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私の中のALWAYS 三丁目?

車で移動中は気づかないが
ときおり町中を歩いていると昭和三十年代にタイムスリップ
する。
高度成長期前のまだ世の中が質素?な時代に出会うことがある。
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夜中に腹痛でも起こそうものなら
「医者どんにはよ連れていかにゃん」
とのじいちゃんやばあちゃんの声が響いていた子ども時代。
「医者どん」のおられる病院の趣がありついカメラを向けた。

また、この白壁の家屋になると滅多にお目にかかれない。
暮らすには大変だろうけど。
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やはり、自転車か徒歩が大いなる発見があるようだ。
by shin0710s | 2012-02-29 21:06 | 建物 | Trackback

同窓会案内。

初任の時担任した子どもから同窓会の案内が届く。
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返事を書き送る。

うれしいお便りありがとうございます。
ぜひともと思ったのですが、当日は、本町の中学校卒業式。
残念ながら出席できません。
50歳近くになったみんなに会いたいのですが。
私の中で有一朗は、小学生のままです。
 初任の私にとって、この小学校4年生の学級はその後の教師生活の原点であり
支えとなってきました。
新採教師で未熟だった私をよくぞ当時の保護者が見守ってくれたと感謝しています。
とにかく、楽しかった。よく遊んだと思っています。
子どもたちに上着をはぎ取られ、運動場を走り回った場面が今も残っています。
今も筆無精の私がはじめて担任した子どもたち(?)との賀状だけですが交流が続いています。

6年生の時、長女の誕生祝いに泰造といっしょに鈴蘭台まで来てくれたこと。
運動場で100mを競争し、僅差で私が負けたこと。
お母さんが運動場でビーチバレーをしていたことなど次々に思い浮かびます。
毎日が新鮮だったのでしょうね。

その後も子どもと遊ぶことが子どもを知ることにつながり
信頼関係を醸成してくれると信じて教師生活を続けてきました。
   
市議会議員になったことには、驚きでした
高校から早稲田大学に行き国会議員の秘書をしているとはがきで教えてもらっていましたが…。
そして今は、県議会議員なのですね。すばらしいなあ、と感動しています。
4年生の頃の有一朗を思い出すとき、その片鱗があったような気がします。
とにかく私の目から見たら「お節介」? 
クラスの中で子どもたちが頭をつきあわせて話をしていると必ず
「何、何…。どうしたん?」と首を突っ込んでいっていた姿を思い出します。

私の教師生活の最後は、故郷の母校の中学校で終わりました。
3年前です。その後2年間幼稚園へ。
そして昨年4月から町の教育委員会の仕事をしています。

この町で生まれて良かった、学んで良かったと子どもたちが、
そして保護者が思ってくれるような教育をと思っているところです。
とりとめもないことを書きつづりました。
いつの日か成長した有一朗に会いたいと思っています。
               合 掌   Shinsyo


今あの4年生の「ごんた」達はどう成長しているのだろうか。
by shin0710s | 2012-02-28 21:35 | 学校 | Trackback

梅の花。

境内の紅梅が満開。
そして白梅も。
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百人一首に

人はいさ 心も知らず ふるさとは
花ぞ昔の 香ににほいける
         (紀貫之)


境内には、白梅が3本紅梅が1本ある。
最初に咲き出すのは、紅梅である。
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境内で日当たりがいいためであろいう。
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そしてしばらくして白梅が蕾を開く。
境内の梅であるが、
「桜切るバカ、梅切らぬバカ」
といわれないように枝を下ろしているので
坊主頭の白梅である。
この梅には、大玉の梅が撓わになる。

季節の花を感じ始めたら年をとった証拠である、
と言われたことがある。

そんなことはない、子どものころから野山で遊んでいた。
私たち世代にとって季節の花や季節の木の実は日々の楽しみであった。
味わうというより食べるそして飲むものであった。

