生死の中雪ふりしきる

寒い一日であった。
雪がときおり舞っていた。九州山脈は雪雲に覆われている。
三十年以来の畏友と思いついたようにメールのやりとりをしている。
心許せる友なので忌憚のないことばのやりとりもある。
お互いに数え年なら今年は古稀の年。
十分すぎるほど生きてきた。
それぞれに与えられた仕事を全うしてきた。
そしていま、ふっと我が身を振り返ると老いたる我が姿がある。
十分満足しているはずなのに「独りぼっち」の我が身である。

生老病死の姿は、独りぼっちの私であることを教えるものであろう。若い頃は気づかなかった。
仕事あるいは家族との生活の中で多くのことばが行き交い心穏やかに過ごすこともままならない日々であった。
それが仕事を終えた今、子どもたちは巣立つ中で間違いなく一人になって行くことが遠い将来ではない。

西行、兼好、長明あるいは山頭火、放哉の独り生きるすがすがしさあるいは強さが感じられる。
「独り法師」の目覚めがあったのであろうか。

「人在世間・愛欲之中・独生独死・独去独来・當行至趣・苦楽之地・身自當之・無有代者」
(人、世間の愛欲の中にありて、独り生じ独り死し、独り去り独り来りて、
行に当たり苦楽の地に趣く。身自らこれをうけ代わる者あることなし)
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生死の中雪ふりしきる

紀野一義は、この句を引きつつ

さびしい観音堂の中で山頭火はなにを考えていたろうか。それは、生と死とを無限に繰り返す輪廻転生世界のこと、悩みや苦しみに満ちた凡夫の人生のことである。‥生死の世界の中に雪が降りしきるのではない。雪もまた、「生死の中の雪」である。生死の迷いを清める雪ではなくて、いよいよ深く降り積もる迷いの雪である、と。


by shin0710s | 2017-02-10 17:48 | ことば | Trackback

ダックス4匹の愛犬と猫1匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


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