カテゴリ:旅( 108 )

南阿蘇へ(1)

今日も猛暑日である。
maomaoが来ているので例年だと海水浴であるが、
本年度は、南阿蘇へ。
私には、もう海は厳しすぎる。それにこの暑さである、とても無理である。

そこでまずは、高森町へ。
南阿蘇鉄道の「トロッコ列車」に乗ることにする。



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駅員さんのサービスで記念写真?


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そして出発。沿線に沿っての観光案内が本当に丁寧である。
臨時トロッコ列車なので乗客は二組。5名。
貸し切り列車となる。


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阿蘇の五岳がよく見える。


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阿蘇は田植えが早いので稲穂が垂れ始めている。
案山子が歓迎してくれている。


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右左と観光案内。


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あそこに水源があります、とのこと。


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7㎞の旅である。終着は吉松駅。震災の影響でここまでの乗車となる。


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阿蘇の外輪山にトロッコ列車がよく映える。
止まれば、阿蘇と言えども暑い。


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さて往復の旅である。
またトロッコ列車に乗り込む。

by shin0710s | 2018-08-08 10:56 | | Trackback
五月の連休の一日を使って、久留米市へ。


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一度見たかった麗子像に会える。



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…東京の裕福な商家に生まれた岸田劉生(1896~1957)は、自身の強烈な自我と個性に従って、
存在の奥に宿る「内なる美」を描き出すことを目指し39年の長くはない生涯の中で、
「麗子像」の連作など日本の写実絵画の傑作を生みだしました…


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劉生の自画像をみて、自画像が、自身の内面を描き出していることに驚く。
自画像は、表面的な顔の凹凸だけではなく、人の心の喜怒哀楽を映し出している。
若き日の劉生の自画像には、23歳の自我への懊悩が映し出されているように思える。


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美術館の周りは、春のバラ展が開催されている。
劉生の強烈な作品を目の当たりにし、波立つ心を落ち着かせてくれる花の世界である。


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一つ一つのバラに名前が付けられている。
そこには、このバラを育ててきた思いがこもっているだろうけど、
私には、ただいいなあ、美しいなあと思えるのみである。


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カメラを近づけ、アップで撮っていく。
なかなかうまく撮れないが、撮ること自体に喜びを持っている私である。




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もちろんバラ以外にも多くの花が咲いている。
もうしばらくは楽しめそうである。



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by shin0710s | 2018-05-07 14:24 | | Trackback

草野の町を歩く。

草野は古い町である。
耳納山地北麓に位置する。日田に通じる豊後街道山辺往還が通り、
町場を形成していた。
街を歩けば古い町並み、そして神社、仏閣が往還沿いに建っている。


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旧家には長年にわたって大事にされてきた書画や漆器や食器等が
数多くある。また、仏壇等も数百年の歴史を感じさせるものである。
庭も大事にされ、多くの手が入っていることがわかる。



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苔むす庭園の見事さ。


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これほどのものがこの小さな町にあることに驚かされる。
町に対する愛情が往還のいたるところに感じられる。

by shin0710s | 2017-11-06 18:27 | | Trackback

大宰府へ。

爽やかな朝である。
予報では本日は晴天。
久しぶりにドライブでも。
そこでカメラを持って大宰府に向かう。
大宰府には観光地が並んでいる。
歩きながらでも撮ることができる。

まずは大宰府政庁跡に。


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広々とした広場となっている。
市民の憩いの場である。スポーツを楽しむ若者。
絵をかいている絵をかいている人。
親子の楽しいひと時を過ごしている家族。
それを見ているだけでも優しい気持ちになりそうである。


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大きな礎石が並んでいる。
これまた大きな政庁があったのだろう。


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石碑が三柱立っている。



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平城京、平安京に次ぐ、外国との交渉の窓口となる役所(大宰府)の跡

7世紀後半、大和朝廷は那の津の官家(みやけ)をここに移し、奈良・平安時代を通して、九州を治め、

我が国の西の守り(防衛)、外国との交渉の窓口となる役所(大宰府)とした。

その規模は平城京、平安京に次ぐ大きなものであり、南北22条、東西24坊の都市計画があったという学説がある。

万葉集には"遠の朝廷(みかど)"と詠まれ、その規模をしのばせる立派な礎石が残 り、

そこを中心に門や回廊、周辺の役所跡等が整備されて、現在は公園となっている。


公園に柿の木が一本。

熟した柿がおいしそうである。



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by shin0710s | 2017-09-30 19:43 | | Trackback

有田陶器市(2)

