カテゴリ:ことば( 98 )

樹木希林さんの言葉が心に残っている。
「人間は自分の不自由さに仕えて、成熟している」
の言葉である。



今年は、多くの場所で彼岸花を見ることが出来た。


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毎年この季節になると忘れることなくその姿を見せてくれる。
その姿は、田んぼの道端や道路の端。また人の手により、道路に沿って
見栄えがいいように並んでいる。



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今年は、八女福島八幡宮の境内に紅白の彼岸花が見事に咲いていた。




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ところで彼岸花の別名は余り芳しいものではない。
・死人花 【しびとばな】
・地獄花 【じごくばな】
・幽霊花 【ゆうれいばな】
・毒花 【どくばな】
・痺れ花 【しびればな】
・天蓋花 【てんがいばな】
・狐の松明 【きつねのたいまつ】
・狐花 【きつねばな】
・曼殊沙華【まんじゅしゃげ】

なぜこのような名前が付けられたのだろうか。
彼岸花には毒があるのでモグラなどを墓地に近づけさせないように植えられたというものがあるらしい。
このため「墓地」のイメージから死人花や幽霊花などの別名がついたと思われる。 また彼岸花には毒がある。
そのことから毒花、痺れ花という別名がついているようである。


ただ曼殊沙華の別名は、仏教で伝説上の天の花でもある。サンスクリット語 majūṣakaの音写。
純白で,見る者の悪業を払うといわれ,天人が雨のように降らすという。

ところで、彼岸花の毒はアルカロイドという毒で、水にさらして取り除くことが出来る。
毒を取り除いた彼岸花は飢饉や災害時などに使われる代用食物として救荒食(きゅうこうしょく)にもなっている。



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こうしてみると彼岸花の別名は、人間の生活の日々の生活の中から生まれてきたものであることがよくわかる。


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さて樹木希林さんの言葉は、以下の言葉からその意味を知ることが出来る。

樹木希林さん「難の多い人生は、ありがたい」から


石井 私が取材したいと思ったのは、映画『神宮希林』のなかで、夫・内田裕也さんについて「ああいう御しがたい存在は自分を映す鏡になる」
と話していたからなんです。これは不登校にも通じる話だな、と。
樹木 あの話はお釈迦さんがそう言ってたんです。お釈迦さんの弟子でダイバダッタという人がいます。
でも、この人がお釈迦さんの邪魔ばっかりする、というか、お釈迦さんの命さえ狙ったりする。
お釈迦さんもこれにはそうとう悩んだらしいですが、ある日、「ダイバダッタは自分が悟りを得るために難を与えてくれる存在なんだ」と悟るんです。
私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、私にとってはありがたい存在です。
ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、難が有る、と書きます。
人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか。
今日、みなさんから話を聞きたいと思っていただけたのは、私がたくさんのダイバダッタに出会ってきたからだと思います。
もちろん私自身がダイバダッタだったときもあります。
ダイバダッタに出会う、あるいは自分がそうなってしまう、そういう難の多い人生を卑屈になるのではなく受けとめ方を変える。
自分にとって具体的に不本意なことをしてくる存在を師として先生として受けとめる。
受けとめ方を変えることで、すばらしいものに見えてくるんじゃないでしょうか。
病気になって年を取って。

石井 そう思うきっかけはなにかあったのでしょうか?

樹木 やっぱりがんになったのは大きかった気がします。ただ、この年になると、がんだけじゃなくていろんな病気にかかりますし、不自由になります。
腰が重くなって、目がかすんで針に糸も通らなくなっていく。
でもね、それでいいの。こうやって人間は自分の不自由さに仕えて成熟していくんです。
若くても不自由なことはたくさんあると思います。
それは自分のことだけではなく、他人だったり、ときにはわが子だったりもします。
でも、その不自由さを何とかしようとするんじゃなくて、不自由なまま、おもしろがっていく。
それが大事なんじゃないかと思うんです。





