惜別の歌から

晴天。ワン公の散歩をしながら
ふっと口から出てきたのが
この惜別の歌である。

高校を卒業し、浪人することになったときのことである。
何ともいえないわびしさからこの歌をよく口にしていた。
半世紀近くなる昔のことである。
そしてこの作詞が島崎藤村と知る。
七五調の覚えやすい詩であり、卒業して先の見えない時のことである。
落ち着かない日々にそのメロディーとともに心に響くものであった。
ただセンチメンタルな自己陶酔的なものであったと思う。感傷的な記憶として思い出される。

「この高殿に登るかな」の歌詞が歌を覚えた頃はしらかなったが
後年訪れた竹田市の岡城阯や人吉城阯それに佐敷城阯等が歌のイメージと
と重なる。
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本丸等の建物のない城阯こそこの歌のイメージであると思っていた。
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また
島崎藤村の若菜集からの詩であるとは知っていたが、
実際にその歌にあたることはなかった。
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 四 高楼たかどの

わかれゆくひとををしむとこよひより
    とほきゆめちにわれやまとはん


   妹

とほきわかれに
    たへかねて
このたかどのに
    のぼるかな

かなしむなかれ
    わがあねよ
たびのころもを
    とゝのへよ

   姉

わかれといへば
    むかしより
このひとのよの
    つねなるを

ながるゝみづを
    ながむれば
ゆめはづかしき
    なみだかな

   妹

したへるひとの
    もとにゆく
きみのうへこそ
    たのしけれ

ふゆやまこえて
    きみゆかば
なにをひかりの
    わがみぞや

   姉

あゝはなとりの
    いろにつけ
ねにつけわれを
    おもへかし

けふわかれては
    いつかまた
あひみるまでの
    いのちかも

   妹

きみがさやけき
    めのいろも
きみくれなゐの
    くちびるも

きみがみどりの
    くろかみも
またいつかみん
    このわかれ

   姉

なれがやさしき
    なぐさめも
なれがたのしき
    うたごゑも

なれがこゝろの
    ことのねも
またいつきかん
    このわかれ

   妹

きみのゆくべき
    やまかはは
おつるなみだに
    みえわかず

そでのしぐれの
    ふゆのひに
きみにおくらん
    はなもがな

   姉

そでにおほへる
    うるはしき
ながかほばせを
    あげよかし

ながくれなゐの
    かほばせに
ながるゝなみだ
    われはぬぐはん



しかし実際はこの歌が知られるようになったのは、中央大学の学生歌になってからである。

○太平洋戦争真っ只中の1944年、作曲者は中央大学から学徒動員令で造兵廠にいました。
戦地に赴く学友を送る際に友情と離別の思いを込めて作ったといわれてます。
○昭和20年、中央大学予科生の藤江英輔(ふじええいすけ)氏の作曲で、
作詩は島崎藤村の「若菜集」の「高楼(たかどの)」の詩です。
東京板橋の陸軍造兵廠第三工場に学徒勤労動員中、戦地に赴く学友を送る歌として作られました。

そのような背景を知ることがなかった浪人時代である。


惜別の歌

【作詞】島崎 藤村
【作曲】藤江 英輔
1.遠き別れに 耐えかねて
  この高殿に 登るかな
  悲しむなかれ 我が友よ
  旅の衣を ととのえよ

2.別れと言えば 昔より
  この人の世の 常なるを
  流るる水を 眺むれば
  夢はずかしき 涙かな

3.君がさやけき 目の色も
  君くれないの くちびるも
  君がみどりの 黒髪も
  またいつか見ん この別れ

4.君がやさしき なぐさめも
  君が楽しき 歌声も
  君が心の 琴の音も
  またいつか聞かん この別れ


歌の背景を探っていくと何となく感じていたイメージとは
ずいぶん異なる。
歌はその時代の背景を知ることによってより深く感じることが出来る。
半世紀も昔の私とは、私自身もずいぶん変わってきているようである。
by shin0710s | 2013-02-24 19:40 | | Trackback

ダックス4匹の愛犬と猫1匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


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