<   2018年 10月 ( 31 )   > この月の画像一覧

人吉インタチェンジから国道445号線約45分。
五木村に入る。
人口約1100人。
小さな村である。
その中心地にこのヒストリアテラス五木谷がある。


e0056537_19303237.jpg

真新しい建物でつい中に入りたくなる。


e0056537_19303210.jpg
案内には、

この館は、五木村の民俗や歴史をわかりやすく展示、紹介し五木村に伝えられてきた山村文化のすばらしさを訪れるお客さまにじっくり見ていただける施設となっております。

 

e0056537_19303370.jpg

体感してください、日本のくらしの原点を。
 いつの時代も、五木村のくらしは自然とともにありました。山や川から本当に必要なものだけを受け取り、神や仏を信じ、伝統を重んじながら営まれてきた五木村のくらし…。



e0056537_19303336.jpg


e0056537_19303330.jpg


e0056537_19303360.jpg


と記してある。中に入ると村の歴史、暮らし、その暮らしの中での喜びや苦労を見ることが出来る。
外に出ると空が狭い。
山が目の前に広がっている。


e0056537_19303227.jpg


そこは、紅葉の季節である。



e0056537_19303253.jpg



by shin0710s | 2018-10-31 19:36 | | Trackback

美は細部に宿る?

研修二日目は、まず人吉青井阿蘇神社へ。


e0056537_19415956.jpg


楼門をくぐり、拝殿へ。



e0056537_19420774.jpg

青井阿蘇神社は、
大同元年(806年)9月9日に阿蘇神社の神主尾方権助大神惟基が神託により
阿蘇神社から阿蘇三社の分霊を当地球磨郡青井郷に祀ったのに始まると伝える。
その後天喜年中(11世紀中半)に再興され、建久9年(1198年)に領主として藤原(相良)長頼が当地へ
下向した際にも再営して自家の氏神として尊崇、神領216石を寄進する等相良家歴代の篤い崇敬を受け、
延徳3年(1491年)の同為続による社殿造営を始めとする数度の社殿の造営、修造が行われた。



e0056537_19421471.jpg

楼門や拝殿そして本殿の細部を見るといろいろな発見がある。



e0056537_19450456.jpg

e0056537_19445920.jpg

e0056537_19450802.jpg

その造形の美しさに魅了される。


e0056537_19461748.jpg

e0056537_19462677.jpg

紅葉の季節になってきたので木々との重なりもまた面白い。



e0056537_19464158.jpg

e0056537_19463585.jpg


境内の朱色の鳥居もこれまた見ていて楽しくなる。



e0056537_19485363.jpg

e0056537_19485847.jpg

30分余り散策し次の研修地へ向かう。



by shin0710s | 2018-10-30 19:49 | 神社 | Trackback
大きな地下秘密基地である。



e0056537_21511794.jpeg

本日は、研修で錦町に新しくできたひみつ基地ミュージアムへ。


e0056537_21525274.jpeg

人吉海軍航空基地がここにあった。


e0056537_21554949.jpeg

係員の丁寧な説明を聞きなぜこの場所に海軍基地があったのか
わかったような気がする。


その飛行場の後の説明を聞く。


e0056537_21580733.jpeg

e0056537_21583621.jpeg
そして地下魚雷調整場へ。
1本の壕が幅5m、高さ5m、長さ45m 総延長233,6mもあるという。


e0056537_22031523.jpeg
e0056537_22043478.jpeg

天井や壁に掘り跡が残っている。
そしてそこには、コウモリ、ゲジゲジが。


e0056537_22055084.jpeg

e0056537_22061407.jpeg

とにかく現存する地下施設の中でも最も大きなものらしい。


e0056537_22075399.jpeg

なかなか興味深い施設である。

冊子には
その想いを、時が伝える。
と記してある。
この地下施設を含む人吉海軍航空基地から何を学び、いまに生かしていくかそれが求められているのだろう。


by shin0710s | 2018-10-29 22:11 | | Trackback
少し運動不足かな?
そこで今日は、隣町の城山(じょううんやま)にある金刀比羅さんへ。
お供はチョコ太。
こちらもダイエットが必要なワン公。


