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三つの不安から

五木寛之氏の言うところの三つの不安に納得する。
その前提になるものが絆である。
東北地方太平洋沖地震以後多くの場所で「絆」が叫ばれている。
熊本地震の時もそうである。
その言葉の響きは共助、協力、助け合いなどの意味合いを含んでいる。
漢字の絆は、「きずな」と「ほだし」の読み方がある。
「絆(ほだし)」は繋ぐもの 、自由を束縛するもの、しがらみ等の意味である。
学生時代よく使われていた「造反有理」とはしがらみ等の旧弊を打ち破ろうとするものではなかったか。
それに影響されていたわけではないが、「絆」のちょっと甘い響きが気になっていた。
少なくとも60年代から70年代にかけて、家父長制度が崩壊しつつあったように思う。
個性の尊重が言われだしたのもこの流れと軌を一にする。

さてその個性の尊重が重視されて団塊の世代が七十代になってきた今社会全体の大きな不安が広がってきている。
週刊誌を見ると、健康の問題、老後の問題、相続の問題などが大きく取り上げられている。
五木寛之の示す三つの不安とは?

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一つは、健康の問題。そこそこの貯蓄と家ぐらいあっても、もしも大きな病気に見舞われたり事故にあったりすると一挙に家計が崩壊する。
二つ目は、大きな災害に見舞われるということ。
3年前の熊本地震の衝撃を忘れることはできない。また今日も大型台風10号が上陸している。
もう一つ大きな問題だと思うのは、昔の日本人が、あるいは、少し前までの人々が当たり前のように確信していた未来図が今はない。
死後の世界とか後生とか、来世とかそういうものに対する確信が現在はほとんど失われている。
「死ねば、宇宙のごみになる」といった人がいたけれど今の人生が終わったらそれっきりだという意味なのだろうか。



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しかし、仏教という宗教を信じているわけではない。
僕は、神とか仏とか自分を超えたところに存在するものにすがって心のなぐさめを得ようという気持ちには、
とうていなれそうにない。(略)
僕は、人は、死んだ瞬間、ただの物質、つまりホコリと同じようなものになってしまうのだと思うよ。
死の向こうに死者の世界とか霊界といったようなものはないと思う。
死んでしまったら、当人は、まったくのゴミみたいなものと化して、意識のようなものは残らないだろうよ。
『人は死ねばゴミになる』
伊東栄樹著

それとは、真逆の詩もある。


変 換

 死にむかって 進んでいるのではない
 今をもらって生きているのだ
 
 今ゼロであって当然の私が
 今生きている
 ひき算から足し算への変換 誰が教えてくれたのでしょう
 新しい生命 うれしくて 踊っています
(鈴木章子さん)

この詩の作者の鈴木章子さんは、お念仏を喜ばれた方である。自らの身体でガンが各所に転移していく中、この詩を書かれている。
 鈴木さんのみならず、ガンなど余命を宣告される病を患った時、また、老いによって自らの「死」を意識したとき、
誰しもあと何年、あと何ヶ月、あと何週間、あと何日・・・と自らの残りの人生をまるで「引き算」するかのように、
苦悩と不安の中に日々を過ごすことなるだろう。鈴木さんもその一人だった。
 しかし、ある時彼女はそれは生きているのではなく、死に向かって進んでいる姿でしかないと気づいたのである。
この世のすべての人は、一人として100%明日を約束された人はいない。
いや、今日一日すら確かな人はいない。毎日当たり前のように過ごしている人生だが、そうではなく、
本当は、いつ終えるかわからない有り難き「いのち」を今いただいて生きている。
そのような中、言わば0(ゼロ)であって当然の私がこの一瞬の生命を頂いて生きている。
この一度の出会いを頂いている。こんなに素晴らしい事はない、うれしいことはない、その感動の詩である。

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私たちは、仏とか自分を超えたところに存在するものにすがって心のなぐさめを得ようという気持ちには、とうていなれそうにない。
の言葉の仏にすがって心の慰めを得ることが出来るだろうか。 とてもできるものではないだろう。
後生、後生の一大事と蓮如上人は何度も御文章に書かれている。
「老死」の事実から目をそらし、その事実から逃げて、生き甲斐というものを握りしめようとしていることを批判して
この後生、後生の一大事と言っておられる。
仏教は、ブッダの悟りから始まってのではなく人間の苦悩の目覚めから始まっている。

by shin0710s | 2019-08-15 17:00 | 読書 | Trackback

台風近づく。

台風が近づいているので雲の流れが激しい。
時折雨が降り、風が吹いている。
大型の台風らしい。



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チョコマミーは時折目を開け、昼寝を楽しんでいる。
外に出ることなく終日、家の中で過ごす。