梅といえば花の季節を味わっていたか?
と言えば言葉に窮する。

梅は、6月。
「青梅を食べないようにしましょう」
と小学校で先生に言われていたことを思い出す。
水無月の生活目標にもなっていた。
美味しいものではなかったが。
ついぞ花を味わうと言うことはなかった。

どうやら子どものころから三十代のころまであまり季節を
意識していなかったようである。

なかでも二十代までは、春夏秋冬に対抗するかのように体を動かしていた
気がする。暑い日は海へ。川へ。そして山へと。
季節を食べる、あるいは食らうと表現すべき時代であった。

それが、四十代、そして五十代になるに従って移りゆく季節を
自分の体で味わうようになってきた。歩くことによって季節の草花を
味わいだしたようである。
このブログの題を「白秋の黄昏」としたのもその現れである。
季節に逆らうことなく味わいたいとの身体の欲求に
応えたいと私の体が思いだしているに違いない。
確かに梅が咲き出したことに春を感じるがワクワク感はあまりない。
そのまま受け止めようとしている私である。

ひょっとするとことばを知らぬ幼い頃は梅の花そのものを
体全体で味わっていたのかもしれない。
そしてこの年齢になったそのいにしえの記憶が体を動かしているのかも。
by shin0710s | 2012-02-27 19:28 | | Trackback

ああちゃん

 ああちゃん
          八木重吉
 ああちゃん!
 むやみと
 はらっぱをあるきながら
 ああちゃん と
 よんでみた
 こいびとの名でもない
 ははの名でもない
 だれのでもない


学生時代、好きだった歌である。
ふと思い出していた。
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by shin0710s | 2012-02-26 21:49 | ことば | Trackback

幼稚園へ。

今日は幼稚園の生活発表会。
子どもたちにあえると思うとうれしくなる。
昨日も陣中見舞い(?)に行ったところサクラの居残りさんが
飛びついてきてくれた。
これが何よりもうれしい。
幼稚園にいたんだ、先生だったんだと。

さて、発表の様子は?
さくら組にカメラが向くのは仕方がない。一年間一緒に過ごした子どもたちである。
それにしても前を向いて並んでいる。
成長している、成長している。
よし、よし、いいぞ。
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サクラの出し物は?
これは何かな?
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いつものようについ一人の表情を追ってしまう。
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男の子は、相変わらず剣をもっている。
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なりきりの世界。
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お姫様?
少し前までおしめ様だったのに?
後二月したら一年生である。
可愛いなぁ。
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やはり見ていて飽きることがない。
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ガリバーの冒険?
子どもたちの表情に自信が見える。
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何よりうれしかったのは、保護者の出し物。「さくらママin Chapel」
と銘打っての出し物。
ベルも良かった。
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Hail Holy Queen が良かった。
よくぞここまでと思った。
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相変わらずの泣きべそ保護者もいるけど、ここに至るまでいろんな事が
あったに違いない。
でも、本当に良かったし、うれしかった。

最後は、サクラ太鼓。
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サクラ太鼓を見るのは、10年以上前を含めて今日で5回目。
子どもたちの確かな成長を見ることが出来る。
良さを認め、ほめ、はげまし、鍛え、そしてのばす。
その姿である。
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子どもたちへ、
うれしい時間だったよ。
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今度は、卒園式。
きっと私の涙が出るだろうな。
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by shin0710s | 2012-02-25 23:13 | Trackback

春らしい日?