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田圃のあぜ道に咲く彼岸花も社寺の境内に咲く彼岸花もその姿は美しい。
場所を選ばず、不自由さがあってもその場所で見事に花を咲かせている。
まさに「曼殊沙華」である。


by shin0710s | 2018-09-24 18:45 | ことば | Trackback

和顔愛語

プチ帰省した長女の言葉が耳に残っている。
「年を取ると、自分では気づかないが、自分の顔が怖くなっている。」
若いころは、肌もつややかであり、髪も勢いがある。
目も輝いており、全身が生気あふれて、明るく動きも軽やかである。
青春の言葉のとおり、まさに春の息吹あふれる輝きである。
それが、年齢とともに、体力が少しずつ落ち、肌もくすみはじめ、
目の周りだけでなく、あちこちのしわも増えてくる。、
少しずつあふれ出ていた生気が失われていく。

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そこにはどんな顔が現れているのだろうか。
毎日鏡で見る自分の顔に、変化を見つけることは難しい。
しかし写真に映し出された自分の顔に驚く。
確かに衰えという変化が出ている。
「劣化した」などという言葉も聞くことがある。


ところで、その年齢になっても確かにはつらつとした容姿を保っている
人もいる。
目に輝きがあり、表情も豊かである。
思わず引き込まれる笑顔を持つ人である。


第16代アメリカ大統領リンカーンの有名な言葉に
「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」がある。
この言葉の由来は
閣僚を選任するにあたり、その後任の候補として、ある人物が推薦さた。
「その人は大変有能な人であり、是非に!」との強い思いが推薦人にはあったのだそうである。
ところが、彼と会ったリンカーンは採用しなかった。
後日、なぜ彼を採用しないのか、と推薦人から詰問されたとき答えたのが
「顔が悪すぎる。40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持ちなさい」の言葉だという。


人間、40歳も過ぎれば、その人の品性や知性、考え方がそっくり顔に表れるそうである。
どのような人生を歩んできたのか、つまり、日々の場面、場面で何を考え、どう行動してきたか、
それらの積み重ねによって人の内面で育まれてきたものが、「顔」に滲み出てくる、ということのようである。
・思いやりのある人は、やさしい顔に。
・明るく前向きの人は、ほがらかな顔に。
・意思の強い人は、しっかりとした顔に。
・性根の悪い人は、悪人顔に。
などがあげられるであろう。
年齢とともに顔は変化していく。その変化は生きていることの証であるが、
そのまま放置しておくと若いころの顔とはずいぶん変わっていく。
しわは増え、顔の筋肉の動きも変化するはずである。


仕事などの人間関係で厳しい顔になっていく。
もちろん笑顔も出てくるだろうが、仕事上あるいは家庭的なことでも責任が重くなってくる。
そうすればどうしても長女の言葉ではないが、
「年を取ると、自分では気づかないが、自分の顔が怖くなっている」
となるような気がする。

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玄関の扁額「和顔愛語」は
浄土三部経の『仏説無量寿経』の中にある言葉である。法蔵菩薩が積まれた菩薩行のひとつとして、
「和顔愛語にして、意(相手のおもい)を先にして承問す」即ち、
相手の身になって和やかで穏やかな笑顔と慈愛に満ちたあたたかい言葉を発し、
相手の気持ちを慮って先んじて動くこと、仏の智慧に支えられた菩薩はこのような生き方をされると説かれている。


・思いやりのある人は、やさしい顔に。
・明るく前向きの人は、ほがらかな顔に。
とありたいものであるが、日々の暮らしの中では、これがなかなか難しい。
一つの言葉で喜怒哀楽の心の変化が起こる私である。


日々扁額の言葉「和顔愛語」を目にしているのだが。

by shin0710s | 2018-09-11 20:26 | ことば | Trackback

願わざれども…

終日の雨。
梅雨の末期には、激しい雨になりがちであるが、
本日は、大雨警報が本町にも出されている。

一応家の周りを見て回る。
見て見ぬふりをしていた裏庭。

願わざれども草は生え、


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見事な雑草園となっている。
雨が降れば、濡れて大変だから今日は止めよう。
晴れれば、今日は暑くて病気になったら大変だから止めよう。
と、自分に言い訳しながら先送りしてきた結果である。


