ブログトップ | ログイン

白秋の黄昏

六地蔵が伝えるもの

乙女校区には六地蔵が三体残っている。
南三箇の六地蔵、下田口の六地蔵そして船津の六地蔵である。
南三箇の六地蔵は熊本地震で倒れたものの地域の方のご尽力により、
ほぼ完全な形で復元されている。


e0056537_16292362.jpg


e0056537_16292963.jpg


六地蔵は六体の地蔵菩薩を彫り込んだ石仏で、この信仰は平安時代の終わりごろに始まったといわれており、
仏教の教えの六道(地獄、餓鬼、畜生、 修羅、人間、天上)の境遇にある人々の迷いや苦しみなどを救うために建て
られている。


e0056537_16293803.jpg
 室町時代以降、「死んだ肉親・知人たちが、六道のどこに生まれ変わっていようとも、ぜひその人を救って頂けますように」と願って各地に建てられてきた。
供養塔として街道沿いに建てられることが多いようである。
 南三箇の六地蔵は、享保17年(1732)に建てられ、六面に六地蔵が彫られている六地蔵塔で
他の地域の二体もほぼ同じ時期に建てられたと思われる。

e0056537_16293428.jpg

 この享保17年は、江戸三大飢饉である享保の大飢饉の年で、甲佐町史には、
「春から翌年の春にかけて大飢饉。餓死者山のごとし。糸田村も60人余餓死」
「秋、蝗が大量発生し、稲の被害甚大、飢饉で餓死者多数、翌年春の籾種も無く、藩より種子籾が渡される」
と記されている。
 多くの大変な飢饉(ききん)や水害など不安定な世から起ち直る時期にできた六地蔵である。
そして今も地域住民の心のよりどころであり、結束の象徴でもある。


 享保の飢饉
1731年(享保16年)末より天候が悪く、年が明けても悪天候が続いた。
1732年(享保17年)夏、冷夏と害虫により中国・四国・九州地方の西日本各地、中でもとりわけ瀬戸内海沿岸一帯が凶作に見舞われた。
梅雨からの長雨が約2ヶ月間にも及び冷夏をもたらした。このためウンカなどの害虫が稲作に甚大な被害をもたらして蝗害として記録された。
被害は西日本諸藩のうち46藩にも及んだ。46藩の総石高は236万石であるが、この年の収穫は僅か27%弱の63万石程度であった。
餓死者12,000人(各藩があえて幕府に少なく報告した説あり)にも達した
(『徳川実紀』によれば餓死者969,900人)。また、250万人強の人々が飢餓に苦しんだと言われる.


# by shin0710s | 2017-12-06 16:31 | 遺跡 | Trackback

初冬とは言うものの。

終日寒い一日であった。
気温もあまり上がらず。

冬になったのだけど、あちこちに名残の秋を見ることができる。
散りそびれ寒風に頬を染めている。


e0056537_16302727.jpg



こちらは急いで冬支度中の公孫樹。
e0056537_16305714.jpg
お腹をすかせた鳥たちを待つ。


e0056537_16303849.jpg

# by shin0710s | 2017-12-05 16:32 | | Trackback

似ているかな?


今日も梅の木にスズメが集まっている。
なぜ⁇
飽きることなく集まっているスズメたち。
同じくその動きが面白いのでついつい眺めている私。
今日もカメラを向けている。


e0056537_17050284.jpg

同じような顔を持つ雀であるが、よく見れば違いがある。
これまた楽しいものである。

昨日行った蓮華院誕生寺の南大門には四天王が守護している。
その中の一体が広目天である。
モデルは現在渦中の力士、横綱白鵬である。
似ている?


e0056537_17080042.jpg

# by shin0710s | 2017-12-04 17:14 | | Trackback

ビーグル1匹、ダックス5匹の愛犬と猫2匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。