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緑川の源流にあった小さな小さな学校に勤めたときのことである。
全校児童7名。九州山脈の懐に包まれ、緑川に糸を垂れ、
山女を釣ることが出来る学校である。

今は、過疎のため、廃校となっている。

そこは、冷たく、住みきった緑川の水であった。
すばらしい自然に恵まれた世界であった。
季節の移り変わりを日々感じることが出来る学校であった。
しかし、そこにいる子どもたちにとって、それを
恵まれたと感じることはほとんど無かった。
感じる必要がなかったのかもしれない。
在って当たり前の世界だったのである。
そのすばらしさに目を向けさせることも大事な教育の役割である。
そのことを十分果たすことが出来たか、ずいぶん昔のことであるが
冷や汗の出る思いである。

今日は、秋らしい、澄みきった空気であった。犬の散歩をしながら、
黄昏時の山の端や、太陽が東に沈んでいく空の変化を楽しむことが出来た。
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夕暮れ時は、刻々と夕日を受けて東の空が変化していく。
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今までこのように秋の黄昏時は、刻一刻の変化があり、引きつけるものがあったはずなのに、昨年も、一昨年もいやずうっと気づくことはなかったような気がする。
在るだけでは気づかないのは、何もあの子どもたちだけではなかった。私もそうであった。
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改めて、こうしている、こうして在ることのすばらしさに感謝したい。
by shin0710s | 2005-09-30 23:09 | Trackback

ケータイを持ったサル

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「ケータイを持ったサル」を読む。一度読んでいたはずなのに、
改めて読んでみて、納得することが多い。「ひきこもり系とルーズソックス系の差異をあえて挙げるならば、異邦人の棲む異界(そこは通常の大人にとっては、いわゆる社会なのだが)を恐怖と感じるか、あるいは無感覚でいられるかという点にあるのかもしれない。結果として、前者は一人でしか食事を摂れないし、後者は電車の中でも平気で化粧をし、ケータイで会話することができるのだろう。」(ケータイを持ったサルp15)

ケータイは、私の生活を大きく変えている。かって、私の生活は、我が家の生活と大きく重なるものであったが、ケータイの存在は、個人としての私を確立するように見えながら、個と個のつながりを遮断する傾向にある。高校生が食事をしている。話している。そこに、着信音。前に友達がいようが、家族がいようが、ケータイの会話が始まる。それも短い単語で。このような光景は日常となっており、特に不快感も持たないようになってきている。そこでは、常につながっているように見えるが、本当だろうか。ケータイの会話やメールでのつながりは、人としてのつながりになっているのだろうか。ケータイのメールになると、絵文字や、短く刻み込まれた意味不明の単語。そして、自分たちの仲間内にのみ伝わる隠語。小学生には、ケータイを持つ子は少ない。実際はどうであるか分からないが。中学校になるとかなりの生徒が所持している。

第3章のメル友を持ったニホンザルで「エレベーターの中の会話」がある。
「あなたが、友人とエレベーターに乗り込んだと仮定しよう。そこに他の人が誰も居合わせなかったとする。そうすると、通りを歩いているときと同じように、会話に花が咲くことだろう。ところが、途中の階から見知らぬ人物が入ってきた。どうするか・・・・ふつうはまず口をつぐむのではないだろうか。」このことを20年ほど前に調べた結果と、2002年に調べた結果が示してある。それによると、1986年には、ほぼ8割が沈黙したのに対し、2002年では、半数程度になっていることを示している。そして著者は言う。
「おそらく、公的な状況という認識の希薄化が影響しているのだろう。常に私的にしか言語を使わなくなってきている。だから言葉がいくら「乱れ」手も平気でいられる。21世紀に来て、人間は言語をその本来の意味で使用しなくなり、サルへと先祖返りしつつあると私には思える。」との認識である。
宮台真二であったか、「仲間以外、皆風景」の言葉が、よぎる。だから、どこであろうと座りあぐらをかくことが出来ると。

今回新しく出た、同じ著者の
「考えないヒト」~ケータイ依存で退化した日本人~
を読み始めたところである。
by shin0710s | 2005-09-29 22:10 | Trackback(3)

石橋2

朝日の出る頃の山並みは幻想的である。
通勤路は台地にあるため眺めがすばらしい。
藍色の峰々が不思議な世界を作り出す。
今日もそうである。
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朝会を終えて出張に出る。
稲刈りの季節になると、石橋が目立ってくる。
今まで、青々とした稲と石橋の色が似ているため
標識だけしか見えなかった。それが、稲穂の黄金色の中にあって
灰色と藍色の混ざった石積みの橋が妙にはっきり目に映る。
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今日は、車を走らせいると石橋が目に飛び込んできた。
今までは見過ごしていた石橋である。
門前川橋と言うそうである。
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少しずつ身近な石橋をアップしていきたい。
by shin0710s | 2005-09-29 21:30 | | Trackback

