香りは写せない?

花の季節が日々近づく。
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境内の梅があたり一面に香りを広げている。
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教師をしながら自分の感性のなさを実感してきた。
知らないのである、魚、鳥、樹木や草花の名を。
九州山地の懐に抱かれた緑川小学校に赴任して初めて
足下の世界に目を向けたような気がする。
「うめばちそう」「おきなぐさ」「はるりんどう」等驚きのある日々であった。
ただ、自然に恵まれた山の学校の子ども達は
「在るだけでは、気づかない子ども達」
であった。どんなにすばらしい自然であっても目がいかなければ、
ただの風景でしかない。
具体的な活動や体験が大事なのである。そこでしか感性は育たない。
「見る、聞く、ふれる、作る、探す、育てる、遊ぶなどして直接対象に働きかける」
のである。
あるブログ目が留まった。う~ん、とうなってしまった。

大事なのは「香りは写せない・・」である
そりゃ確かに至極当然のことだが・・
しかし美術でも工芸でも表現芸術というものは
その写せないものをどう写すかの試行錯誤ではなかろうか

侘びさび・・とて似たようなものである
侘びもさびも・・だれもその実体を見たものはいない
表現されたものにそれを感じるかどうかの問題なのだ
突き詰めれば美とはそうした実体のないものを
具象化する実にしんどい作業である
しかし、だから面白い、だから病いなのである

写真は・・写さなくては写真にならない
目に見えるものなら何でも写すことはできるが
写しているのは見えるものではない
写したものから何を伝えようとするのか
そのメッセージに意味がある

香りを写すことはできなくても
香りを伝えることは不可能ではない
匂うがごとく・・それがメッセージである

陶芸も全く同じである
そう思って仕事をしてきた
そして今も思い続けていることは
表現したいものが深くなるにつれ
それを可能にするものは
卓越した技術でしかない・・ということだ
感性は・・技でしか表現できないのだ
感性を磨くといういことは
技を磨くことなのだ
感性もまた実体のないものだから・・

ものを覚え 技を身につけることの
苦しさと楽しさを実感できたのは
そう若いころからではなかった
やきものを通して創造の醍醐味を知ったといっても過言ではない

だから いつの日か自分の器をカタログ写真ではなく
メッセージの表現として撮ってみたいのだ

http://kamadatets.exblog.jp/

「感性」と実態のない言葉が一人歩きをしている学校現場でもある。
感性は・・技でしか表現できないのだ
感性を磨くといういことは
技を磨くことなのだ
とぎすまされた感性は、努力し磨くところからしか生まれない。
教師の子どもを育てる力は、教師の感性によるところが大きい
教師の感性は、技でしか表現できない。
教師にとって技とは?大きな提言をいただいたと思っている。

チュンである。石の上にも?
全然落ち着きが生まれない。
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3年では無理。
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ダルマさんのように、9年が必要である、チュンには。
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Tracked from 杉の泊いぬ日記 at 2006-02-23 20:07
タイトル : ダルマさんな ビーグルたち
白秋の黄昏 のチュンちゃん。 チュンである。石の上にも? 全然落ち着きが生まれない。 3年では無理。 ダルマさんのように、9年が必要である、チュンには。 そして、我が家の 喰太&ビビ 6年と8ヶ月。 ダルマさんまで後 2年4ヶ月必要なので 溝の中。... more
by shin0710s | 2006-02-22 23:18 | Trackback(1)

ダックス4匹の愛犬と猫1匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


by shin0710s