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こうして二つの花を並べてみると
楚々といた趣のある「シャガ」。
いかにも日本風な大人の女性を私は感じてしまう。
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そしてこちらはポピー。
明るく陽気である。
子どもの明るさ、動きが感じられる。
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by shin0710s | 2011-04-30 22:54 | | Trackback

緑川の日

晴天。早朝よりそれぞれの地区において
一斉清掃が行われている。
今日は、緑川の日。
緑川流域の町が、一斉の清掃活動を行う。
本町でもそれぞれの団体が活動を行っている。

私も集めたゴミの分別会場へ向かう。
ここに本町の中学生が奉仕活動にきている。
200名近くの生徒が集まってきてくれた。
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中学生がこうした奉仕活動を行っている姿は
とてもいい。
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役場の職員とともに中学校の教師と生徒が
動いている。
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この活動を始めた頃はものすごいアラゴミの量だったそうである。
今では、ゴミより生徒の数が多い?
それだけ本町は美しくなっているのだろう。
by shin0710s | 2011-04-29 22:56 | 学校 | Trackback

春はあけぼの。

午前6時。鐘楼に登って時鐘を撞く。
お供は?
いつものようにワン公4匹。
マーサとショウの兄弟が付き添っている。
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4分から5分の間で7打を撞く。
最後の6打と7打は間を詰める。
響流十方とばかりに撞いている。

冬の真っ暗なころと比べると辺りはすっかり明るくなっているが
まだ朝日は昇っていない。
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枕草子の
「春はあけぼの。 やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、
紫だちたる雲の細くたなびきたる。」

を少し味わおうと思って外に出て脊山に目を向ける。
やうやうとは言えないまでも脊山の山際が輝きはじめている。
もう少しで朝日があがる。

境内に戻ってみると既に本堂と鐘楼に光が当たっている。
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辺り一面にはかりが広がる。
さあ、一日が始まる。
by shin0710s | 2011-04-28 11:53 | ことば | Trackback

えびね咲く。

雨の一日であった。
昼休みは我が家で食べる。
雨が降っているのでカメラを使うこともない。
そう思って中庭を見ると
エビネランが咲いている。
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20年ほど前に植えたエビネランである。
草を取ることもなくそのままにしていたので
いつの間にかどんどん少なくなっていた。
今年は中庭の草取りができている。
(近くの方にお願いをしているので)
今まで気づくこともなかった花が一斉に咲いている。
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山間部の学校に勤めた頃、暇な休日に山には入り
このエビネランやシュンランを取ってきていた。
それを我が家の庭に植えていたのだが。
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季節がくるたびに花を咲かせてくれる。
私が見ようと見まいと咲いている。
今年は、雨が降ってくれたのと草取りがしてあったので
その姿を撮ることができた。
せっかく咲いてくれた花である。
一人で見るのはもったいない。
つい、そう思ってしまう。

今日から3日間夜の懇親会が続く。
飲めない私にとってはなかなか大変である。
飲める人にとっても大変なのかもしれないが。
by shin0710s | 2011-04-27 22:23 | | Trackback

小学校へ。

庁舎の中庭に紫色の小さな花が密生している。
風に揺れるのがいかにも春らしくていい。
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本堂の屋根が陽春の光を受けて輝く。
今日は、まさに麗らかな春日和である。
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広報のインタビューで写真を撮りたいと。
写真を撮るのは好きだけど、とられるのは苦手である。
それじゃ、というので小学校の1年生と一緒にとることにした。

小学校へ。新築の校舎である。
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私の通っていたのは50年前。
私が勤めていたのは、20年前。
すっかり様変わりした母校である。

1年生の教室に行くと28人の子どもたちが迎えてくれる。
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私の通っていたころは、4クラスの180人ほど。
私の勤めていたころは、2クラス70人ほど。
それが今では28人。
子どもは宝である。
その宝が減っているのは本当に寂しいもの。

それでも教室にはいると1年生の子どもたち。
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知らないおじいちゃんでちょっと緊張?
子どもたちの動きが楽しい。
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見ていて担任をしていたころを思い出す。
そして、3月に卒園した子どもたちは、どうしているかな、と思ってしまう。

子どもたちと一緒にカメラに収まる。
ありがとう、1年生のみんな。
by shin0710s | 2011-04-26 16:35 | 子ども | Trackback

爽やかな春の一日?

今日は晴天。
空気が乾燥していて気持ちがいい。
空も高いし風も心地いい。
そこでつい
「爽やかな陽射し」とか「爽やかな風」とか
「爽やかな朝」と使ってきた。
爽やかとは、さっぱりして快いこと、気分の晴れ晴れしいことにもともとは使われていたらしい。
ところがこの言葉は本来秋の言葉である。
秋の季語である。
爽涼、爽気、秋爽などの熟語がある。
それでは春は、長閑(のどか)「麗らか」がある。
知らないことは、怖いことである。
春の空気が乾燥してさっぱりしている様子は、
「すがすがしい」などと使うしかないのかもしれない。