我が家のネコ

ただいま我が家に2匹ネコがいる。
一匹がこのへたれネコである。

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このネコわたしの顔を見るたび、シャーという。
これは腹立つものである。
目が合うとシャー。
部屋にはいるとシャー。
横を歩いてもシャー。
ところがどういう訳か、シャーというへたれネコ「タラ」を捕まえることができる。
普通、シャーというネコに手を伸ばそうものなら、手の爪でひっかき傷がいっぱい出来るところである。
タラは、シャーという割に、捕まえられると、固まってしまって爪を立てきらない。
動けなくなってしまうのである。

そこが可愛いというのでまだ我が家においている。
他の1匹は、ただいま鼻水が止まらず、写真写りを恥ずかしがっている。
by shin0710s | 2005-09-28 19:58 | Trackback

さくらの花

長女の植えたサクランボ、年ごとに大きくなっていく。
あまりに大きくなったので、少し枝を落とす。
「桜切るバカ、梅切らぬバカ」のことばがあるが。
この桜、9月のはじめにすっかり葉が落ちていた。
台風のためと思っていた。
しかし、葉っぱは地面に落ちていない。
不思議に思ってよく見ると、残った葉に虫がいっぱい付いている。
そしておいしそうに食べている。
冬枯れの状態。
裸の枝だけのサクラとなりはてていた。
このまま冬を越すのだろうかと思っていると、若葉が出てきた。
今日よく見ると、花が咲いている。
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季節はずれであるが、命を永らえようとする
樹木の生命力に感動を覚える。

ふと見ると夕暮れ時。
六谷への坂から夕日が見たくなり、車で行く。
今日の夕焼けである。
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by shin0710s | 2005-09-27 21:55 | Trackback

朝の散歩

振替休日である。
ゆっくり寝ていいのであるが、せっかくの休日
ということで、身体が自然に目覚めてしまう。
それもいつもより早く。

そこで、4匹犬と朝の散歩に。
少し行くと、いつものネコ場に例のネコばーさん。
今日は、いつもと違って薄緑の上着。それに、めがねもない。
更に、すっぴんなのであろう、本当のおばあさんかと思ってしまった。

実は、次女が、このネコばーさんとネコの取り合いをしている。
我が家の軒下に、ネコのえさ場を作って、一匹餌付けを始めている。

そのネコは、どうも、先代か先々代の我が家のシャムの
子か孫のような毛色である。
私は、シャムの血をひいています、と主張するがごとく
所々に黒ぽいシャムの色がある。
餌をやれば鼻先まで来るようになったと言っている。

面倒なのであいさつもそこそこに、
少し遠回りしてすれ違わないようにする。
昨日から急に秋めいて朝の陽差しが心地よい。
川沿いのススキも穂がふくらんできており、朝日を浴びて
キラキラと輝く。
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犬たちは大喜び。昨夜遅かったので散歩がなかった分
ゆっくり歩く。そしてリードをとってやる。
今日は、長老ユーリのリードもなし。
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走る、歩く、はねる、そしてじゃれあう。
こんな姿を見ると、本来犬はリードなしで飼ってやるべきなのだろうと思う。
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朝の小一時間の気持ちいい散歩であった。
by shin0710s | 2005-09-26 10:01 | Trackback

無事、これ大成功

e0056537_23173610.jpg運動会が終わった
「祭りの後のむなしさ・・・」、吉田拓郎の歌にあったような気がするが、
運動会を終えて数時間は、満足感と空虚感が混在している。

晴天であった。そして残暑がすっかり遠のいた秋のさわやかな空気であった。
全児童が集合しての開会式。壇上に立つと、気持ちが引き締まる。
この子たちの命を預かっているという責任感である。
そして、この子たちの力を発揮させねば、との使命感でもある。
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小さな学校であり、保護者や祖父母、そして来賓の区長さんが来られる。
それだけ、地域にとっては大きな行事である。
当たり前のことだけど、子どもちや保護者が満足し、事故が無く終わったことが何よりである。

今日は、みんなで町に繰り出し、慰労会である。
子どもたち、そして先生方お疲れさまでした。
by shin0710s | 2005-09-25 23:21 | Trackback

運動会の準備

明日が運動会のため、土曜日は授業日。
最後の練習があっている。先生は声をからしている。
色は真っ黒。
学校の最大の行事が運動会である。
今日は、午後から運動会準備。
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中学校は、休日。それで、中学生がのぞきに来ている。
「先生、優しい?」
中学1年の子が、窓から声をかけてきた。
「ウン、どうして?」
「妹が、2年生にいるけど、『校長先生、優しい』って。」
そういえば、2年生の子と話したことがあった。
それは、

