カテゴリ:真宗( 46 )

業を尽くす

叔父さんが亡くなられた。
大正14年生まれ、94歳の生涯であった。



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叔父の娘たちとは、子どものころからずいぶん遊び、仲良く過ごしていた。
ダンディーな叔父であった。
龍谷大学入試の折には、泊めていただいて、夫婦で
京都の試験場まで連れて行ってもらい、
試験が終わるまで付き添ってもらった。
どんなことを話したのか覚えていないが、
試験場に向かう高速道路の景色が目に浮かぶ。


半世紀も昔のことなのに、緊張していたその時の様子を思い起こすことが出来る。
その後退職し、本町に帰ってこられ、私の両親と叔父夫婦は
お寺のことあるいはその他のことで一緒に行動されていた。
とくに母と伯母は、年齢が同じであり気があったみたいで三日もあけずに
共に活動されていた。

私が自動車事故にあった時は、間に入って
労を惜しむことなく解決に骨を折って頂いたこともある。


生きるというのは、「業を尽くす」ことである、
尊敬する先生に教えていただいた言葉である。
生老病死、どれをとっても自分で好きなように選ぶことはできない。
選ぶことはできないが、喜ぶことはできる、とこれもまた先生の言葉である。
今を喜ぶことが出来ないならば、過去は、愚痴のオンパレードである。
逆に今を喜ぶことが出来るならば、過去の全てが必要不可欠の出来事である。
今を喜ぶには、今の私を問うこと。後生の一大事とは、である。
私たちが後生の一大事をたずねるということは、老・病・死という事実を受け止め、
しかもなお確かな歩みを歩みきっていけるそのような道を尋ねるということである。
叔父の命を懸けた最期のお話として心に残しておきたい。

鈴木章子さんの詩から

「死」

「ただいま」と戸をあけたら
「いやあ おかえり」と
みんなが声をかけてくれそうな
死とはそんな気がします
“いのち分けあいし者
また再び ここに会える“
どこかで聞いた言葉だけれど
まさにピッタリ…

章子さんがこの詩にたどり着くまでには、悪戦苦闘の歴史がある。
耳にやさしく入ってくるけれど、自分自身と向かい合い、凝視し続けてこられた
日々があった。

鈴木(すずき)章子(あやこ)さんは、北海道の真宗大谷派西念寺の坊(奥様)でした。

42歳の時に乳癌が見つかり、その後肺などに転移し、5年間の闘病生活の後、

昭和63年に47歳で命終されている。

章子さんは闘病中に四人の子供達へ詩を残されている。




by shin0710s | 2019-08-23 18:31 | 真宗 | Trackback

寺子屋法座第2回

本日は雨。
今日、明日と雨になるらしい。
それに台風22号が近づいているので心配である。
さて、本日は寺子屋法座の2回目。

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住職が講師になって法話をする。
「ブッダ」の生涯に学ぶと題して今日は、
「発心(悩む)」を中心にして話をしてくれた。


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このような小さな法座で語り合ったのは、大学生のころ。
「歎異抄」そして「正信偈」について一生懸命に調べ、発表して、意見を出し合っていた。
二十代前半のころである。
それから40年以上もたっている。
  


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そのころと今とを比べるとどんな違いがあるのだろうか。
もちろん体等の表面的なものは大きく変化している。
仏法を聞く、ということについては、少しも変化していない。
変わらないまま今日の日を迎えている。
一番問われるのは私自身の「後生の一大事」なのだ。




by shin0710s | 2017-10-28 20:27 | 真宗 | Trackback

おあさじ。

真宗においての毎朝のおつとめを「おあさじ」という。
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正法寺でも、おあさじにおいては『正信偈』『御文章』,
和讃などを読誦する。
仕事を辞めて以来、寺の副住職として、月、火、水の三日間を担当している。
御門徒の方が参拝しやすいように午前8時半からのお勤めである。
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昨日のおあさじは、 礼讃文(らいさんもん)である 三帰依文 ( さんきえもん )を。

人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身今生において度せずんば、さらにいづれの生においてかこの身を度せん。大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。
・自ら仏に帰依し奉る。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解して、無上意をおこさん。
・自ら法に帰依し奉る。まさに願わくは衆生とともに、深く 経蔵に入りて、智慧海のごとくならん。
・自ら僧に帰依し奉る。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して、一切無碍ならん。
無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇うこと難し。我いま見聞し受持することを得たり。願わくは如来の真実義を解したてまつらん。


