担任した子②

校舎内を回っているとつい窓の外に目がいく。
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子供たちの帰った学校は静かである。
そして中庭の欅も秋色に染まっている。

前回に同じく担任した子のことである。
8月に末に、1枚のはがきが届いた。
初任の時の子である。

31年前、神戸市の小学校に新任教師として
赴任した。熊本の田舎の学生が、大都市の小学校の先生になったのである。
その学校は、神戸市でも有数の学校であった。
児童数1700名、かつ、灘区にあり、いわゆる文教地区の学校であった。
阪急六甲から徒歩10分ほどの学校である。
神戸市立高羽小学校がそれである。

4年5組の担任を命ぜられた。
とにかく、熊本の田舎で小学校生活を送っていた私にとって、
驚くべきことが次々に起こっていく。

校舎内は、油引きになっており、教室、職員室等
全て、靴を履いたまま。
職員朝会は、50人ほどで、マイクを使っての進行であった。

子どもは、便所の掃除はしない。業者委託である。
便所の掃除は、教育の一貫であるとばかりに
小・中・高とも、便所をきれいにするのは、
学校の大きな取り組みであったのに、都会は違うと思った。

運動会にも驚いた。
「体操体形に開け、」
で広がるのであるが、児童が多すぎて、列の児童が
交互に一歩下がるのみ。

徒走は、春と秋の運動会に分かれてクラスの半分が出場する。
トラックは、3から4組が走っていた。トラックをいかに多くの組に走らせるかが、
スターターの腕の見せ所であった。

そして、午前中に終わり、給食。運動会は、それで終わり。
親子で弁当を食べるというのはなかった。児童数が多すぎて、
食べる場所もないためであったろうが。

それにしても言葉のアクセント等には苦労した。
「先生、なまりある。」
と子どもたちに言われる。
ある時
「先生、掃除が終わったので、帰ってよろしいか。」
といってきた。思わず「なにっ」
と言いそうになった。教師に対して
「よろしいか」はないだろうと思ったのである。
熊本では、このような言い方はしない。どちらかというと
目下に対して使う言葉であると認識していた。
それが、小学4年生が、私に言ってきたのである。
しかし、実は、これが、丁寧語あるいは尊敬語であった。

この学校での3年間は、楽しくかつ教師としての在り方を子ども、
保護者から教えていただいた。忘れることのできない時間であった。
しかし、本当に申し訳ないとの思いもある。
よくあんな授業で我慢してくれていたと。

この学校で、3年目に、長女が授かった。待ち望んでいただけに、本当にうれしかった。
冬のある日、1年目に担任した男の子2人が、1時間以上かけて当時住んでいた鈴蘭台の家までお祝いを持ってきてくれた。そのとき一緒に写った写真が残っている。

今でもそのお祝いの品が目に浮かぶ。
実は、その一人からのはがきだったのである。

何人か集まっていると、必ず
「なに、なに?」と言って口を出す。
人がよくて、お節介焼きであった。
「もう」、と周りの子どもから疎ましがられることもあったが、
すこしもめげることなく、また「なに、なに、どうしたの?」
と声をかけていた。
そしてまた、うるさいくらいに私の周りにいた。

そのはがきは、その子の当選の報告であった。
早稲田大学に進み、政治家を志し、
神戸市議になり、今回の補欠選挙で、
兵庫県議会議員に当選したのである。

議員の生活、あるいは活動はよくわからないが、
駅前等で辻立ちしながら、議員になっている。

神戸を離れて以来、一度同窓会で、会ったきり。
その後は、はがきだけの交流となっている。
がんばれ、自分の道を精一杯進め、とエールを送っている。
by shin0710s | 2005-09-16 20:09 | Trackback

ダックス4匹の愛犬と猫1匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


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