有田の通りは買い物客でいっぱいである。
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掘り出し物を見つけようと真剣なまなざしがあちこちに。
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その喧噪を離れて町の裏手に回る。階段を上ると町のざわめきが遠ざかる。
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更に登っていくと、
八阪神社がある。
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八阪神社へ。
焼物店が軒を連ねる陶都有田の町並の背後の、小高い丘上に鎮座。
境内地は、景行天皇が九州巡狩の折り、ここで土蜘蛛征伐の戦勝祈願を行ったとされる古跡である。
たくさんの人で賑わう通りから少し離れただけで、静かな八阪神社の境内になる。
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横には天満宮もある。
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神社から裏手に回ると苔むした仏様がおられる。
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傾いたり、頭部の欠けたお姿が痛々しい。
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手を合わせつつ街中へ戻る。
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店の前には着飾った(?)陶器の娘さんが迎えてくれる。
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by shin0710s | 2017-05-01 15:16 | | Trackback

有田陶器市へ(1)

恒例の有田陶器市へ。
今年はちょっと早めの30日になる。
午前7時出発。高速道路の渋滞にかかることなく10時ちょっと過ぎに到着。
白秋家の恒例行事なので娘、孫娘それにワン公2匹。
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私は別行動。陶器より有田の町ウオッチングである。
とは言うものの定点観測的に撮っている場所はきちんと押さえて。
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細い道に並べられた食器類。ここも定点の場所。
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今回は、山の麓を中心に歩く。
神社仏閣がウオッチングの大将である。
曹洞宗の大きなお寺が目に入る。
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裏山から垂れ下がった藤の花が満開となっている。

百婆仙とは、有田焼創業に関わった朝鮮人陶工深海宗伝の妻です。報恩寺境内に石碑はあり1705年(宝永2年)に建てられました。百婆仙は有田では多くの陶工に尊敬され、重要な指導者であったようです。1656年(明暦2年)96歳で没しています。
報恩寺境内にはこの他、鯨の形をしためずらしい碑などがあり、有田の古い歴史を感じさせます。
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さて、次はどこに行こうか。


by shin0710s | 2017-04-30 21:17 | | Trackback

隠れキリシタンの里へ。

天草西海岸は今でこそ車で行くことができる場所であるが、
天草五橋がない時代は大変な場所だったに違いない。
妙見浦から大江天主堂を目指す。
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小高い丘の上に白い天主堂が見える。
天主堂までの道には、
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マリア像。そして墓地が並んでいる。
天草に来なければ見ることがない墓地である。

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青空にそびえる天主堂は美しい。
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次は崎津を目指す。
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入江にひっそりとたたずむ「﨑津天主堂」は、天草市河浦町﨑津地区のシンボル。
穏やかな羊角湾を望む美しい姿は「海の天主堂」とも呼ばれています。
1888年(明治21年)建立の木造﨑津教会の老朽化に伴い、現在の建物は1934年(昭和9年)に
フランス人宣教師のハルブ神父のときに建てられたもの。

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高くそびえる尖塔と、パステルカラーが愛らしいステンドグラスに飾られた、ゴシック様式の教会です。
アーチ天井に覆われた建物内部はとても珍しい畳敷きで、
壁にはキリストの受難を描いた絵がずらり。正面奥の祭壇がある場所では、
かつて「絵踏み」が行われていたと言われています

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現在も毎週日曜日にはミサが行われ、厳しい弾圧を受けながら信仰を貫いた人々の暮らしを見守り続けています。

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私たちが世界遺産へ登録を推進している「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」は、
キリスト教の伝来から、今日までの歩みが、世界史の中でも高い価値とストーリーを
有している文化遺産です。
中でも、「天草の﨑津集落」は、弾圧から潜伏が高い評価を受け「長崎の教会群」の
構成資産に選ばれました。
世界遺産推進室では 天草市から世界遺産を排出すべく『「天草の﨑津集落」を世界遺産へ!』
というスローガンを掲げ、熊本県・長崎県・関係市町とともに
平成30年の世界遺産登録を目ざしています。



世界遺産を目指している崎津である。
「秘すれば花なり」のことばがあるけれど、こうしてひっそりと生活に根ざした集落であるからこそ
と思うのは私だけであろうか。
人々の日々の生活が世界遺産に登録されることにより、この静かな入り江が変わることがないようにと思う。
多くの観光客の行き交う喧噪は似合わない。
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by shin0710s | 2017-04-17 11:58 | | Trackback
本日、36度の予報が出ている。
真夏日のこの気温だと、動きたくなくなる。
屋外に出るのさえ億劫である。