願えども花は散る

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さらに次の言葉は、


今日一日の実行こそが 
人生のすべてである

となっている。
さて、私の日々の暮らしはどうであろうか。

by shin0710s | 2018-07-06 20:18 | ことば | Trackback

私の心では…

あるお寺の掲示板の言葉である。
「私の心では、私の心をどうすることも出来ない」


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この言葉は私に何を問いかけているのか?
私は、私の主であり、主人公である。
何もない平穏な日々の中では、私の心の葛藤が表に出てくることはない。
ところが、私の意に染まぬ出来事に出会うと途端に怒りや悲しみ、苦しみが出てくる。
そうなるとどうにもわが心を制御できなくなってしまう。
そんなことたいしたことではない、誰にでもあること。そんなことに振り回されるなどおかしいと自分に言い聞かせても
どうにも心が落ち着かない。

さて、この言葉は、私にどうあれと呼び掛けているのだろうか。



木の下のワン公はチョコ太。
今日は体を洗ってすっきりしている。


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by shin0710s | 2018-05-24 19:12 | ことば | Trackback

麦秋

麦秋とは初夏の季語である。
田圃の麦も実っている。
それにしても今日も暑かった。
三十度を超える真夏日である。


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麦の穂が成熟する五月から六月頃をいう。日に輝く黄金色の穂は
美しく、麦畑を風がわたるときの乾いた音も耳に心地よい。

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そしてグミも熟している。



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透き通ったグミの実が光を受けて輝いている。


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こちらは、コスモス。


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季節外れであるが、何でもありの初夏の一日。


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by shin0710s | 2018-05-16 20:24 | ことば | Trackback

終日の雨

朝から雨。
晴耕雨読には程遠い生活であるが、
本日は、気の置けない仲間との三人会。
正午から食事そして4時近くまで。
健康、教育、政治、宗教、生き方等多岐にわたる語り合い。
何か結論を出すわけではなく、語り合う中から、自分の琴線に触れる
言葉を大事にしている。
話を聞くこと、語ることの中から自分自身への発見がいくつも出てくる。
20年来の友である。

最近読んだ本から、心に残った文章を述べていった。


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知的な欲求こそ人間の最も人間らしい特色であり、実は今こそ、
これまで以上に求められているのではないか


老人になったこと、爺や婆になったことを本当に喜ぶためには二つの条件が必要。
一つの若いときに苦労して働き、一家を支える責任を負ってきたという過去があること。
もう一つは「家」の制度に信頼感が持てること。

この先の人生、そしてその先にある死を、見すえて生きていかざる得ないのがシニア世代。

渡辺昇一さんの言動には違和感を覚えることも多いが、
この新書には示唆に富む言葉が多い。

庭には知らないうちに花を咲かせている。
紫蘭の明るさから、この季節になると元気をもらうことになる。

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by shin0710s | 2018-05-02 20:11 | ことば | Trackback

今日はお休み

朝のおつとめを終えるとあとはのんびり。
境内にところどころに草が生えてきている。


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草取りをと思ったけど、ちょっと寒そうなので今日は中止。
もう少し伸びてから草取りだな。

今日はお休み。
言葉遊びから。


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by shin0710s | 2018-03-07 20:03 | ことば | Trackback

古稀と呼ばれる年齢。

眺世会と名付けて月一回ほどの食事、雑談、諸研修を続けている。
同年代で同じ職業であったので健康、生活、精神衛生等を話題にしながら
明日への活力につなげている。
あってまず出てくるのは、自分のことを含めての健康話題。
70年近く酷使してきた心身である。
あちこちに軋みが出てくるのは仕方ないが、若い時代は気づくことのなかった
不具合である。その対応、対処の仕方が非常に役に立つ。



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あるお寺の通信に心に響くものがあった。


「年はとりたくないねぇ~」
日々、お参りに伺う中でよく聞くフレーズです。
人間の細胞は20歳を超えたら段々と減っていくそうです。
ですから20歳を超えたら、年をとるということは「今までできたことが、今まで通りにできなくなる」ということです。
そりゃ、年をとることは誰もが嫌なはずです。
しかし、和田稠(わだしげし・僧侶)はこう申します。
『老いにも功徳がある。若い時は、あれもしたい、これもしたい、あれもできるはずだとウロウロしている。
しかし、老いることによっていろいろなことを次から次と断念させられていく。
だからこそ、はじめてこれだけは私にとって断念することができないという一番根本の願いがはっきりしてくる。』

