2018年 10月 22日 ( 1 )

廓然無聖

本堂のご本尊が安置してある須弥壇の後ろに一幅の書画ある。
勤行の折、あるいは掃除の折その書画を子どものころから眺めてきた。
子どもの頃はその目が怖くてできるだけ目を合わせないようにしてきた。
達磨さんのようだけど…
父に尋ねることもなく過ごしてきた。
どうして達磨さんの書画がここにあるのかわからないままである。



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書画の讃が何と書いてあるか読めないままになっていた。
今回改めて、この書画に対してみた。

郭然無聖(かくねんむしょう)と記してある。
その意味は、
帝曰く「如何なるか是、真の功徳」と。師曰く「浄智妙円にして、体自ずから空寂なり。
是の如くの功徳、世を以て求めず」と。
帝、又、問う「如何なるか是、聖諦第一義諦」と。師曰く「廓然無聖」と。 
     『正法眼蔵』「行持(下)」巻

武帝が「私は長くお寺を作りお経を写させ僧を育ててきたが、どんな功徳があるのか?」
達磨が「功徳などありません」と答え、
さらに武帝が「それならば仏教の大切な真理とは何か」と聞くと、
達磨が「廓然無聖」と答えたという。
この言葉は、禅宗の初祖菩提達磨大師の言葉で、悟りの境地を一言で表わした語として知られる。
「廓然無聖」とは台風一過の青い空のように晴れやかでさわやかな境地であるそこには汚れた迷いや煩悩はひとかけらも無い、
そればかりか尊い悟りさえない。
そこはあらゆる言葉を絶した絶対的無一物の世界だ。
山川草木・花鳥風月は皆 今もその世界で生き生きといのちを輝かせている。

真宗のお寺に、禅宗の始祖、達磨大師の言葉が掲げてある。
先々代住職か、その前の住職かはわからないが、この「廓然無聖」の言葉に真宗の教えに通じるものを感じたのかもしれない。
少し破れ、シミも出ているが改めてこの「廓然無聖」の意味と達磨大師の書画を見つめている。

by shin0710s | 2018-10-22 14:46 | ことば | Trackback

ダックス5匹の愛犬と猫2匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


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