2011年 10月 31日
少年の日々。
草も木も 輝いていた
水にたわむれた 夏
夕焼け空をみあげた 秋
冬には 風を切って走り
春には 草のみどりにねころんだ
鳥も けものも
山も 川も
みんな みんな 友だちだった
丘 修三
石垣を組んだ用水路が町中を流れている。
整った川となっている。
この川は 大井手川とよばれている。
子どものころは、「ういで」と呼んでいた。
大人になって「ういで」ではなく、「大井手」の漢字をあてることを知った。
小学生のころよくここで泳いでいた。
大川(緑川)も楽しかったが、この大井手川も格好の遊び場であった。
夏の梅雨の時期は激しい勢いで流れる。
それだけに高学年になって流れに乗って泳ぐことができる川であった。
また7月も終わりのころになると田圃に水が入らないように堰を止めていた。
そうすると「井手へり」となり、フナやはえや鯰が捕れる。
時にはウナギだって。鮎さえも捕ることがあった。
丘修三さんの
「稲の穂が実り始める九月の中頃になると、町はずれにある用水路の堰をしめ、
田の水を落として田をほすのが、ぼくの町のならわしだった。
町中を南北に流れる川は、堰がしまると、たちまち、二、三十センチの浅瀬にかわってしまい、
しばらくは町中の子どもも大人も、手に手にあみやモリをもって、魚とりに夢中になる。」
少年の日々 丘 修三著
はわたし自身の少年の日々を思い出す作品である。
この本の後書きに
「…水の豊かな町で、緑川という大きな川が町の西を流れ、
その支流が町の中を南北に縫って流れておりました。
町並みを一歩ぬけると、青々とした田園が広がっており、
そのむこうになだらかな山々が町を取り囲んでいました。
山や川や、たんぼや畑にかこまれていると、春に春の、
秋には秋の遊びがどこにでもころがっていました。
一日一日がとても短く、まるで毎日がお祭りのように楽しかった…」
とある。今も本町は、当時と大きく変わることのない姿をしている。
それでも私の少年の日々のような子どもたちの姿を見ることはない。
「紅鯉(べんごい)」に心を躍らす子どもたちはいない。
「メジロ落とし」や「ウナギてぼをすける」の言葉は死語となっている。
当時の子どもはいつも遊んでばかりいたわけではない。
「その頃の子どもはよく働きました。
畑の手伝いをしたり、山へ薪を拾いに行ったり、子守をしたり、
牛や馬の世話をしたり、いくらでも仕事があったのです。
本で勉強することより、遊びや仕事の中で学んだことが多かったような気がします…」
先日、図書室に丘修三さんが寄られた。
短い時間であったけど、語られることばに耳を傾けながら
私も丘さんの作品を改めて読んでみたくなった。
そこで読んだのが、この「少年の日々」である。
この後書きの最後の言葉は
「…あの頃は命が身近にありました。赤ちゃんも病院でなく自宅で生まれ、
老人もうちで死んでいきました。
身の回りに牛や馬や、犬や猫や鳥や虫がいて、その生き死にをいつも見てすごしました。
今、考えると、それはとても大切な経験だったような気がします。
私に豊かな少年時代を恵んでくれたふるさとと幼き日の友人たちへ、この作品を送ります。」
である。
還暦を過ぎた今、少年時代のことを思い出すことが多い。
この頃と違うのは一日一日が長くなってしまっていることである。
愚痴ることが多くなっている今こそせっかくの還暦と呼ばれる時代を当時のように味わうことが必要であろう。
生と死を少しづつ身近に感じ始めている今だからこそ。
さて、本を閉じ山に川に出かけていこう。
せっかくの第2の少年時代である。