そして正信偈の読経となる。
引き続いて御和讃になる。それが終わると御文章を拝読する。
昨日は、
   南無阿弥陀仏と申すは いかなる心にて候や、しかればなにと
   弥陀をたのみて 報土往生をばとぐべく候やらん。

   これを心得べきようは まず、南無阿弥陀仏の六字のすがたを
   よくよく心得わけて弥陀をばたのむべし、そもそも、
   南無阿弥陀仏の体は すなわちわれら衆生の 後生
   たすけたまえとたのみもうす心なり。

   すなわちたのむ衆生を 阿弥陀如来のよくしろしめして
   すでに無上大利の功徳をあたえましますなり。これを、衆生に
   回向したまえるといえるは この心なり。

    されば、弥陀をたのむ機を 阿弥陀仏のたすけたもう法
    なるがゆえに、これを機法一体の南無阿弥陀仏といえるは
    このこころなり。

    これすなわちわれらが往生の定まりたる 他力の信心なりとは・
    心得べきものなり。あなかしこ、あなかしこ。


そして合掌礼拝でお勤め終了。
その後、内陣の親鸞聖人、蓮如上人 七高僧 最後に聖徳太子に合掌礼拝して
お晟朝(あさじ)終了である。
この後、御門徒の方が参拝しておられたら、しばらくお話をして過ごすことになる。
午前8時半の「おあさじ」は昨年の6月から始めている。
約30分くらいの時間を掛けての勤行である。
by shin0710s | 2016-09-08 21:52 | 真宗 | Trackback

日想観。

晴天にはなったもの安定しない一日であった。
何度か激しい雨に見舞われる。
それでも夕暮れ時は夕焼けになっている。
遠く、島原の普賢岳が赤く染まっている。
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近くは、金峰山が夕焼けに染まる。
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仏説感無量寿経に日想観の言葉が出てくる。
西に沈む太陽を見て,その丸い形を心に留める修行法。
極楽浄土を見る修行の一部で,観無量寿経に記される。


太陽が沈む西の方を向き、心を静めてその落日をゆっくりと観て
沈みきった後もその姿を明瞭に見ているかのように観想することである。
それは、目を閉じていても開けていても観ることができることを諭す。
ものの本質というのは肉眼をもって見える見えないを問題とすることではないようである
by shin0710s | 2015-07-14 22:20 | 真宗 | Trackback

家族葬で。

本日は葬儀。
家族葬である。
法名「釈清静(しゃくしょうじょう)」
91歳の生涯であった。
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大正11年生まれ。
子どもは3人。
一人は,2歳?で亡くなる。
その後旧姓に戻っている。

そして長女とともに過ごしてきている。
病気がちであったと聞いているけど91歳まで生きることが出来ている。

家族葬なので兄妹二人とその家族、それに実家のお寺の住職。
そして妹。
小さな小さなお葬式であった。
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幼いひ孫たちも参列。
maomaoも。
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遺骨は実家のお寺に葬られる。
by shin0710s | 2013-06-13 22:00 | 真宗 | Trackback

盂蘭盆会。

初盆へ。
妹のお父さんの初盆である。
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私の地方は、7月がお盆。
お参りに行く。
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私の娘たちを本当によくかわいがってくれた。
その娘の35歳。
30年ほど前は、子ども同士でよく遊んでいた。
少し前のことだと思っていたがもう30年近くが過ぎ去り、
娘の子どもがそのときの年齢になっている。

ところでここには、我が家からワン公がお嫁入り?
している。
コモモである。
コウメの娘であり、コマメと姉妹である。
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外でのスナップ。
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マッキーは3歳。
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by shin0710s | 2012-07-15 20:42 | 真宗 | Trackback

ひな祭り。

2月も中旬を過ぎると各地から「雛祭り」の便りが届く。
またそれぞれの家庭において雛飾りがなされている。
昨年は幼稚園でひな人形を飾りお茶会を催していた。
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二十四節気の一つの節目に娘の安穏を願う親の気持ちと相まって
雛祭りが盛んになってきたのだろう。
そして日本人の美意識が今のひな人形の姿となってきたに違いない。
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三人娘を育てたが、我が家にはお雛様はない。
雛祭りの始まりは、「流し雛」であると聞いていたので、私の中の
宗教観がひな人形を飾ることに対して抵抗感があった。
流し雛は人形(かたしろ)で自分の体をなでそれを川は海などに流して
穢れを祓う風習である。
穢を祓う。この災厄祓いを受け止めることができなかった。

真宗の教えは、このような習俗に対してきわめて厳しい。我が娘の健やかな成長
を願う素朴な思いも許されぬこととしてとらえていた私である。
ひな人形を飾らなくても本堂に行けば、ありがたい阿弥陀様に会えると…
人は願いを持たずには生きられない存在である。その願うことすら、
煩悩のなせるわざととらえる真宗の教えてある。

