2012年 12月 18日
偽善者になるとも偽悪者になるな。
12月25日が命日である。
村のお取り越しの時に訃報が入った。
入院生活2年目のことである。
随分昔のことになるがある時ふっと言った言葉が、
「偽善者になるとも、偽悪者になるな」
の言葉である。
偽悪者になるな、とは真宗の門徒には重い言葉である。
歎異抄の最後に、
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはこと、
まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします
の言葉がある。煩悩具足の凡夫ですから、最悪深重の私ですから…との
話を聞くことがある。偽悪者と父が言っていた姿である。
(秋山 巌 版画集より)
煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、
あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、
他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。
よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。
晩年の老僧然としていた父の姿が懐かしく思えるのは、
父の年齢に近づいているためであろうか。