e0056537_19572607.jpg

15分ほどあれば山頂に着く。
風がとても心地よい。


e0056537_19573271.jpg

チョコ太、疲れたかな?
疲れるはずもない元気なワン公である。



e0056537_20021604.jpg


祠堂が出来たのは昭和44年。50年ほど昔である。



e0056537_19573765.jpg


e0056537_19574166.jpg

この祠堂からの眺望がすばらしい。
緑川の曲がりくねった流れ、

e0056537_20074376.jpg

甲佐町の広がり、そして遠く飯田山を望むことが出来る。


e0056537_20083708.jpg


e0056537_20093100.jpg



そして甲佐岳の雄姿。



e0056537_20162608.jpg



e0056537_20163655.jpg


さて我が家は?
今日はよく見える。お寺の屋根が光っている。




e0056537_20190158.jpg


整備されたころは、乗越の駅、仰天岩、タヌキのお宿、思案岩、しづまりの駅等の案内板
があったそうだが今は残っていない。

by shin0710s | 2018-10-28 20:22 | | Trackback

長谷川利行展へ。

晴天となった。
北風が少し吹いているのが心地いい。

本日は長谷川利行展へ。


e0056537_20115420.jpg

パンフレットには利行について


e0056537_20120190.jpg

「リコウ」の愛称でも親しまれている長谷川利行(1891-1940、はせかわ としゆき)は、30歳頃に上京して画家を志すと、1936年に二科展で樗牛賞を受賞するなど、一気に画家としての才能を開花させました。しかし、生来の放浪癖から次第に生活は破綻していきます。1940年に三河島の路上で倒れ、板橋の養老院に収容、同年の内に知友の誰にも看取られることなく49歳の生涯を閉じました。

震災から復興する東京に暮らし、遊園地やプールといったモダンな建築物、カフェの女給や子どもなど市井の人を、素早く力強いタッチで描いた利行。約20年ぶりの大回顧展となる本展では、新発見の大作《白い背景の人物》や、隅田川公園に建設されたプールを題材とした《水泳場》といった、油彩画のほか、水彩画やガラス絵など約140点の作品によって、長谷川利行の全貌に迫ります。


と記してある。寡聞にして長谷川利行について何も知らなかった。その絵のタッチが大胆かつ繊細である。また色彩は明るいが、全体から受ける印象は暗い。

e0056537_20154060.png


e0056537_20153011.jpg

その絵のタッチが大胆かつ繊細である。また色彩は明るいが、全体から受ける印象は暗い。
それでも確かに引き付ける何かがある。このような画家がいたことを知っただけでも満足である。


外は秋色に染まっている。

e0056537_20231219.jpg



e0056537_20230621.jpg

菊花展も行われている。


e0056537_20231787.jpg


e0056537_20232072.jpg


by shin0710s | 2018-10-27 20:28 | その他 | Trackback

この花は?

昨日隣町の公園に行く途中白い花が目に留まる。
サクラの花?


e0056537_17484696.jpg

季節外れの花らしくなんともはかなげである。


e0056537_17484798.jpg


葉はサクラのようなので、狂い咲きの桜か。


e0056537_17484603.jpg

時を間違えて咲く花の弱々しさに、つい手を差し伸べたくなる。
あたりの木々は紅葉する間もなく葉を落としている。

花のない雑木林なので応援したくなる。


e0056537_17484664.jpg


by shin0710s | 2018-10-26 17:52 | | Trackback

美里町の風呂橋へ

美里町の風呂橋へ。
熊本地震以来なかなか文化財まで手が回らない。
この風呂橋も多分そうであろう。

e0056537_20345217.jpg

案内板でこの水路眼鏡橋について学ぶ。


e0056537_20345278.jpg

e0056537_20345257.jpg

県内では通潤橋(大都町)や雄亀滝橋(美里町)などが知られているが、
江戸期に架けられた水路眼鏡橋は珍しく、現存しているものは数が少なく
貴重な石橋である。

橋の上を水路が走っている。



e0056537_20345263.jpg

e0056537_20345383.jpg



江戸後期、萱野村(現大字萱野)の干害対策のため、中山手永第11代惣庄屋・内田太右衛門(1810~1820年在勤)により
文政二(1819)年、瀬戸山方面から権現山を廻り約1500間(約3km)の用水路が開さくされました。
その後、水漏れがひどくなり、明治40(1907)から、貫井手(用水トンネル)の開さくを始め、同42(1909)年7月に完成しました。
貫井手は約160m、風呂橋(水路橋)の長さは10mです。