暖かな一日であった。
気温は17度。
睡魔が襲う。やっと春である。
紅梅が一斉に蕾を開く。
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待ち遠しかったよ。
の声が聞こえてくるような気がする。

そしてワン公たちも太陽の日射しを浴びて
心地よさそうである。
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さあ、並んで並んでー。
せっかくのお日様だ。記念写真だぞ。
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こっちむいてー。
春の匂いがするんだって。
どこだ、どこだ?
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私、鼻が利かないの。
さくら、いじけ中。
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コウメファミリーは落ち着かない。
早く行こうよ、散歩に。
分かった、分かった、だから記念写真を。
by shin0710s | 2012-02-24 22:35 | ワン公 | Trackback

走る。

中学校3年生は、入学試験中。
部活動は、2年生1年生が中心になっている。
5時40分。
中学校陸上部がロード練習中。
先頭を走るのは?
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顧問の先生。
やっぱりいい。
今出来ることに全力を出し切っている。
こうやって子どもを引っ張っていた頃を思い出す。
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頑張れー。
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by shin0710s | 2012-02-23 21:06 | 学校 | Trackback

遠い日。

子どもの声がする。お隣の小学生が登校している。
我が家のダックスが吠える。
毎日の風景である。
私の村から小学校まで2.5kmほど。
子どもの足で40~50分。
朝は始業に間に合うように道草を食うことなく早足で歩いていく。
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下校時となるとそうは行かない。
校門を出てにぎやかな町中を帰って行くのである。
まして私の子どものころは、我が町はにぎやかであった。
映画館があった。写真館があった。自転車屋もショウケ屋もあった。
桶屋や鍛冶屋もあった。駄菓子屋、八百屋、和菓子屋も。
鉄道も通っており駅もあり、その近くには遊郭さえあった。
町中は数多くの店が軒を並べており下校の時間は飽きることがなかった。

この町中をぬけると私の村まで用水路と並んで田舎道が続いている。
春は麦畑からひばりが空高く飛び立ち鳴き声をあげる。
梅雨のころは用水路を満々と水が流れていた。
その用水路で何を間違えたか、鮎が捕れることさえあった。
ただ小学生にとって町中とは異なり退屈きわまりない長い道のりであった。

確か小学校2年生の時のことである。
戦後のベビーブームで2年生は4クラスあった。
担任の先生は、家の前のサイ先生。女の先生である。当時30歳くらいだったろうか。
村には、同級生が8人ほどいたが同じクラスにはユー子ちゃんのみであった。
この頃の授業のことは何一つ思い出せない。サイ先生が小学校の近くの
小川に連れて行き、メダカやらを捕ったことを断片的に思い出すくらいである。
ただ一つ忘れようにも忘れることのできないことがある。

あれは初秋のころであったろうか。
同じクラスのユー子ちゃんが休んだ。

当時は、今とずいぶん異なり何が楽しく喜びかといえば、
給食である。脱脂粉乳がまずかったと聞くことがあるが私にとっては
本当においしいミルクであった。
甘いものに飢えていた時代である。
パンはおいしい、牛乳はうまい。
おかずは、人参や椎茸が嫌いな私であったがどんなおかずでも
おいしかった。
中でも待ち遠しかったのは、ぜんざいである。学期に1回か2回であった。

とにかく給食は学校で最大の喜びの時間であった。
その日ユー子ちゃんは欠席。
そこでおかずとミルクはみんなで分ける。
パンとマーガリンは?
近くに住む子が持って行くことになっていた。
今は食の安全から家に持って帰ることは禁じられているが。
当然私がパンとミルクの配達人である。

学校が終わり家に向かう。ランドセルにはパンとマーガリンが入っている。
町中は、興味津々の世界。
そして友だちもたくさん一緒に帰る。

ところが町から外れると行き交う人もいない田舎の一本道。
それに給食を食べて3時間ほどたっている。
お腹はすいてきた。
ランドセルの中にはパンとマーガリン。
もう我慢できない私である。それでもかなりの葛藤があった。
そして一口かじり、また一口。
マーガリンをつけたコッペパンのおいしかったこと。
食べ終わるのにそう時間はかからなかった。

その後、家に帰る足取りの重いこと。
母には何も言えずそのままにしていた。
次の日、学校に行きたくなかった。
腹が痛くなれ、腹が痛くなれ、と思っても
日頃から健康そのものの私である。
腹痛など起こるはずもない。

