カテゴリ:遺跡( 120 )

町民俗資料館へ。

本日は、毎月1回の町民俗資料館活動である。
3年目を迎える資料館であるが、予算、人材が足りない。
本町の生活とつながってきた文化財である。
見方によるとガラクタとみなされ焼却処分されてしまう。

旧宮内小学校の教室を活用して資料館としたところである。

今日は、来館者の立場になって展示品の見直しをする。

本町は、昭和三十年代まで養蚕が盛んであった。
それだけに養蚕関係の道具が多い。
本町の人々の生活そのものであり、歴史である。




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農家にとっても養蚕は、貴重な現金収入源であり、
農家ではカイコガについては「お蚕様」と接頭辞を付けて呼称したほどである



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他にも見直さなければならないところが多い。




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月1回では無理かな。
出来ることから、できるところから、無理せずに進めていこう。




ジャスミンの得意のポーズである。



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by shin0710s | 2019-06-10 19:43 | 遺跡 | Trackback

文化財保護委員会へ。

本日は、月一回の文化財保護委員会。
午前中は会議を行い、午後からは、遺跡の現況調査に出かける。


安平の御手洗橋へ。
眼鏡橋である。
橋の上に道路が走っている。


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そして上揚の仁王堂。



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西住戦車長記念碑。


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今日はカメラの調子がよくない。
白っぽくなって使えるものが少ない。

使える改めて撮り直しに行かなければ。


by shin0710s | 2019-05-30 17:54 | 遺跡 | Trackback

有田の町を歩く。

陶器市の楽しみは、歴史の町有田を歩くこと。
今年も、陶器市よりも、裏山(?)界隈をゆっくりとカメラ片手に散策。

有田には地蔵様が多い。

中でも大きいのがこの地蔵様。



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地蔵菩薩は、釈迦入滅の後、弥勒菩薩が現われるまでの間、
六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の救済の菩薩とされ、
平安末期におこった末法思想により庶民の間に広く信仰されるようになった。




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きれいな水が流れる川に沿って歩く。



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近世には、さらにあらゆる願いをかなえてくれる仏として祈願され、
いろいろな供養塔の本尊としても用いられるようになった。
佐賀においては三界萬霊塔の上に建つものが多い。


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本町と比べると墓地も多いような気がする。


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この世のすべての霊をこの塔に宿らせ回向することによって
誰でもすべての霊を供養することができると言われ、集落の辻など多くの人から
回向をうけやすい場所に建立されている。
また、独尊像のほかに六地蔵像がある。


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有田には国指定の大きな公孫樹がある。



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本当に見事な公孫樹の大樹である。
晩秋の頃は素晴らしい姿となるのだろう。


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折角なので陶器市の片隅の様子も。
カフェ通り?


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大通りも少し。



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それでもシャッターを切りたくなるのはこんなところである。


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小さな路地裏の陶器店?
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万歩計は13000歩を超える。
よく歩いたもの。

by shin0710s | 2019-05-04 15:55 | 遺跡 | Trackback

町の文化財巡り(1)

本年度第1回の文化財保護委員会。
最初の委員会というので辞令交付並びに教育長あいさつ等
の開会式が行われた。

本年度委員が入れ替わり新しい保護委員さんと
町の主な文化財巡りを行う。


まずは津志田の板碑。
地震で倒れていたが復旧されている。


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天文20年(1551)7月8日建立。
碑銘は、無忠大徳 と記してある。

釈迦如来のキリークである。
板碑の周りには古い墓石があったが隠れてしまっている。


続いて天然記念物の麻生原の「きんもくせい」へ。
昭和9年12月28日に国より天然記念物に指定されている。



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次は緑川を渡り、早川城跡へ。



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建長5年(1253)渡辺近江守秀村が築城したもので、その後、早川氏と名乗り、
阿蘇家の家臣として使え、ここ居城していた。


ここから少し南に進むと早川六地蔵がある。



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この地蔵は、文明12年(1480)に建立されている。


同じ早川に円福寺跡阿弥陀如来像がある。
室町時代の永正10年(1513)に製作されている。



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古い資料による円福禅寺跡の阿弥陀如来像である。



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by shin0710s | 2019-04-25 18:24 | 遺跡 | Trackback