○うれしい朝の出来事
 木曜日の朝のことです。雨が降っていました。
少し早く来たので昇降口で子どもたちを待っていました。
一番乗りは、1年生のけいご君です。
どうやらお母さんに送ってもらったようです。
「足が痛かったのでお母さんがおくってくれました。」
少し照れくさそうに言います。そして教室に入っていきました。
雨の日の教室は暗いのです。私はついお節介で
「教室に、電気をつけてあったらいいね。
教室に入ってきたみんなが気持ちいいよ。」
 けいご君、にこっとして、あかりをつけてくれました。
ちょうどそこに登校してきた2年生のりささん、
「あっ、いけないんだよ。歩いてきて最初に教室に入った人が
電気をつけるんだよ。」
えっ、そんな学級の決まりがあるのか、
これは何か、けいご君のために言わなきゃ、と思ったとき、
「あっそうか、間違えたんだね。それならいいんだよ。」
りささんは、にっこりして優しく語りかけるようにけいご君に話してくれました。
けいご君もにっこり。

と言うようなことがあった。このりささんの兄だったのである。
うれしいような、恥ずかしいような、初めてあった中学生から
そのような言葉を聞くとは。

別の中学生、釣り竿を背にしょっている。
「どこに釣りに行くの?」
「近くの堤です。」
本校区には、ため池がたくさんある。そこには、
ブラックバスがずいぶん放流してあるらしい。
それを釣りに行くという。
「用心するんだよ。」「ハーイ」
「昨日、80cmの雷魚を釣りました。」
思わず、すごい、と声を出した。
このあたりでは、雷魚のことを「台湾ドジョウ」という。
子どもの頃は、よく沼で見ていたが、このところ、「台湾ドジョウ」
の話を聞いたことがなかったのでびっくりである。

しかし、その中学生の出立がきまっている。
自転車に乗って、竿の入った長いビニルのケースを背負っているのである。
見るからに高そうな竿のケースである。

今から釣りを始めるのであろう。日永一日釣りをして過ごすのであろうか。
家でゲームをするよりいいとは思うが。

1:40から保護者が来られ、運動会の準備。子どもたちだけでは、
テントや入場門を作ることができない。
運動会は、地域の保護者あげての運動会なのである。
おかげで 3:30には、準備完了。後はラインを引くのみ。
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明日は、きっと晴天である。
by shin0710s | 2005-09-24 21:03 | Trackback

白秋

e0056537_228138.jpg伊集院静著「白秋」を読む。
久しぶりの読書であった。
「水を切ったばかりの小さな草が
竹籠に丁寧に並べられていた。」
で始まり、
「秋の雲に変わろうとする紀の国の
空が、あたたかい陽差しを
ふりそそいでいた。」
で終わっている。

裏表紙には、「・・・鎌倉を舞台に男女三人の揺れ動く
心模様を見事に描いた、伊集院ワールドの
傑作恋愛小説」と記してある。
若い真也と文江の恋愛を描く中で「志津」の心の動きが
人間の生身の姿をさらけ出していく描写が鋭い。
また鎌倉の四季折々の色合いが揺れ動く心を映している。

恋愛小説であるが、「志津」をもっと深く描いて欲しいと思う。
人の心の裏と表、そして自ら気づきえない業ともいえるものを
さらして欲しかった。
丹羽文雄の世界かもしれないが。

ところで、白秋といえばやはり「北原白秋」である。
白秋の「水郷柳河はさながら水に浮いた灰色の柩である」
との言葉を残しているが、折に触れ行ってみたいのが
柳川である。
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そして、行ったら食べたくなるのが
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鰻のセイロ蒸しである。

この柳川が一番柳川らしい季節は、やはり梅雨時であろう。
青々とした柳の風になびく様がいかにも柳川らしいと思う。
また、3月の頃もいい。
「さげもん」がある。弥生の雛の節句である。
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掘割を進む船。そしてそれを操る船頭の竿の音。
騒音もない、排気ガスもない。いいものである。
by shin0710s | 2005-09-23 22:56 | Trackback

縄文遺跡?

本校から500メートルほど離れたところで今遺跡調査が行われている。
今日、時間を見つけて出かけてみた。文化課の担当は
留守であったが、少し話を聞くことができた。
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今奈良時代の頃の住居跡を発掘している、と言うことであった。
本町では、緑川両岸の高台一帯には石器や
古い土器が出土している。
隣の学校の校区で古い石器は20000年前のものや、
縄文早期時代の土器や石槍等が出土している。
また、本校区には、支石墓(ドルメン)がある。
2000年から2500年前の墓地である。

発掘作業が行われているが、現在の発掘の所は、
奈良時代の頃であろうと想像されるが、
出土するのは、奈良時代だけでなく縄文時代の土器等もある、と言う。
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このあたりが、園芸の樹木等のため掘り起こしが行われ、
そのためいろんな時代の土器等が混在して出土している。

さらに発掘が進むと、縄文時代にさかのぼることができるであろう
との話である。
2000から4000年前のここでの生活を子どもたちと考えてみたい。
この発掘場所から2~3km行くと貝塚がたくさんある。
海がここまで迫っていたことも想像できる。今でこそ、台地になっているが。

わくわくしてくる。
何とか、子どもたちにこのわくわく感を味わわせたい。

今日も夕日がきれいであった。このような夕日を縄文人も見ていたのであろうか。
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by shin0710s | 2005-09-22 20:44 | Trackback

ダックス5匹の愛犬と猫2匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


by shin0710s