ワン公を連れて夕暮れ散歩。
キンポウゲの黄色い花が咲いている。
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キンポウゲは、別名「うまのあしがた」
一番元気なショウは走ったり、飛んだり、はねたり元気いっぱい。
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マーサはしっとり落ち着いて。
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今日は、いい一日だったかな?
by shin0710s | 2011-04-25 19:13 | | Trackback

雨の朝。

朝から雨。
小雨であるが、昨日は晴天だっただけに
肌寒く感じる。
雨の日は、何をするでもなくのんびりと過ごす。
境内を歩く。
もう少しでツツジの見頃である。
紅葉の朱色も美しい。
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昨日は晴天であった。
それだけに本堂の屋根にかかるケヤキの若葉がさわやかであった。
今日は、残念ながら薄ぼんやりとしている。
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by shin0710s | 2011-04-24 20:00 | その他 | Trackback

今日は?お休みです。

朝から雨。
何とも現気づかない日である。
今日は、終日寝て暮らすことにしよう。
2階の窓から。
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by shin0710s | 2011-04-23 19:05 | その他 | Trackback

鞦韆って?

鞦韆院落夜沈沈 (しゅうせんいんらくよるちんちん)
の鞦韆(しゅうせん)が気にかかり調べてみると
春の季語である。

鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし
              三 橋 鷹 女


日本大歳時記で調べると、ブランコは春の季語となっている。
そしてそこで出会ったのが、三橋鷹女のこの歌である。
春の俳句といえば

春の海ひねもすのたりのたりかな
              蕪村


をイメージしていただけに、命令形の俳句にひかれてしまった。
この歌についての解説があった。

鞦韆はぶらんこのこと。ぶらんこともゆさわりともいうが、この句の場合
しゅうせんという音感のほうが、一句を貫いている直情を表現するのに適切だと思う。
ぶらんこは漕ぐほどに空に向かって心身が飛躍して、ますます昂ぶってくる。
女性の愛もゆさぶりつつ与えることが奪うことになるのだと作者はおもう。
「鞦韆は漕ぐべし」は命令形であり、「愛は奪うべし」は、妥協を許さぬ作者の愛への
捨身の献身の在りようでもある。
この身体と心情の対比が一筋の直情につらぬかれて間髪を容れない高揚となっている。
鷹女が五十歳を過ぎてからの作であることを思うとき、女性として妻となり、子を産み、
夫と共に過ごした歳月の果てに、なおこの枯れざる女情の激しさは、
並の女流のものではない。
この一途な直情に身をかけて詠えるのは、女性の作家だけである。(野澤節子)


もう少しこの人の俳句を味わってみたい。

夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり                (向日葵)
この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉              (魚の鰭)
白露や死んでゆく日も帯締めて
老いながら椿となって踊りけり                (白骨)
墜ちてゆく 炎ゆる夕日を股挟み                (羊歯地獄)


さて、今日の一枚は。
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by shin0710s | 2011-04-22 16:54 | | Trackback

春宵一刻値千金?

花の季節である。
少し歩くだけで出会うことができる。
ツツジに。
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小手毬に。
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そしてハナミズキに。
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「春眠暁を覚えず」は孟浩然。
「春宵一刻値千金」は北宋の蘇軾(蘇東坡)。

ワン公を連れての散歩が夜遅くになっている。
懇親会が終わっての時間なので、9時半過ぎ。
吹く夜風は冷たいが、さすがに春の夜である。
どこか暖かで心地いい。
つい何となく頭の隅にある春宵一刻値千金と漢詩を思い出す。
もちろんその先は知らない。

改めて調べてみると、

春宵一刻値千金 (しゅんしょういっこくあたいせんきん)
花有清香月有陰 (はなにせいこうあり、つきにかげあり)
歌管楼台声細細 (かかんろうだいこえさいさい)
鞦韆院落夜沈沈 (しゅうせんいんらくよるちんちん)


歌管=歌と楽器の音。
楼台=高殿。
鞦韆=(女性が遊ぶための)ブランコ。
院落=中庭。
沈沈=日本語で言えば深々でしょう。

という漢詩であった。その訳は

春の夜は、何とすばらしく値打ちがあることか。
花のいい匂いが漂い、月はいい具合に霞んでいる。
高殿から聞こえていた音曲ももうおさまったようだ。
中庭のブランコに今夜は静かに更けていく。

で、ある人の解釈によると・・・・。

…きっと作者は、高殿の宴会から意中の女性を連れて中庭に抜け出したのではないでしょうか?
暑からず寒からず、とてもいい気持ちの春の宵だ。
霞んだ月のおかげで回りからは見られる心配もないし、女の髪の甘い匂いにうっとり。
先ほどまでの宴会も、いつのまにか終ったようだ。
ふたりブランコで寄り添い、愛を語らいながら、ずっとこうしていたいなあ。
・・・・といった気持ちを詠んだのではないかと想像しますが


ということである。ワン公5匹の散歩でこの詩を思い出したけど
ワン公では、あまりに艶がなさ過ぎる。
まあ、ワン公が、本当は昼間が好きだけどといった顔は無視して
散歩できるだけでも喜べ、とばかりにさっさと歩いている私である。
by shin0710s | 2011-04-21 16:27 | ことば | Trackback

ダックス5匹の愛犬と猫2匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


by shin0710s