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先日求めた新書を読む。
五木寛之著、玄冬の門である。

本の帯には、「やがて老いる準備 老いてからの覚悟」
と記してある。

私のBlog名は「白秋の黄昏」である。
五十代後半になっていたのでこの名前にしている。

2005年8月に始めているので、もうすぐ14年目になる。
そろそろ「玄冬の門」に入るころである。

五木寛之といえば「さらばモスクワ愚連隊」や「青春の門」を思い出すのは、
団塊の世代なればこそであろう。
今年86歳になられる。


山崎ハコの歌う織江の唄がこの青春の門を歌った歌である。

織江の唄
 作詞 五木寛之
 作曲 山崎ハコ

遠賀川 土手の向こうにボタ山の
三つ並んで見えとらす
信ちゃん 信介しゃん 
うちはあんたに会いとうて 烏峠ば越えてきた
そうやけん 会うてくれんね 信介しゃん 
すぐに田川へ帰るけん
織江も大人になりました
月見草 いいえそげんな花じゃなか
あれはセイタカアワダチソウ
信ちゃん 信介しゃん 
うちは一人になりました 明日は小倉の夜の蝶
そうやけん 抱いてくれんね 信介しゃん 
どうせ汚れてしまうけん
織江も大人になりました
香春岳 バスの窓から 中学の
屋根も 涙でぼやけとる
信ちゃん 信介しゃん 
うちはあんたが好きやった
ばってん お金にゃ勝てんもん
そうやけん 手紙くれんね 信介しゃん 
何時か何処かで会えるけん
織江も大人になりました




by shin0710s | 2019-08-14 18:03 | 読書 | Trackback
晴耕雨読の言葉があるが、この季節は
雨読はできるものの、外での仕事はとても無理である。

ちょうどいい具合にここ数日雨の日が続いている。
晴れたら草刈そして庭の草取りなどの仕事があるが、
雨を言い訳にして外仕事は中止。

今日は終日の雨。
そこで読書を。
現在二冊の本を並行して読んでいる。

一冊は、有川浩の
「明日の子供たち」




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そしてもう一冊は、
尾脇秀和の
「壱人両名」
である。



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根気がなくなったためか、それとも視力が落ちてきたためか
なかなか先に進まない。




by shin0710s | 2019-07-19 19:32 | 読書 | Trackback
久しぶりに丁寧に読んだ本である。

「仏教抹殺」なぜ明治維新は寺院を破壊したのか 鵜飼秀德著

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書評に同感するものが多かった。



明治初期の薩摩藩の徹底的な廃仏毀釈に興味があり、以前鹿児島出身の人に尋ねてみたところ「知らない」とのことだった。
その時はその人が歴史に興味がない為かと思っていたが、この本で鹿児島に廃仏毀釈の史料は残っておらず、
仏教由来の国宝や重文もゼロ、県の文化財関連予算の規模も小さく公的調査や復元の妨げとなっているそう。
鹿児島では廃仏毀釈はなかったことのように扱われているという事実。
この時代に日本では数多くの仏像が破壊され、また海外に流出していった。
現代の私たちが天平の仏像を拝観できるのがどんなに奇跡的なことであるか。



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僧侶の著者が明治期の廃仏毀釈について調査。被害の大きい鹿児島、松本などの他、伊勢、東京、奈良、京都での実態を丹念に追い、
とても興味深かった。廃仏毀釈は明治政府主導で進められたと思っていたが、必ずしもそうではない。
神仏分離令に対し、旧藩主の忖度、権威的な僧侶への恨み等から、一部地域で苛烈な運動が起こった。
その惨状を伝えつつ、堕落した仏教への綱紀粛正でもあったと捉える著者の真摯な視点が印象的。
新しいイデオロギーが必要だったにせよ、古来から続く信仰・文化を踏みにじる蛮行の数々には、人の醜さを感じずにいられない。






