2012年 12月 14日
るてんさんがいちゅう…
坊主頭であり、まさに小坊主である。
父の後ろに隠れるようにして祭壇の前に座る。
目の前には棺桶。
亡くなられた方が横たわっている。
怖いとは思わなかったが、
何とも奇異な感じを持ったものである。
死というのを身近に感じなかったためなのかもしれない。
死んでいる人と言うより眠っている人としてみていたのかもしれない。
お葬式が始まる。
父が祭壇の前に立ち
「るてんさんがいちゅう…」
と言葉を述べる。
そして
「なむきえぶつ、なむきえほう、なむきえそう」
の言葉でむすぶ。
何の意味かずいぶんわからないままであった。
この言葉が、帰敬式の剃刀の際に、仏教各宗を通じて、近世以来長く依用してきた
『清信士度人経』の「流転三界中」の文であることを知ったのは二十歳を過ぎてからである。
流転三界中
恩愛不能断
棄恩入無為
真実報恩者
三界の中に流転して
恩愛断つことあたわずとも
恩を棄て無為に入るならば
真実に恩に報いる者なり
そしてその意味は、
迷いの世界を輪廻している間は、恩愛を断ち切ることは難しい。
しかし、思い切ってそれらを棄て、仏門に入ることは、真実に恩に応えることになるのだ。
つまりこの娑婆世界を生きていくには、親の恩や肉親の愛情など、
どうしても絶つことのできない絆やしがらみがある。でもその絶ちがたい恩愛を棄てて
「無為」に入るのが真実の「報恩者」だというのである。
つまり、出家して仏弟子として仏道を歩む宣言だと。
父がこの流転三界偈を読む。
そして私が鐘を撞く。
約1時間の葬場勤行が始まる。
遠い昔のことであるが、懐かしい。
お葬式に出仕する度に父のことを思い出す。