朝の会でサイ先生から
「昨日は、お疲れ様。ユー子さんにパンを届けてくれたんでしょう」
私は、どきどきしながら答えた。
「パンな、家にある。もっていくとば忘れました。」
「今日持って行きます。」

どんな言葉のやりとりがあったかはあまり覚えていない。
ただ、確かにユー子ちゃんの家にパンを買って届けている。

次の日、ユー子ちゃんが先生に、
「マーガリンがありませんでした」
といったらしく、サイ先生から
「マーガリンはどうしたの?」
と尋ねられたようである。

私が思い出すのは、5円玉を握ってマーガリンを買ったこと。
そのマーガリンは、給食のものより一回り大きかったこと。

そして、そのマーガリンもユー子ちゃんの家に届けているはずである。
そのあたりのことは思い出せない。
黙って食べたことや店で買って届けたことなどは私だけの秘密になっている。

当時5円や10円は子どもにとって大金であった。
一体どうやってそのお金を手に入れたのだろう。
たぶん本堂のお賽銭を…

半世紀以上も昔のことである。
パンを食べるたび、バーターを塗るたびに思い出す
by shin0710s | 2012-02-22 22:06 | 子ども | Trackback

東風吹かず。

今年は梅だよりが遅れている。
温かさに雪が雨に変わり氷が溶け始めるころである
雨水を過ぎているのだが。
我が家の梅の花もなかなか蕾を開いてくれない。
それでも、ルランは香りを楽しみに(?)梅の木に登る。
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例年ならばもう満開のころである。
今年は寒さが厳しく乾燥した日が続いているので
開花が遅れているとニュースでいっていた。
水戸の梅祭りも花が咲かないことにはお祭りにならないらしい。
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それにしても私たちの生活が季節と共にあることを
二十四節気の言葉でよく分かる。

さて次の節気は啓蟄である。
今年は三月五日。
その頃には梅だよりも終わっているだろう。
by shin0710s | 2012-02-21 21:38 | | Trackback

ひな祭り。

2月も中旬を過ぎると各地から「雛祭り」の便りが届く。
またそれぞれの家庭において雛飾りがなされている。
昨年は幼稚園でひな人形を飾りお茶会を催していた。
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二十四節気の一つの節目に娘の安穏を願う親の気持ちと相まって
雛祭りが盛んになってきたのだろう。
そして日本人の美意識が今のひな人形の姿となってきたに違いない。
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三人娘を育てたが、我が家にはお雛様はない。
雛祭りの始まりは、「流し雛」であると聞いていたので、私の中の
宗教観がひな人形を飾ることに対して抵抗感があった。
流し雛は人形(かたしろ)で自分の体をなでそれを川は海などに流して
穢れを祓う風習である。
穢を祓う。この災厄祓いを受け止めることができなかった。

真宗の教えは、このような習俗に対してきわめて厳しい。我が娘の健やかな成長
を願う素朴な思いも許されぬこととしてとらえていた私である。
ひな人形を飾らなくても本堂に行けば、ありがたい阿弥陀様に会えると…
人は願いを持たずには生きられない存在である。その願うことすら、
煩悩のなせるわざととらえる真宗の教えてある。

素朴な親の我が子への思いはそのまま受け止めていいのではないか…と思う
ことができるようになったのは、50歳を超えてである。

そんな中で最初に足を運んだのは、八女の「ぼんぼり祭り」である。
それぞれの家にあるひな人形を飾ってあった。
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「これはお母さんの…、そしてこれはおばあちゃんの…」
と語ってくれたことを思い出す。
それぞれの家庭で我が子や我が孫を慈しみ育ててこられた思いが
そのひな人形に込められている。
人々の素朴な思いに寄り添うこともまた真宗の教えである。

今年もまた各地の雛祭りに出かけることになるだろう。
by shin0710s | 2012-02-20 18:59 | 真宗 | Trackback

ダックス5匹の愛犬と猫2匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


by shin0710s