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この本は面白い。明治維新での廃仏毀釈の活動は教科書でも知られているが、なぜそれが起きたのか、
またどこでその活動は顕著だったのかをこの本で詳しく知ることができた。
廃仏毀釈の要因は筆者によると、主に4つあげられる。➀権力者の忖度 ➁富国策のための寺院利用 ③熱しやすく冷めやすい日本人の民族性
④僧侶の堕落 神仏分離令からの拡大解釈によって、多くの貴重な文化財がこの世から消えてしまった。
本当にもったいなく残念な出来事だがこの愚行からも学ばなければならない。日本の仏教は長く神仏習合であった。それが自然の姿ではないか。


by shin0710s | 2019-06-27 19:01 | 読書 | Trackback

久しぶりに映画を。

なんとなく書評を見ていたら
「長いお別れ」中島京子著
に目が行く。



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原作では、三姉妹となっているが映画では二人の娘である。
アルツハイマー型認知症を発症した東昇平をめぐる、家族の物語。

映画では、70歳の誕生日から7年間にわたる父、東昇平とその家族のありようを描いたものであった。
最初の5年間はゆっくりとそして最後の2年間は一気に症状が進んでいく。


現在私も70歳。
娘3人。それぞれに家庭を持っている。
そこで精いっぱい生きている。



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昇平が自分のことを語ることはできない。
周りから見える昇平の姿をそしてその思いを推し量りながら
物語は進んでいく。

何時なってもおかしくない認知症予備軍の私である。
私の今に問いかける映画でもある。

どう生きるか?
答えはない。
ならば
あるがままに生きていくしかない、そう思う映画であった。



今日もワン公3匹と散歩へ。




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緑川は夏色となっている。
アユ漁も解禁されているけど、太公望は見えない。




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by shin0710s | 2019-06-12 19:49 | 読書 | Trackback

たまには読書を。

久しぶりにまとまった雨。
今日は、涼しい夜となっている。
注文していた本が届く。



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小林秀雄賞を受賞した『超越と実存―「無常」をめぐる仏教史―』は、ブッダから道元までの思想的変遷を「超越と実存の関係」から読み解いた一冊。「諸行無常(=すべての“実存”は無常である)」とブッダが説き始まった仏教が、インドから中国、そして日本へと伝わる過程で、「仏性」「唯識」「浄土」などの「超越的理念」と結びつき、大きく変化していった仏教史を辿る。

 同選考委員は「言語論と身体論に資するところも大きく、仏教史の枠にとどまらない弾力をもち、仏教とはこういうものかと思わせる」とコメントしているほか、新潮社発行の読書情報誌「波」では、作家の高村薫さんが《世のおおかたの宗教においてもっとも難題となる信心の問題をいかに乗り越えるかについての、鮮やかな発想の転換が本書では提示されている》と評している。( https://www.bookbang.jp/review/article/547297

 著者の南直哉さんは、曹洞宗の禅僧。1958年長野県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店勤務を経て、1984年に出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。現在、青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。著書に『老師と少年』『恐山 死者のいる場所』『善の根拠』『禅僧が教える心がラクになる生き方』などがある。



学生時代に何度も読んだ「夜と霧」フランクル著を思い出している。
また、M.ブーバーの「我と汝」の人間観に惹かれ、わからないまま卒論で取り組んだこともこの本興味を持った理由かもしれない。

そして今日、本屋でつい目がいった本が、これである。


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本の帯には

奥山の残酷と至福の物語
山薬人というものは山奥を生活の場とする。
山のかなたで、山暮らしに一生を終わる、さまざまな人と袖振り合う。
炭焼き、猟師、山宿の親爺、サンカ、薬売り、山芸者、山娘、蘭を愛でる病人…誰もがみな、懐かしい思い出のひとたちだ。

1937年出版の復刻版である。
私の生まれる10年ほど前の本で、当時の山の様子を知ることが出来る。
かって九州山地の秘境ともいえる場所にある学校に勤めた折に、山の暮らしについて聞いたことがあるが、
その生活と重なるものが記されている。

