担任した子から。

ドイツからはがきが届いている。
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かって担任した子である。
ドイツに住むようになって何年たつのだろう。
筆無精でいい加減な私のことを「全て分かっています。返事も期待していませんよ」
とばかりに毎年近況を記して送ってくれる。
筆無精の上に、ドイツにはがきを出すにはどうしたらいいのだろう、
ということで音沙汰無しとなる私である。
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この子を担任したのは、四十年前のことである。
熊本から新規採用の先生として赴任した学校の子どもである。

当時25歳。
神戸市はまぶしい都会であった。
全てが驚きであり発見であった。
教師としては、生まれたばかりのひよこ。
「せんせい、なまりがある」
といわれていた。関西弁と熊本弁では違いすぎる。

4年4組の担任となり、子どもたちの前で名を名乗ったと同時に
「ウメボシだー」
の声。わっと子どもたちの歓声が上がり
それ以来ウメボシ先生と呼ばれることになった。
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「先生、掃除が終わったらかえってよろしいか」
の言葉に、何だ、この言いぐさは、目上の人への言葉か。
と思ったこともあった。
実際は、丁寧な言い方だったらしいが。

45人の4年生。
今振り返ると大変だったに違いない。
しかし本当に毎日が新鮮であった。本当に子どもたちと遊んだ。
上着をはぎ取れれ、裸になって学校を走り回っていた。
いじめて泣かせていた女の子と結婚したトオル。
二人のカオル。
そして広島に転校していった女の子。
お節介焼きが高じて県議会議員になった子もいる。
本当は、やんちゃなくせに大人しくお姫様と私が密かに呼んでいた
このはがきの女の子。
ウメボシ先生漫画を書いてくれた子。
この漫画のことを覚えているだろうか。
40年前の作品である。

そして17年前の今日、阪神大震災。
子どもたちの安否を案じて電話をかけまくっていたことを思い出す。
大震災にも負けず子どもたちは、それぞれの道を歩んでいる。

今も当時の子どもたちをフルネームで思い出すことができる。
とはいうものの40年も昔のことである。
神戸市で先生をしていたのは事実だったのかと思うほど歳月が
過ぎ去っている。

しかしこうして子どもたちから賀状が届くと
確かにそれらの日々があったことが分かる。

わずか1年の出会いであったけれどその後40年にわたってのつながりをもてることは
望外の喜びである。それはまた先生なればこその喜びである。

今でも目を閉じると教室や運動場での子どもたちの姿が思い浮かぶ。
by shin0710s | 2012-01-17 19:25 | 子ども | Trackback

ダックス4匹の愛犬と猫1匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


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