2017年 05月 19日
阿蘇草部吉見神社の日子八井命御陵
田植えの終わった先にこんもりとした杜がある。草部吉見神社から300m程離れている。
標高600m余り。
冬場は厳しい寒さだけど、これからの季節本当に気持ちのいい
所である。
銛の入り口に石碑がある。
陵墓参考地とは、伝承や出土品などにより一旦は宮内庁によって皇族の墳墓とされた上、
誰が埋葬されているかを特定できないもののことらしい。
日子八井命(ヒコヤイ)は、彦八井耳命・彦八井命・武国竜命・高知保神とも書かれますが、
「古事記」では、初代神武天皇の皇子で母は大物主神の女・伊須気余理比売命とし、
「日本書紀」の神八井耳命=神沼河耳命は同母弟とされます。
しかし、「日本書紀」には日子八井命の名は無く、「新撰姓氏録」「阿蘇氏系図」
では神八井耳命の子となっています。
どうも、「日本書紀」は日子八井命=草部吉見神にふれたくないようですが、
草部吉見神社のミササギが現地では日子八井命のものとしていることは間違いがないことから
今のところは草壁吉見神社の主神は「日本書紀」で消され「古事記」で神武の子とするものと考えています。
http://ameblo.jp/hiborogi-blog/
墓所とされる場所には3つの禁忌がある。
馬に乗ること▽汚物を焼くこと▽婚姻で他の村へ出る女人や、死人を通すこと-である。
http://www.sankei.com/west/news/160924/wst1609240002-n2.html
陵墓の横に甲斐有雄の道しるべがある。地震で頭部が崩れたのだろうか。
陵の周りには石碑がある。
2つの碑にも文字らしいものがあるが判読しがたい。