カテゴリ:ことば( 96 )

願わざれども…

終日の雨。
梅雨の末期には、激しい雨になりがちであるが、
本日は、大雨警報が本町にも出されている。

一応家の周りを見て回る。
見て見ぬふりをしていた裏庭。

願わざれども草は生え、


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見事な雑草園となっている。
雨が降れば、濡れて大変だから今日は止めよう。
晴れれば、今日は暑くて病気になったら大変だから止めよう。
と、自分に言い訳しながら先送りしてきた結果である。


願えども花は散る

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さらに次の言葉は、


今日一日の実行こそが 
人生のすべてである

となっている。
さて、私の日々の暮らしはどうであろうか。

by shin0710s | 2018-07-06 20:18 | ことば | Trackback

私の心では…

あるお寺の掲示板の言葉である。
「私の心では、私の心をどうすることも出来ない」


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この言葉は私に何を問いかけているのか?
私は、私の主であり、主人公である。
何もない平穏な日々の中では、私の心の葛藤が表に出てくることはない。
ところが、私の意に染まぬ出来事に出会うと途端に怒りや悲しみ、苦しみが出てくる。
そうなるとどうにもわが心を制御できなくなってしまう。
そんなことたいしたことではない、誰にでもあること。そんなことに振り回されるなどおかしいと自分に言い聞かせても
どうにも心が落ち着かない。

さて、この言葉は、私にどうあれと呼び掛けているのだろうか。



木の下のワン公はチョコ太。
今日は体を洗ってすっきりしている。


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by shin0710s | 2018-05-24 19:12 | ことば | Trackback

麦秋

麦秋とは初夏の季語である。
田圃の麦も実っている。
それにしても今日も暑かった。
三十度を超える真夏日である。


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麦の穂が成熟する五月から六月頃をいう。日に輝く黄金色の穂は
美しく、麦畑を風がわたるときの乾いた音も耳に心地よい。

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そしてグミも熟している。



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透き通ったグミの実が光を受けて輝いている。


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こちらは、コスモス。


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季節外れであるが、何でもありの初夏の一日。


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by shin0710s | 2018-05-16 20:24 | ことば | Trackback

終日の雨

朝から雨。
晴耕雨読には程遠い生活であるが、
本日は、気の置けない仲間との三人会。
正午から食事そして4時近くまで。
健康、教育、政治、宗教、生き方等多岐にわたる語り合い。
何か結論を出すわけではなく、語り合う中から、自分の琴線に触れる
言葉を大事にしている。
話を聞くこと、語ることの中から自分自身への発見がいくつも出てくる。
20年来の友である。

最近読んだ本から、心に残った文章を述べていった。


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知的な欲求こそ人間の最も人間らしい特色であり、実は今こそ、
これまで以上に求められているのではないか


老人になったこと、爺や婆になったことを本当に喜ぶためには二つの条件が必要。
一つの若いときに苦労して働き、一家を支える責任を負ってきたという過去があること。
もう一つは「家」の制度に信頼感が持てること。

この先の人生、そしてその先にある死を、見すえて生きていかざる得ないのがシニア世代。

渡辺昇一さんの言動には違和感を覚えることも多いが、
この新書には示唆に富む言葉が多い。

庭には知らないうちに花を咲かせている。
紫蘭の明るさから、この季節になると元気をもらうことになる。

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by shin0710s | 2018-05-02 20:11 | ことば | Trackback

今日はお休み

朝のおつとめを終えるとあとはのんびり。
境内にところどころに草が生えてきている。


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草取りをと思ったけど、ちょっと寒そうなので今日は中止。
もう少し伸びてから草取りだな。

今日はお休み。
言葉遊びから。


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by shin0710s | 2018-03-07 20:03 | ことば | Trackback

古稀と呼ばれる年齢。

眺世会と名付けて月一回ほどの食事、雑談、諸研修を続けている。
同年代で同じ職業であったので健康、生活、精神衛生等を話題にしながら
明日への活力につなげている。
あってまず出てくるのは、自分のことを含めての健康話題。
70年近く酷使してきた心身である。
あちこちに軋みが出てくるのは仕方ないが、若い時代は気づくことのなかった
不具合である。その対応、対処の仕方が非常に役に立つ。



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あるお寺の通信に心に響くものがあった。


「年はとりたくないねぇ~」
日々、お参りに伺う中でよく聞くフレーズです。
人間の細胞は20歳を超えたら段々と減っていくそうです。
ですから20歳を超えたら、年をとるということは「今までできたことが、今まで通りにできなくなる」ということです。
そりゃ、年をとることは誰もが嫌なはずです。
しかし、和田稠(わだしげし・僧侶)はこう申します。
『老いにも功徳がある。若い時は、あれもしたい、これもしたい、あれもできるはずだとウロウロしている。
しかし、老いることによっていろいろなことを次から次と断念させられていく。
だからこそ、はじめてこれだけは私にとって断念することができないという一番根本の願いがはっきりしてくる。』

 年を重ねることによって私が本当にやりたいこと、本当の願いがはっきりしてくることが
老いの功徳であると言うのです。
曽我量深(そがりょうじん・僧侶)は、81歳の誕生日の時にこんな挨拶をされました。
『初めて81歳になりました。今までわからなかったことが、わかるような気がしています。』
81歳の誕生日は81年かけなければ迎えることができない、初めて経験する81歳の誕生日です。
もっと言えば、毎日が初めて迎える今日一日であるのです。
そして、81年の歳月をかけたからこそ、わかってくることがあるのではないかと言うのです。
目が見えにくくなったからこそ、見えてくる世界があり、
耳が遠くなったからこそ、聞こえてくる世界がある。
年を重ねたからこそ、感じられる世界があるはずです。