四堂崎の庚申塔

文化財保護委員会で町の遺跡等を調査し、
そのいわれ等を標柱に記し、建立している。

その一つとして、糸田四堂崎の庚申塔に標柱を建てる。



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さて、庚申塔についてであるが、ネットで調べると、


庚申塔とは,中国伝来の道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことである.
中国では,人間の体内にいる三尸の虫が,庚申の日の夜,人が寝ている間に,天帝にその人間の悪事を報告しに行くという言い伝えがある.
それを避けるために,庚申の日の夜は,夜通し眠らずに宴会をする風習を庚申講という.
庚申講が,果たしていつごろから日本で行われていたかは不明だが,少なくとも円仁が入唐するころ(平安初期)には既に行われていたらしい.
元々,貴族の間で社交の場として行われていたものが,戦国時代から徐々に庶民の間にも広まり,
16世紀ごろから庚申塔の造立が進んできたという.
一般的には,庚申講を 3 年間,18 回続けた記念に 庚申塔を造立する 3)4).
なお,俗にいう干支とは,十干(甲,乙,丙・・・)と十二支(子,丑,寅・・・)を組み合わせることで年や日を表す.
庚申とは十干の庚(かのえ)と十二支の申(さる)の組み合わせ のことである.
庚申塔の形や彫られる像や文字などは様々である.
単に庚申の文字だけが彫られている文字塔もあるが,申は干支で猿に例えられることから,
大概の庚申塔には,「見ざる,言わざる,聞かざる」の三猿が彫られることが多い.
早い時期の庚申塔は,阿弥陀如来,地蔵菩薩,大日如来,阿弥陀仏三尊などが彫られているが,
次第に庚申の本尊である青面金剛が多く彫られるようになった.
また江戸時代中期より神道の道の神である猿田彦神の信仰が加わり,猿田彦神も彫られるようになる.
これは「猿」が「申」に通じたことと,猿田彦が塞の神とも同一視された ことが原因であるという
そのため庚申塔には,道標として街道沿いに置かれるものや,村や里の境 界に造立されるものもあった
このように庚申信仰は,道教,仏教,神道に加え,修験道や日本古来の賽の神に対する信仰など多くの信仰が習合され,
まったくもって複雑怪奇な様相を呈している.

と記してあったが、あまりよくわからない。
本町にあるのはここだけであるが、ほかにもあるのかもしれない。



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by shin0710s | 2019-02-24 20:08 | 遺跡 | Trackback

1月の定例会議。

九時半より町の文化財保護委員会議。
1月の例会である。
午前中は、諸議題について検討する。


そして午後からは、文化財保護委員としての活動となる。
本日は、文化財の標柱建立。

まずは、玉堂山玉祥寺へ。日蓮宗の寺院である。
みな立派な高齢者であるが、がんばって力仕事。


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そして出来上がり。


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続いて、今は統合されてしまったが、かっての緑川中学校の場所に
標柱を建てる。


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最後は、山出(やまいで)の薬師堂へ。



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道路に面し、少し高いところに薬師堂がある。
祭日は、四月八日。


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何とか、社会教育課の職員と文化財保護委員で建立することが出来た。
すべてが手作りなのでちょっといびつなところがあるが、
それも手作りということで許してもらえたらと思う。




by shin0710s | 2019-01-28 17:20 | 遺跡 | Trackback

横田の地蔵堂。

横田部落の地蔵堂へ。
用を済ませ村中を通っていると地蔵堂があったので
寄ってみる。



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村の公民館が近くにあり、きちんと整えられ、掃除がされている。
赤い前掛けをしたお地蔵さまが六体。




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ここの六体のお地蔵さまは素朴で優しげである。かわいい、とつい思ってしまう。




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かさこ地蔵の民話に登場する「お地蔵さま」の容貌である。
地蔵菩薩は子供も知っている仏様であるが、子どもたちはお地蔵様に接する機会があるのかな。





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いつもおだやかな表情で路傍に佇むそんなお地蔵さまにまた会いに行こう。



by shin0710s | 2018-12-07 19:56 | 遺跡 | Trackback

船津阿蘇神社へ。

本日は町の文化財保護委員会議。
先日訪れた船津阿蘇神社境内にある仏像堂の
阿弥陀如来や不動明王について報告をする。

そこで会議終了後に保護委員で調査に行く。



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仏像堂の中には、来歴が分かっていない仏さま。


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1m近くの阿弥陀如来。


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木造の仏像に彩色を施してあるが、剥落している。



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不動明王と二童子像は1mを超える大きさである。




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ここの地名は坊分。
お寺にちなむ名前となっている。


本日は、船津阿蘇神社の拝殿の様子も確かめてみる。


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見事な彫刻である。この地域にはこのような彫刻に秀でた人がおられたとか。



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拝殿には、二体の像。




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して古びた額が掲げてある。
文字が読み取れない。




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更に調査が必要である。

by shin0710s | 2018-11-30 19:05 | 遺跡 | Trackback

坊分へ。

今日は、船津の坊分へお取り越。
少し時間があったので
船津阿蘇神社へ。地震で破損していた鳥居や社殿が修復されている。



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船津、世持、麻生原の氏神様である。

石段を登り社殿へ。



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修復が出来ており、懸魚や彫刻が美しい。


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境内の片隅に阿弥陀堂がある。


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ご本尊は何時の頃の阿弥陀仏か不明である。




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大きな不動明王と童子像が二体。


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それに阿弥陀仏がこれまた二体。
乾漆像?であろうか。


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ずいぶんと古い時代の菩薩像である。
ここの地名は「坊分」となっているがお寺があった場所なのか
定かでないが気にかかる。


by shin0710s | 2018-11-19 19:09 | 遺跡 | Trackback

幸野の地蔵さん。

本日は幸野部落のお取り越。
幸野部落の入り口にすっくと伸びた大きな公孫樹が黄金色に染まっている。



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木の下に海陸大明神がある。
祭神として綿津見の神と豊玉姫が祀られている。

更に村に登っていくと真新しい祠があり、お地蔵さまが祀ってある。



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村の口伝によると石井忠左衛門という人が凌雲台に創建したということ。
祭りは1月24日、7月24日。
子どもの疫病退散の霊験あらたかという。



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青空に皇帝ダリアが広がっている。


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by shin0710s | 2018-11-17 20:07 | 遺跡 | Trackback

ダックス5匹の愛犬と猫2匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


by shin0710s