2016年 12月 08日
布施柿
暦の上では初冬であるが、未だ晩秋の趣がある。
境内の柿の実が残り少なくなった。
今年は、40個ほど干し柿を作ることにした。
慣れない手つきで、皮をむき外に干したら、その夜雨に遭ってしまう。
慌てて家に入れたけれど、外に干し忘れた2個以外は全部ぬれてしまう。
次の日見たら、青カビ発生。
焼酎で吹けば取れるというのでやってみる。
取れたような取れないような…
さて、境内の柿の実は?
小鳥たちの食物である。
カラスやヒヨドリ?雀?午前中は入れ替わり立ち替わりして
柿の実を啄んでいる。
カラスがくると一斉に逃げ出す。
カラスはここでは王様。
こうして柿の実をいくつか残すことを布施柿と言うらしい。
布施柿という言葉を知ったのは、50歳をすぎてからであった。テレビを見ていたとき、どこかの地方でそう呼んでいる柿があることを偶然に知った。そんな柿があるんだ、と思った。大げさではないが、軽いショックを覚えた。
布施柿というのは、木になった柿の実を全部取ってしまわずに、いくらかは残しておいて、鳥たちへの「お布施」のようなものにしている柿のことである。鳥たちのことを考えて柿を残しておくというのは、考えてみたら、すごい発想だなと思った。かつて私の家の庭にも柿の木があった。でも布施柿という言葉は知らなかった。ひょっとしたら、近所の人はみんな知っていたのかもしれないが、私は知らなかった。知らなかったというだけではなくて、たぶん、もっと若い頃に聞いていても、こんな言葉に心を止めることはできなかったかもしれないと思う。
この布施柿という言葉の何がすごいかというと、そこに「自分の周りには他の生き物が居るんだぞ」ということをさりげなく教えてくれているところであろう。私はこの言葉を知ってから、それまでの秋の稲刈りの後、刈り残した穂はもったいなので丁寧に拾っていたのに(まさにミレーの『落ち穂拾い』の絵のように)、鳥が食べるかもしれないと思って、無理に全部拾わなくなってきている。
布施柿の心とは、全部取らないで、少し残しておく心のことだが、残す、というのは、微妙な心構えだと思う。あげるとか、めぐむとかいうのではなく、そんな恩着せがましさや、やってあげているというものではなく、ただ残しておこうとする心の動きである。それは、ものを残すということだけはなくて、人間の心に中に、他の生き物のことを思うゆとりを残しておくという意味でもあるような気がする。布施柿、こんなたった三文字の言葉を知っただけで、こんなにも心が広がるのは、不思議な感じがする。京都新聞 2005.11.18
さて40個作った干し柿であるが、ほぼ全部どこかに青カビが残ってしまった。
焼酎消毒がきかなかったのではなく、ぬらしたのが一番の原因だろう。
ただ、雨に濡らさなかった2個だけはそれなりの?干し柿になった。
ところで柿の実はあと少し残っているが、最後の1個は、「木守り」(きまもり)と言うらしい。
それも鳥たちのお布施になるのかな。
1.木の番人。こもり。
2.来年もよく実るようにという祈りをこめて、わざと木に一つだけ残して
おく果実。
《学研国語大辞典》