これまた十分に読みこなすことが出来ないかもしれないけど初秋でもあるし読書に浸るのもよいかな。




by shin0710s | 2018-08-31 19:57 | 読書 | Trackback

古書を求める。

真夏の日差しが注いでいる。
庭の槙や柿の葉の色が濃くなってきた。
庭に残っている渋柿は、古い柿の木である。
明治三十年代に生まれた祖母が語ってくれた柿の木。


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祖母も曽祖父から聞いていたのであろうか、
明治10年の「西南の役」当時からこの柿の木はあったそうである。
明治10年2月15日に鹿児島を出発し西南の役が始まる。
3月30日政府軍は甲佐に陣を構えていた薩摩軍を攻撃し、主な民家に放火している。
この日に正法寺も焼かれている。

昨日は、熊本市の舒文堂河島書店で出かける。古書店である。
舒文堂は、明治10年に現在の熊本市上通町に店をかまえている。
西南の役の年である。
古い書籍を眺めていると、「町誌中央」がある。(町村合併で今は美里町になっている。)

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隣町であり、西南の役当時堅志田には政府軍が陣地を築いていた。
また本町には、薩摩ぐんの陣地があった。
そのことについても町史で触れてある。


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西南の役当時の本町での戦い様子や人々の暮らしについてもうすこし調べてみたい。



柿の下にいるのは?
チョコ太である。

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by shin0710s | 2018-06-25 16:50 | 読書 | Trackback

8月15日。

8月15日。終戦記念日である。
本日の朝日新聞に「林尹夫」の名前が出ていた。


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学生時代、もう半世紀ほど昔のことである。
真継伸彦の「青春の遺書」の中で彼の名前が出ている。
「林尹夫」「高野悦子」「浮谷東次郎」「福本まり子」そして「有田倶子」


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昭和48年発行の本である。
その中で
戦時下の青春と現代の青春〈林尹夫〉
として記されている。この本を書きたいと思ったのは
「昨年2月に起きた連合赤軍の「浅間山荘」事件、直後に暴露された彼らの恐るべき死刑、続いて5月末に起きたテルアビブ空港の乱射事件などが代表であるが、これらの衝撃的な事件が起こるたびに、青年たちの行動のわからなさが、繰り返し問題になった…思い出すたびに慄然とするこのわからなさに、一筋の照明を当てようとしたのである。」
とこの本の趣旨を述べている。
この本に導かれて四人のことを述べた本を読むことになった。

今日の朝日新聞には、

京都大生から学徒出陣で海軍航空隊員となり、戦死した林尹夫(ただお)さん(享年23)の
遺稿集「わがいのち月明(げつめい)に燃ゆ」。
この一節をはじめ、最期の叫びを集めた「やすくにの遺書」という冊子が今春、
靖国神社や在外公館などで配られ始めた。英訳もついている。
「靖国神社に祀(まつ)られているのは、赤紙一枚でひどい戦争に参加させられた人がほとんど。
本当の姿を読み取ってほしい」。まとめたのは言論誌「月刊日本」の南丘喜八郎さん(71)。

との記事が出ている。
1972年発行の「わがいのち月明に燃ゆ」を改めて読んでいる。
当時の私には同じ年代でありながらも難解な表現に戸惑っていたことを思い出す。


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前半は、戦争という特殊な状況の中で文学に没頭し、人生感、死生観、
人付き合いといったことに悩む面が強調されている。
後半は、実際に軍人となって、日本の敗戦を予感しながら、自分のあり方を問いつつ
苦悶苦闘している姿が行間から読み取れる。

終戦記念日の今日、「林尹夫」の提起する問題にどう答えていくのか。
少なくとも古稀を迎える私たち団塊の世代は何らかの答えを示さなければならないように思う。







by shin0710s | 2017-08-15 17:23 | 読書 | Trackback
梨木香歩の作品である。
「西の魔女が死んだ」そして「りかさん」と読み進めている。
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この「からくるからくさ」は「りかさん」に続く作品である。
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ある人は、
大人向けのファンタジー。出てくる日本語や登場人物達の手仕事、染色や機織り、
キリムといった手間をかけた丁寧な時間が折り重なって不思議な空間にすっと引き込まれる。
りかさんと共に作品を完成させるまでの道のりには、手仕事の世界の壮絶さを感じるのだけど、
軽やかで優しい世界で後味も悪くない。いい本。

