今年は我が家の柿が豊年であった。
昨年はほとんどならなかったのだが。
「がんざん」と呼ばれている柿である。
子供のころから甘柿のことを「がんざん」と呼ぶと思っていたが
「がんざん」とは甘柿の一つらしい。
お寺の境内には、「こはる」と呼ばれる甘柿がある。
こちらな11月の中旬ごろが食べごろである。
さて、我が家の「がんざん」は生前母が、私が柿が好きなので植えてくれたもので
10年ほどになる。
今年は豊年だったので、毎日のように食べていた。
それも3個ずつ。
それに小ぶりで傷がついた柿の実は、ワン公におすそ分け。
私もワン公たちも今日も元気に過ごすことができるのは、柿の実のおかげか。
長きにわたって食べ続けた柿の実も残り少なくなった。
そこで来年に備えて、いくつか残している。
「木守り」というらしい。
最近は、いくつかどころか、ちぎることなく全て落ちてしまっている近隣の柿であるが。
ところで「木守り」とは、あるお寺の法話に
…「あれは、木守り(きもり)とか木守り(きまもり)といいましてね、
来年もよく実りますようにとお願いをするおまじないで、木のてっぺんに残しておくのです。」
なるほど、何てゆかしい習慣であろうと感心していると、つづいて言葉がありました。
「それとですね、何もかも私たち人間が奪い取って食べてしまうのではなくて、
これから食べ物の少なくなる冬に、きっと苦労するに違いない野山の鳥たちに
残しておいてやろうという心づかいでもあるのですね。」…
とあった。母が植えてくれていた柿の木である。
自然の恵みに感謝し、小さな小鳥の命のためにと願うことは、母の思いに
添うことであろう。