草が生い茂り、この橋にいたる道も通りにくい。
ちょっとこの状況は、寂しいものである。

by shin0710s | 2018-10-25 20:40 | 遺跡 | Trackback

これ私のだから。

おばあちゃんワン公のコウメ。
柿が大好き。
今日も熟した柿をむしゃむしゃ食べている。


e0056537_16062252.jpg


もう一つ柿食べるか?
やったー、とばかりに口にくわえて我が家へ向かう。



e0056537_16063063.jpg

境内を歩く。
おばあちゃんワン公にはちょっと辛いかな。
それでも口から離さずに。



e0056537_16062961.jpg


誰にもやらんばい。



e0056537_16062944.jpg


大きな柿なので途中で休憩。



e0056537_16092643.jpg


そしてまたやっせやっせと歩く。



e0056537_16092693.jpg



e0056537_16092604.jpg

大好きな柿、私のだもん。
誰にもやらんとだけんね。





by shin0710s | 2018-10-24 16:10 | ワン公 | Trackback

手抜きの日

小雨が降っている。
ワン公の散歩も中止。
家の中で「なんかくれー」と叫んでいる。



e0056537_15503668.jpg

ショウは手持無沙汰。


e0056537_15503980.jpg

本当は外に出たいのだけどね。

雨が降っているので今日はお休みだよ。



e0056537_15534748.jpg



by shin0710s | 2018-10-23 15:54 | その他 | Trackback

廓然無聖

本堂のご本尊が安置してある須弥壇の後ろに一幅の書画ある。
勤行の折、あるいは掃除の折その書画を子どものころから眺めてきた。
子どもの頃はその目が怖くてできるだけ目を合わせないようにしてきた。
達磨さんのようだけど…
父に尋ねることもなく過ごしてきた。
どうして達磨さんの書画がここにあるのかわからないままである。



e0056537_14452556.jpg




書画の讃が何と書いてあるか読めないままになっていた。
今回改めて、この書画に対してみた。

郭然無聖(かくねんむしょう)と記してある。
その意味は、
帝曰く「如何なるか是、真の功徳」と。師曰く「浄智妙円にして、体自ずから空寂なり。
是の如くの功徳、世を以て求めず」と。
帝、又、問う「如何なるか是、聖諦第一義諦」と。師曰く「廓然無聖」と。 
     『正法眼蔵』「行持(下)」巻

武帝が「私は長くお寺を作りお経を写させ僧を育ててきたが、どんな功徳があるのか?」
達磨が「功徳などありません」と答え、
さらに武帝が「それならば仏教の大切な真理とは何か」と聞くと、
達磨が「廓然無聖」と答えたという。
この言葉は、禅宗の初祖菩提達磨大師の言葉で、悟りの境地を一言で表わした語として知られる。
「廓然無聖」とは台風一過の青い空のように晴れやかでさわやかな境地であるそこには汚れた迷いや煩悩はひとかけらも無い、
そればかりか尊い悟りさえない。
そこはあらゆる言葉を絶した絶対的無一物の世界だ。
山川草木・花鳥風月は皆 今もその世界で生き生きといのちを輝かせている。

真宗のお寺に、禅宗の始祖、達磨大師の言葉が掲げてある。
先々代住職か、その前の住職かはわからないが、この「廓然無聖」の言葉に真宗の教えに通じるものを感じたのかもしれない。
少し破れ、シミも出ているが改めてこの「廓然無聖」の意味と達磨大師の書画を見つめている。

by shin0710s | 2018-10-22 14:46 | ことば | Trackback

ビーグル1匹、ダックス5匹の愛犬と猫2匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


by shin0710s