カテゴリ:建物( 101 )

熊本市立博物館へ。

12月にリニューアルオープンになった熊本市立博物館へ。
maomaoが来ているのできっと喜ぶに違いないと思って出かける。



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ところが、maomaoはプラネタリウムへ。
旧博物館時代に何度も見ているので
私は、収蔵物を見て回る。

中でも本町の民俗資料館を整理しているので
展示の様子が気にかかる。


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平成も残り少ない。まして昭和はずいぶん遠くなっている。
私の子どもの時代を垣間見るような展示である。


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もちろん農機具もわかりやすいように展示してあり、
解説もいい。とても参考になる。


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さて、展示物で一番目を引くのは?
これである。



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by shin0710s | 2019-01-04 19:42 | 建物 | Trackback

光庵

茶室とは、茶事を行うための独立した部屋または建物である。

古くは茶の湯座敷,数寄屋,囲いともいい,江戸時代以降,茶室という。
草庵茶室と書院茶室に大別され,約 3m四方の4畳半を基本として,
それ以上を広間,以下を小間 (こま) という。
また客座と点前畳 (てまえだたみ) の配置,畳の数と敷き方,
炉の切り方,床と出入口の配置などによって茶室の内容が定まる。

と物の本には記してある。

さて今回はガラスの茶室へ。



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ガラスの茶室である。光の変化を楽しみ味わうことが出来る。



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ベンチが置いてあるがこれもガラスでできている。



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作者は、吉岡徳仁氏。



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吉岡徳仁氏(1967年生まれ)は、デザイン、アート、建築など幅広い領域において、
自由な着想と実験的な創作から生まれる作品により、
世界に影響を与える創り手の一人として多数のデザイン賞を受賞するなど、
国内外で高く評価されています。
 「ガラスの茶室 - 光庵」は、2011年第54回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展にてデザインが発表され、2015年に京都の天台宗青蓮院門跡境内、将軍塚青龍殿の舞台にて初めて披露されました。



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光の変化を味わうには戸外がふさわしいのだろう。
屋内では作者の意図する作品の世界が味わいにくいのかもしれない。



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外に出ると古い石碑がある。
ガラスの茶室を何とか理解しようしていた私には
ホッとする安らぎの石碑等である。





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by shin0710s | 2018-12-22 21:07 | 建物 | Trackback

見晴台駅へ。

避暑を兼ねて南阿蘇へ。
陽射しは強いものの、空気が澄んでいて木陰は涼しい。
南阿蘇鉄道の見晴台駅である。


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ちょうどトロッコ列車が到着。


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里芋畑の横を列車が通る。



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遊園地の遊具のような列車である。



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しばらく停車。
そして出発。


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ちゃんと遮断機が下りている。
観光客を乗せて高森駅へ。



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by shin0710s | 2018-07-15 22:12 | 建物 | Trackback

もう一度行きたかった。

今日も晴天。
気持ちのいい早春の日差しである。
先日行ったJA植木市、もう一度行きたかったな。

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次は5月の連休のころがバラの見ごろ。
その時に出かけることにしよう。


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ここに来たのは、9年前。
幼稚園に勤めていたころ。
お見知り遠足で園児たちときている。
遠い昔のことである。

by shin0710s | 2018-02-18 19:39 | 建物 | Trackback

台風一過。

青空が広がる。
さわやかな風がそよいでいる。
久しぶりに西港に出かける。
青空にきっと洋館が映えるはず。



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連休最後の日のためかにぎわっている。



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日差しはまだ強いものの秋風が心地よく流れている。



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コーヒーを飲みながらこの心地よさを味わうのは
この季節ならではかもしれない。



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by shin0710s | 2017-09-18 20:35 | 建物 | Trackback

熊本城へ。

山や海をやめて街中へ。
猛暑の日々なのできっと山も海も混雑しているに違いない。
ならば街中が人が少ないに違いない。
そこで、熊本城へ。

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熊本地震で大きな被害に遭った熊本城である。
その後の復旧工事もまだ緒に就いたばかり。
長塀は撤去されている。
天守閣等の工事はまだまだである。


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監物台樹木園から眺めると石垣の崩れた後に雑草が生えてきている。
何とも寂しいものである。


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伝統工芸館からは壊れていない石垣を見ることができる。


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熊本城を一周したけれど暑かった。
汗が止まらなく上着がびちょびちょである。

パパさん、どこに行っていたの。
私たち寂しかったよ。


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by shin0710s | 2017-08-12 20:10 | 建物 | Trackback

懸魚?