 年を重ねることによって私が本当にやりたいこと、本当の願いがはっきりしてくることが
老いの功徳であると言うのです。
曽我量深(そがりょうじん・僧侶)は、81歳の誕生日の時にこんな挨拶をされました。
『初めて81歳になりました。今までわからなかったことが、わかるような気がしています。』
81歳の誕生日は81年かけなければ迎えることができない、初めて経験する81歳の誕生日です。
もっと言えば、毎日が初めて迎える今日一日であるのです。
そして、81年の歳月をかけたからこそ、わかってくることがあるのではないかと言うのです。
目が見えにくくなったからこそ、見えてくる世界があり、
耳が遠くなったからこそ、聞こえてくる世界がある。
年を重ねたからこそ、感じられる世界があるはずです。

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若い時も今も一日は24時間である。若い時代は、身体が充実し、やりたいこと、できることが数多くあった。
そしてそれにチャレンジしてきた。すべてができたわけではないが、もう少し頑張ればできるかも、できたかも
と思うことが数多くあった。
さて、今はどうであろう。走ること、立ち上がること、引っ張ることそして押すこと等
かっての能力の数分の一になっている。
目が見えにくくなったからこそ、見えてくる世界があり、
耳が遠くなったからこそ、聞こえてくる世界がある。
年を重ねたからこそ、感じられる世界があるはず。
そう考えると年を重ねることが楽しみになってくる。



by shin0710s | 2017-11-08 15:23 | ことば | Trackback

木守り柿

今年は我が家の柿が豊年であった。
昨年はほとんどならなかったのだが。
「がんざん」と呼ばれている柿である。
子供のころから甘柿のことを「がんざん」と呼ぶと思っていたが
「がんざん」とは甘柿の一つらしい。
お寺の境内には、「こはる」と呼ばれる甘柿がある。
こちらな11月の中旬ごろが食べごろである。

さて、我が家の「がんざん」は生前母が、私が柿が好きなので植えてくれたもので
10年ほどになる。
今年は豊年だったので、毎日のように食べていた。
それも3個ずつ。
それに小ぶりで傷がついた柿の実は、ワン公におすそ分け。
私もワン公たちも今日も元気に過ごすことができるのは、柿の実のおかげか。



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長きにわたって食べ続けた柿の実も残り少なくなった。
そこで来年に備えて、いくつか残している。
「木守り」というらしい。
最近は、いくつかどころか、ちぎることなく全て落ちてしまっている近隣の柿であるが。



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ところで「木守り」とは、あるお寺の法話に

…「あれは、木守り(きもり)とか木守り(きまもり)といいましてね、
来年もよく実りますようにとお願いをするおまじないで、木のてっぺんに残しておくのです。」
なるほど、何てゆかしい習慣であろうと感心していると、つづいて言葉がありました。
「それとですね、何もかも私たち人間が奪い取って食べてしまうのではなくて、
これから食べ物の少なくなる冬に、きっと苦労するに違いない野山の鳥たちに
残しておいてやろうという心づかいでもあるのですね。」…

とあった。母が植えてくれていた柿の木である。
自然の恵みに感謝し、小さな小鳥の命のためにと願うことは、母の思いに
添うことであろう。


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by shin0710s | 2017-10-29 21:14 | ことば | Trackback
サクラとスミレは三女のワン公。
今は白秋家に居候しているが、来週からは、二匹一緒の
生活がまた始まる。
長年一緒にいるので仲よく過ごすことができている。


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3週間ほど入院して健康のありがたさ、自由に動くことのできるすばらしさを
改めて知ることになった。
退院した後も体調が元に戻るためには若い時代と違ってかなりの時間が必要なことも。

それまで手術が必要になる病気や怪我をすることがなかった。
当然入院したのは健康診断の時だけである。
健康であることを自慢することはなかったが病気や怪我等で入院されている
人への思いやりなどは、本当に軽いものであったことがよくわかる。

第百十七段 友とするにわろき者

 
  友とするにわろき者、七つあり。一つには、高くやんごとなき人。

二つには、若き人。三つには、病なく身強き人。四つには、酒を好む人。


五つには、猛く勇める兵(つわもの)。六つには、虚言(そらごと)する人。七つには、欲深き人。


よき友三つあり。一つには、物くるる友。二つには、医者(くすし)。三つには、智慧ある友。


さすが兼好法師である。


by shin0710s | 2017-07-16 20:59 | ことば | Trackback

ビーグル1匹、ダックス5匹の愛犬と猫2匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


by shin0710s
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