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若い時も今も一日は24時間である。若い時代は、身体が充実し、やりたいこと、できることが数多くあった。
そしてそれにチャレンジしてきた。すべてができたわけではないが、もう少し頑張ればできるかも、できたかも
と思うことが数多くあった。
さて、今はどうであろう。走ること、立ち上がること、引っ張ることそして押すこと等
かっての能力の数分の一になっている。
目が見えにくくなったからこそ、見えてくる世界があり、
耳が遠くなったからこそ、聞こえてくる世界がある。
年を重ねたからこそ、感じられる世界があるはず。
そう考えると年を重ねることが楽しみになってくる。



by shin0710s | 2017-11-08 15:23 | ことば | Trackback

木守り柿

今年は我が家の柿が豊年であった。
昨年はほとんどならなかったのだが。
「がんざん」と呼ばれている柿である。
子供のころから甘柿のことを「がんざん」と呼ぶと思っていたが
「がんざん」とは甘柿の一つらしい。
お寺の境内には、「こはる」と呼ばれる甘柿がある。
こちらな11月の中旬ごろが食べごろである。

さて、我が家の「がんざん」は生前母が、私が柿が好きなので植えてくれたもので
10年ほどになる。
今年は豊年だったので、毎日のように食べていた。
それも3個ずつ。
それに小ぶりで傷がついた柿の実は、ワン公におすそ分け。
私もワン公たちも今日も元気に過ごすことができるのは、柿の実のおかげか。



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長きにわたって食べ続けた柿の実も残り少なくなった。
そこで来年に備えて、いくつか残している。
「木守り」というらしい。
最近は、いくつかどころか、ちぎることなく全て落ちてしまっている近隣の柿であるが。



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ところで「木守り」とは、あるお寺の法話に

…「あれは、木守り(きもり)とか木守り(きまもり)といいましてね、
来年もよく実りますようにとお願いをするおまじないで、木のてっぺんに残しておくのです。」
なるほど、何てゆかしい習慣であろうと感心していると、つづいて言葉がありました。
「それとですね、何もかも私たち人間が奪い取って食べてしまうのではなくて、
これから食べ物の少なくなる冬に、きっと苦労するに違いない野山の鳥たちに
残しておいてやろうという心づかいでもあるのですね。」…

とあった。母が植えてくれていた柿の木である。
自然の恵みに感謝し、小さな小鳥の命のためにと願うことは、母の思いに
添うことであろう。


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by shin0710s | 2017-10-29 21:14 | ことば | Trackback
サクラとスミレは三女のワン公。
今は白秋家に居候しているが、来週からは、二匹一緒の
生活がまた始まる。
長年一緒にいるので仲よく過ごすことができている。


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3週間ほど入院して健康のありがたさ、自由に動くことのできるすばらしさを
改めて知ることになった。
退院した後も体調が元に戻るためには若い時代と違ってかなりの時間が必要なことも。

それまで手術が必要になる病気や怪我をすることがなかった。
当然入院したのは健康診断の時だけである。
健康であることを自慢することはなかったが病気や怪我等で入院されている
人への思いやりなどは、本当に軽いものであったことがよくわかる。

第百十七段 友とするにわろき者

 
  友とするにわろき者、七つあり。一つには、高くやんごとなき人。

二つには、若き人。三つには、病なく身強き人。四つには、酒を好む人。


五つには、猛く勇める兵(つわもの)。六つには、虚言(そらごと)する人。七つには、欲深き人。


よき友三つあり。一つには、物くるる友。二つには、医者(くすし)。三つには、智慧ある友。


さすが兼好法師である。


by shin0710s | 2017-07-16 20:59 | ことば | Trackback

一粒の種死なずば…

枇杷の実がいい色になった。
美味しそうな色である。
今年はじめて実をつけた。

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実生の枇杷の木だから、味は保障できないし、大きさも当てにならない。

3年ほど前中庭に枇杷の幼木が見え始めた。
すぐそばに母が植えた枇杷の木がありよく実をつけていたが
とることもないので、熟しすぎて落ちていた。
あるいは鳥たちのエサになったりしていた。

それが少し離れた場所でどんどん大きくなってきた。
桃栗三年柿八年との言葉があるが、枇杷は3年ほどで二階のベランダに達するほどになっている。
そして今年はベランダから手を伸ばせば届く高さになっている。
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「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、
                 死なば多くの実を結ぶべし」
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そして今年は実をつけた。食べたところ意外に美味しく、
大きさもそこそこである。

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来年は、袋かけをしてみようかと思っている。
きっと美味しい枇杷の実がとれるはずである。

部屋の中では、チョコマミーが退屈している。
まだ私が散歩できないのでずっと部屋犬である。

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ジャスミンはちょこっと出ることができるが、チョコマミー
は鉄砲玉。外に出したら帰ってこない。


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by shin0710s | 2017-06-13 16:22 | ことば | Trackback

雲を見ると

いつも思うわけでは無いが、青空に浮かぶ雲に何と無く
見とれてしまう事がある。
空に浮かぶ雲が、心の風景と重なる時何か言葉を探すのかも知れない。

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ある時
山村暮鳥

雲もまた自分のようだ
自分のように
すっかり途方にくれているのだ
あまりにあまりにひろすぎる
淵のない蒼空なので
おう老子よ
こんなときだ
にこにこして
ひょっこりとでてきませんか

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by shin0710s | 2017-06-02 11:07 | ことば | Trackback

ビーグル1匹、ダックス5匹の愛犬と猫2匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


by shin0710s
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