それでもすっかり年老いたマーサを庭にだす。
すると涼しそうな草の間に潜り込む。
ここが一番ですと。
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しばらくして出てきたが、こうしてみるとすっかり年老いてしまっている。
顔は真っ白になってきている。
久住山や国見岳に登っていたのはちょっと前のような気がするが、
もう7年~8年も昔のこと。
元気だったはずである。
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さて、こんなに暑い日ではあるが、何日も家の中にいたら
身体がむずむずしてくる。
外に出たくなる。
どこに行こうか。
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美味しいものを食べようか。
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腹八分目くらいのランチがいい。
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いくら美味しくてもバイキングだと
元々卑しい口であるからもう無理と言うほど食べてしまう。
押さえることができない団塊の世代なのである。
子どもの頃お腹をすかしていた記憶がトラウマ(?)
となってもう無理と言うまで食べ続けなければ落ち着かないのである。
by shin0710s | 2016-07-31 10:19 | | Trackback

桜便りに誘われて。

あちこちの桜の開花便りが届く。
せっかく時間もあることだし…
桜に踊らされてみようかな。
少し遠出して…
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桜は五分咲き。そして生憎の曇り空。
祐徳稲荷の朱色と桜の対比がとてもいいはずと思ってきたのだが。
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ところで祐徳稲荷の元々のご神体は?
御本尊かもしれないけれど。
明治の神仏分離令までは、神仏習合のお寺であった。

このお稲荷さんは、もともと鍋島家の貴婦人の為に建立された祐徳院という寺院の境内に
鎮守として祭られていたものである。祐徳院と祐徳稲荷の関係は、
妙厳寺と豊川稲荷の関係と全く同じ形だった。

豊川稲荷は、愛知県豊川市にある曹洞宗の寺院。
正式の寺号は妙厳寺。詳しくは「円福山 豊川閣 妙厳寺」と称する寺院である。
境内に祀られる鎮守の稲荷が有名なため、一般には「豊川稲荷」の名で広く知られる。
豊川稲荷は神社ではないものの、商売繁盛の神として知られており、
境内の参道には鳥居が立っている。 ウィキペディア

しかるに佐賀県鹿島の稲荷堂は神仏分離された。
そして今日祐徳稲荷が繁栄を謳歌している陰で、
本家にあたる祐徳院は空しく朽ち果てて既に跡かたもない。

奥の院への山道には、そこここに小さな社がある。
そこに祭られているのは、権現様や菩薩様。
ほとんどが破却されているけれど。

この祐徳稲荷にも別当寺院があったのだろう。
いまでこそ神社であるが。
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朱色の舞台の、「懸造り」も格子が美しい。
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遠い昔に聞いた西行法師の
仏にはさくらの花をたてまつれわがのちの世を人とぶらはば
歌をおぼろげながら思い出す。

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本殿の舞台にかかる桜に人が引き寄せられる。
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新芽もまた美しい。
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by shin0710s | 2016-03-30 15:02 | | Trackback

峠の茶屋へ。

晴天である。
春爛漫といっていい暖かさ。
こうなると出不精の私でも外に出たくなる。
鎌研坂から河内への道に出る。
昼過ぎである。
お腹がすいたので峠で一休み。
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「おい」と声を掛けたが返事がない。
軒下のきしたから奥を覗のぞくと煤すすけた障子しょうじが立て切ってある。向う側は見えない。
五六足の草鞋わらじが淋さびしそうに庇ひさしから吊つるされて、屈托気くったくげにふらりふらりと揺れる。

夏目漱石の草枕である。
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静かな場所で観光客もほとんどいない。
ボランティアの方であろうか、こちらから話しかけるのを待つそぶり。
こんな場合、声を掛ければ、蕩々とその成り立ちや因縁話、さらには、
漱石の事を話されるに違いない。
目を合わせないようにして室内を見て回る。
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外に出ると鄙びた食事ができる茶店風の食事処。
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この時季は特に、格別に美味いです! 鉄鍋の熱々でいただくだご汁なので、
心も体もあたたまります!
お腹いっぱいになりますが、余裕がある方は、茶屋だんごも食べてみてほしいです。
注文を受けてから揚げられるので、早めにオーダーしておくとスムーズに食べられますよ。

との口コミがあったのでダゴ汁それに茶や団子をいただく。
なかなかいい味であった。
団子の中味はカライモ。
美味しかった。
by shin0710s | 2016-03-05 22:19 | | Trackback

ビーグル1匹、ダックス5匹の愛犬と猫2匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


by shin0710s