素朴な親の我が子への思いはそのまま受け止めていいのではないか…と思う
ことができるようになったのは、50歳を超えてである。

そんな中で最初に足を運んだのは、八女の「ぼんぼり祭り」である。
それぞれの家にあるひな人形を飾ってあった。
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「これはお母さんの…、そしてこれはおばあちゃんの…」
と語ってくれたことを思い出す。
それぞれの家庭で我が子や我が孫を慈しみ育ててこられた思いが
そのひな人形に込められている。
人々の素朴な思いに寄り添うこともまた真宗の教えである。

今年もまた各地の雛祭りに出かけることになるだろう。
by shin0710s | 2012-02-20 18:59 | 真宗 | Trackback

その眼差しの先には?

すっかり懐いたルラン。
いつもまつわりついている。
そのルラン、庭石にたたずみ何を思う?
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その先には?静かな世界か?
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それとも
興味をそそるもの?
獲物を求む目?
その眼差しは、若い頃の野心にあふれていた私の眼差しかもしれない。
そして今、でき得れば野心を捨て、日々をあるがままに眺める
眼になれたらと思う。
たとえば羅漢様のような眼差しを。
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真実を見抜く不動明王のような眼差もいいのかもしれないが
私には、真実なるものは何もない。
当然不動明王に畏怖する私がいる。
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by shin0710s | 2011-06-14 22:56 | 真宗 | Trackback

結婚式とは?

お隣のお寺の結婚式へ。
住職は私の従兄弟であり、式からの参加となった。
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正午。行事鐘を合図に式が始まる
浄土真宗における結婚式は、

新郎新婦が出遇った因縁の尊さを味わい、お互いの理解と尊敬と責任のもとに
生きることを仏祖に奉告し、慈悲の光に包まれて敬愛和合の新しい家庭生活を
送ることを誓い合う大切な門出の儀式です。
また、同時に仏前での誓いを親族や友人、知人がともにかみしめ、祝い、
ふたりの門出を多くの人に認めてもらう大切なものでもあります


新郎新婦入堂。
司婚者入堂。
そしてお勤め。
記念念珠授与。
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焼香。
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司婚者法話。
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こうして「婚礼の儀」は終わり次は「式杯の儀」。
最後は、記念撮影で結婚式は終了である。
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一番ほっとしたのは、住職である従兄弟であろう。
by shin0710s | 2011-02-14 10:19 | 真宗 | Trackback

報恩講2日目。

曇り時々雨。
本堂のなかは暖かい。
まずは、お勤め。
そしてお説教である。
親鸞聖人の遺徳をしのんでの法要である。
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「おのおの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、
たづねきたらしめたまふ御こころざい、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり」
歎異抄の第二章冒頭の文である。
命をかけて往生極楽の道を求めていった700年前の人々の思い
を今生きている私たちがどう受け止めるか、それが難しい。

豊かになれば幸せになれると思い私たちは生活を豊かにしてきた。
節約して、お金を貯めてどうしてもほしい、あれさえあれば楽にできる
幸せになれると考えていた洗濯機や水道設備。
それにガス器具。
生活する上ですべてのことがほぼそろってきた。ブランドものや高級なものは
ないけれど本当に生活するに必要なものはある。
それなのに、本当に幸せだといえるのか。
そのことへの問いが「往生極楽への道」と重なる。

お斎きをいただきながらお話をきく。
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お参りにきておられるお年寄りの方々は、70歳から80歳の女性の方が多い。
結婚した頃のことを話されるとき水の苦労が一番であったといわれる。
何をするにも水が必要。
水道があるわけではないので井戸からくんできていた、と。

炊事も洗濯もお風呂も水なしには成り立たない。
一日の仕事が終わってお風呂にはいるときは、お湯も少なくなり
そしてぬるくなっていた、と。

それが今では蛇口をひねるだけで熱いお湯が出てくる。
幸せな生活のはずではあるが…
おばあちゃんたちは夫婦二人か一人暮らしが多い。
門徒さんの半分くらいは、そのような暮らしである。
幸せとは何か?往生を遂げるとは、本当の幸せを得る、ということであろう。
お話をしながら、自分自身に本当の幸せとは何かと問うている私であった。


散歩に行くと笑顔になる?
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スミレもそうだろう?
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by shin0710s | 2011-01-09 14:54 | 真宗 | Trackback

ダックス5匹の愛犬と猫2匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


by shin0710s