晴天。気持ちのいい日である。
部屋から本堂の屋根が見える。
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屋根の合わさったところにある飾りを「懸魚(げぎょ)」というらしい。


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調べてみると、

建築装飾の一つ。中国や日本の建築で,破風 (はふ) の下部内側またはその左右に六葉といわれる
金属製や木製の栓で取付け,棟木や桁の先を隠すための飾り板。
形により梅鉢懸魚,猪目 (いのめ) 懸魚,かぶら懸魚,三花懸魚などの種類がある。
当初魚をつるしたような形であったのでこの名がある。

天草市の明徳寺の懸魚

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懸魚は、火に弱い木造寺院を火災から守るため、水に縁のある魚の形をした飾りを
屋根に懸けて火除けのまじないとしたのが始まりと考えられます。
魚の身代わりを屋根に懸けることが「水をかける」という意味にも通じています。
これが魚に由来する呼び名の語源です。


有田の報恩寺の懸魚

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有田町の八坂神社。


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蓮華院誕生寺山門の懸魚。

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今まで何となく眺めていたが、改めてみてみると
その意匠がすばらしい。
お寺を訪ねるとき、この懸魚に目を向けてみよう。

by shin0710s | 2017-05-17 19:43 | 建物 | Trackback
「倉を取り壊しますので、役に立つ物があったら使ってください」
との申し出が教育委員会にあった。
昨年の熊本地震によるほぼ全壊の持ち主からである。
農家であり、農作業の道具や養蚕の道具が倉においてあったそうである。
やっと取り壊しのめどが立ったそうである。
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古い家屋なので地震の影響がもろに出ている。
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用心しながら二階の登る。
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会席膳や大きな長持ちがある。
また、養蚕の大きな桑の葉を入れる籠がある。
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戦前戦後の農業の歴史がこの倉にある。
是非活用したい。
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by shin0710s | 2017-04-07 19:10 | 建物 | Trackback

文化財の現状(2)

担当の乙女校区には、村の人々が大事に伝え保存してきたお宮や石碑等がある。
船津山口にある山上神社(山の神)を祭ってある。
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そして世持には、天神社や妙見社がある。
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妙見社の祭神は、タカミムスビの神。
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どんな神様かよくわからない。
また地震で崩れてしまっている地蔵堂もある。
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さて、地震の時我が家のワン公はどうしていたかな?
全員固まっていたように記憶するがどうだったかな。
ジャスミン、どうしていた?
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by shin0710s | 2017-03-02 20:18 | 建物 | Trackback
阿蘇内牧の的石の茶屋は、細川家の参勤交代時の茶店として有名である。
ところが、南関に御茶屋跡がある。
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細川家の参勤交代時の御茶屋である。
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屋根瓦には細川家の紋がある。
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確か阿蘇から大分に抜けていたと思っていた。そこで調べてみると、

細川家の参勤交代は、熊本藩主は豊後街道阿蘇大分経由)を通ることが通例であったが
元禄年間からは豊前街道も利用している。
元禄元年(1688)から文久3年(1863)までの参勤交代では豊前街道は参勤47回、帰国14回、
豊後街道は参勤27回、帰国63回が利用されている。
このように豊前街道は参勤に多く用いられ、帰国には圧倒的に豊後街道が用いられていた。
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南関御茶屋(御客屋)は、嘉永3年(1850)8月に起工して、嘉永5年(1852)正月頃に完成したもので、藩主が参勤交代する時や領内巡視の際に休憩、宿泊していたものです。古文書によると、それまでの御客屋(南関町公民館付近)が古く狭い上に間取りが悪く、藩主休泊の時に混雑するという理由で現在の地に建て替えが行われました。財源の一部には富講の売上金が充てられました。 建物は、南北に長い造りで、北から御居間、御次の間、三の間と配されており、屋根には細川家の九曜紋をあしらった鬼瓦や軒瓦が葺かれております。居間の正面から南関冨士とも言われる大間山が見えます。通常御茶屋と御客屋は別々に存在しておりますが、南関の場合はひとつの建物を御茶屋とも御客屋とも呼んでいたようです。(豊前街道を行く)より

今、御茶屋では、雛飾りがされている。
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寄付をしていただいたので、この雛祭りの時期に飾るそうである。
柳川、八女に近いので、「ぼんぼり」や「箱びな」が飾られにぎやかである。




by shin0710s | 2017-02-26 22:44 | 建物 | Trackback

ダックス5匹の愛犬と猫2匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


by shin0710s
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