母の大きな愛。

日々秋の気配。
体育館前の街路樹が色づく。
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昭和51年4月6日、
平凡ながら幸せに暮らす夫婦に
元気な男の子が生まれました。

しかし、母と子の感動的な面会は、
「黄疸がひどい」という理由で、
約1ヶ月も待たされました。

本当は、
生まれたばかりの元気な男の子の
手と足がなかったのでした。

先天性四肢切断。

原因はいまだにわかっていませんが
生まれつき手と足がなかったのです。
出産直後の母親にはショックが大きすぎるとの配慮で
面会が1ヶ月も先送りにされたそうです。

しかし、「その瞬間」は意外な形で迎えられました。

お母さんが口にした言葉、
それは
「まあ、かわいい」でした。

はじめて見たわが子は
少し個性的でしたが、
母がその男の子に抱いた感情は
「驚き」でもなく、
「悲しみ」でもなく、
「どうして私が・・」でもなく、
「喜び」だったのです。

その喜びは、
彼が小学生になってからも変わりありませんでした。

小学校時代に付き添いとして
廊下にずっと待機していたお母さんは、
先生の教育方針に一切の口出しをしなかったし、
彼に対しても必要以上の干渉もしなかったそうです。

まわりの子が「どうして手がないの?」と聞きにきたり、
手を触りにきたり、
洋服のなかに自分の手足をしまいこんで
彼の真似をするような子がでてきたときも、
「本人が解決すべき間題」と目の前で
わが子が「さらし者」になっているにもかかわらず、
平然としていたそうです。

男の子はその後成長し、
早稲田大学政経学部に入学しました。

そして高田馬場で友人を待っている時に、
隣に一見して、
ヤクザとわかる怖いおじさんが立っていたそうです。

ガンつけられたと思ったその時に、
予期せぬ言葉をかけられました。

ヤクザ:「お前も大変だなあ。事故か?」
男の子:「生まれつきです」

ヤクザ:「うーん、そうか。
困ったことがあったら、
いつでも電話して来いよ」

と言って彼の名刺を、
胸のポケットに入れてくれたそうです。
その名刺が、会社で言うと大企業の重役クラスだと
知ったのはずいぶん後だったそうです。

そのことを家に帰り両親に説明すると
彼のお母さんは平然とこう言いました。

母:「それは、当たり前でしょ。
だってああいう方たちは、
ツメるといっても小指1本程度でしょ。
あんたなんか、全身ツメちゃっているんだもん。
それは敬意を表すわよ」


なるほど、
こういう解釈もあるんですね。
お母様の強さを少しでも分けてもらいたいくらいです。

この男の子、もうおわかりですよね。
「五体不満足」 を書かれた乙武洋匡さんです。

乙武さんのあの明るさ、
あきらめない強さの裏側には、
このお母様の強さがあったんですね。

強さとは物事の解釈の仕方かもしれません。
不平、不満、嘆いていたら不幸になるだけ。
障害を乗り越えるとそこに道が開けるのですね。
人はそれを強さというのかもしれません。

ヘレンケラーが言いました。

「障害は不便である。しかし、不幸ではない」 
           http://hello.ap.teacup.com/genki/

ふっとであったブログの記事です。

今日の子どもたち。
芋の子洗う砂場?
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空に向かう。
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by shin0710s | 2009-10-19 15:04 | その他 | Trackback

ダックス4匹の愛犬と猫1匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


by shin0710s