愛でること
ができるのであろう。
悠々自適にはほど遠いかもしれないが、少し多めの財
が欲しいと思い始めている。
# by shin0710s | 2005-08-27 00:48 | Trackback

しかも元の川にあらず

8月も終わりに近づくと、ずいぶん夕暮れが早くなっている。
いつものようにワン公たちを散歩に連れて行く。
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夕日が山際に沈みつつある。子供の頃の夕日と
今の夕日はずいぶん異なって見える。

明日がある、また明日遊ぼう、また明日泳ぐよ。
そう呼び交わしていたような。

今、その夕日は私を喧噪を離れて、
無音の世界に誘っているように思える。

夕日を映すこの川もずいぶん相貌を変えてきた。
かってこの川はもっと荒々しく、
そして清冽なしぶきをあげていた。

そして流れの穏やかな砂地の岸辺には、
柱を4本立て屋根はむしろの監視場があった。
そこには、父だか母だか、川で泳ぐ子供たちを
見守ってくれていた。
50年前の風景である。

見えなかったものが見えてくる
うれしいものである。
# by shin0710s | 2005-08-25 21:32 | Trackback

ビーグル1匹、ダックス6匹の愛犬と猫2匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。