偽善者になるとも偽悪者になるな。

父の祥月命日が近づく。
12月25日が命日である。

村のお取り越しの時に訃報が入った。
入院生活2年目のことである。

随分昔のことになるがある時ふっと言った言葉が、
「偽善者になるとも、偽悪者になるな」
の言葉である。

偽悪者になるな、とは真宗の門徒には重い言葉である。
歎異抄の最後に、

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはこと、
まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします


の言葉がある。煩悩具足の凡夫ですから、最悪深重の私ですから…との
話を聞くことがある。偽悪者と父が言っていた姿である。
偽善者になるとも偽悪者になるな。_e0056537_19282125.jpg
(秋山 巌 版画集より)
煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、
あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、
他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。
よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。


晩年の老僧然としていた父の姿が懐かしく思えるのは、
父の年齢に近づいているためであろうか。
by shin0710s | 2012-12-18 19:30 | ことば | Trackback

ダックス4匹の愛犬と猫1匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


by shin0710s