との感想を述べている。

「西の魔女が死んだ」そして「りかさん」さらにはこの「からくりからくさ」の作品から
梨木香歩の「いのち」についての思いが作品の底辺に流れている。

「これは、私の手です」「これは私の足、私の目、耳…そして私の頭…」
「私の脳…私の心…」
と問うていくとその「私」とは?との問いが残る。
この「からくりからくさ」で

かって祖母は、体は命の「お旅所」だと言った。神社のお祭りの時、神様の御霊を御神輿に乗せる。
命は旅している。私たちの体は、たまたま命が宿をとった「お旅所」だ。それと同じようにりかさんの命は、人形のりかさんに宿をとった。

西の魔女が死んだのおばあちゃんの残した言葉
「ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ ヘ
          オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ」
に作者の「いのち」に対する憧憬が感じられる。

市松人形ではないけれど。
かわいいので。
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by shin0710s | 2016-10-25 16:26 | 読書 | Trackback

御門徒のおばあちゃん。

時折激しい雨。
本町に大雨警報が出ている。
台風18号の影響だとか。
秋雨前線が活発になっているらしい。

雨の降る日は?
戸外に出ずに読書をする。
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晴耕雨読というけれど、夏の間は外で汗を流すことは
体に悪い。
晴れた日に田んぼを耕すのは、季候のよい秋か春に限る。
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10月が近いが、晴天の日は30度を超える。
雨の日は体力的に無理無理。

午前中は、一周忌法要でお参りに行く。
昨年ご主人を亡くされ、一人で暮らしておられる。
4月の熊本地震でしばらくは北九州の長男のところで
暮らしておられた。
でもやっぱりご主人と過ごした家がいいと熊本に帰り一人暮らしをされている。
御年89歳。
お婆ちゃんと話をするのが楽しい。

最近読んだ本には、それぞれにり凜とした気品のあるお婆ちゃんだ出てくる。
「阪急電車」は、有川浩の作品。この小説の芯となる「萩原時江」おばあちゃん。
映画では、宮本信子が演じている。
息子夫婦とはちょっと距離ができている一人暮らしの老婦人。
確かな年齢を重ねてきた女性の美意識と価値観をもち、背筋を伸ばして生きている姿がいい。

「西の魔女が死んだ」は梨木香歩の作品である。黒に近い褐色の大きな瞳。
今はもう半分以上白くなり、うしろで無造作にひっつめられた褐色の髪。
骨格のしっかりした大柄な身体。
そのおばあちゃんの言葉
「魔女になるために必要なのは、物事の正しい方向をキャッチするアンテナと
何事も自分で決める力です」

イギリスから日本に嫁いできたまいのおばあちゃんの言葉である。
幾多の困難を乗り越えてきたおばあちゃんは、まい対する
暖かくそして生きていくことのすばらしさを伝えている。

そして本日読み終えたのが同じく梨木香歩の「りかさん」。
この作品のある感想として次の文に出会った。
「この人の本を初めて読んだのは高校生の時。それから好きになって
何冊か読んだけど、この人の書きたいものは家族の系譜『母から娘に伝えられ、
受け継がれるもの』だというのがこれまで読んできた本から読み取った、今の私の見解です。
自分を見失いそうになった主人公が自分の中に脈々と受け継がれてきた確かなものを発見し、
自覚することで自己を確認し、成長していくというモチーフがほとんどです。」
確かに若い時代ならばそうであろうと思う。
今から人生を生きていく若い人にとっては主人公の姿を己自身と重ねるだろう。 
私の年齢になるとやはり主人公のおばあちゃんである麻子さんの姿に惹かれる。
過ぎ去りし日々を思い出しながら、子や孫に何をどう伝えていくのか、
それでいて迷惑を掛けないように生きていきたいと思う私である。

今日は、お参りの後に、おばあちゃんと味わい深い時間となった。
「朝、家の前を掃除しているとですね、小学生が『おはようございます』、
とあいさつしてくれるんですよ。私もうれしいので、私の方からも『おはようございます』というんです。
そして『行ってらっしゃい』と。でも大人はそういう会話が成り立たんですよ。
顔を見ないように、合わせないようにしながらさっさと歩いて行かれるんです。
ちょっと、寂しいですね。」

そういう大人になってはいないか、と。
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by shin0710s | 2016-09-29 19:53 | 読書 | Trackback

ダックス5匹の愛犬と猫2匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


by shin0710s