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朝から大雨洪水警報が発令。
緑川も増水している。

終日雨となり、今後も注意が必要となっている。


ワン公はお休み中。
眠い目をこすりながら。


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もうすこし本町の遺跡紹介を。

竜野川沿いの山手に神社はある。


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参道の石段を上ると辛崎神社がある。


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境内には、観音様と五輪の塔の一部であろうか苔むしている。




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…辛崎神社というのがある。このカラというのは、唐か辛のどちらかを書くらしい。
その辛崎神社の総本社というのは滋賀県だという話ですが、
それがどういう関係なのかはまだわかっていない」と述べている。(本田豊)
806年(大同元年)に滋賀県の俘囚を福岡県の太宰府に移配したという記録があり、
福岡県を経由して熊本県に移住した可能性が疑われる。
福岡県福岡市東区にある志賀海神社との関係も指摘されている。
先祖が滋賀県から来たという伝承は、
八代市や上益城郡嘉島町にあり、河原巻物にもあるとする。

祭日は 10月9日

by shin0710s | 2019-06-30 16:33 | 神社 | Trackback

中横田の若一王神社へ

中横田中尾に若一王神社がある。




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石段を上ると小高い丘の中腹に大小の杉に覆われた薄暗い境内に出る。




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手水鉢が目に付く。大正9年7月竜野村中横田の日隈暁氏が奉納したものである。
社殿の前に石灯篭一対と石柱一対が立ち並んでいる。




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若一王子(にゃくいちおうじ)は、神仏習合の神である。若王子(にゃくおうじ)ともいう。
熊野三山に祀られる熊野十二所権現は三所権現・五所王子・四所明神に分けられ、若一王子は五所王子の第一位である。
若一王子の本地仏は十一面観音で、天照大神あるいは瓊々杵尊と同一視された。
熊野本宮大社・熊野速玉大社では第4殿、熊野那智大社では第5殿に祀られる
(いずれも、現在は「若宮」と称し、天照大神のこととしている)。
熊野信仰が日本各地に広まるにつれ、熊野権現が各地に勧請されたが、若一王子のみを勧請する場合も多かった。
神仏分離に伴い、「若一王子」を天照大神や瓊々杵尊に変えた所も多いが、
従前のまま「若一王子」として祀っている神社もある。


祭日
11月15日。
中横田の6集落が当番で宮座をつとめる。



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眠いなあ、おやすみなさい。



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by shin0710s | 2019-06-29 17:27 | 神社 | Trackback

中尾の釈迦如来さん

中尾の本田進さんの屋敷に釈迦如来像がある。
木造瓦葺きの立派な釈迦堂である。



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堂の奥に、右手で天をさし、左手で地面をさした釈迦如来立像が祭ってある。
「台座30cm,総身高140cm)



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堂守の本田さんの話によると
「目野山麓の寺坊屋敷から現在地に明治26年頃移ってきたらしい」とのこと。




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中横田の中尾に釈迦堂があり、中には「お釈迦さん」と呼ばれる高さ145cmの釈迦如来立像が祭らいる。
このように大きな釈迦如来立像は、甲佐町でも珍しいものである。村の人たちの熱い信仰に支えられ、大切に祭られてきた。
元々、この堂は隣接する目野の釈迦堂山にあり、本尊として釈迦が祭られていた。釈迦堂建造とその移転・修理などは数百年前と伝えられている。
かつて、目野の里には多くの寺社があり栄えていたが、約400年前、キリシタン大名で宇土城主の小西行長によって焼き払われたと伝えられている。
現在、目野には薬師堂だけが残っている。


祭日 
2月15日 
各家庭でまんじゅうを作ってお釈迦様に備え、後は子どもたちが自由に食べる習わしがあった。

4月8日
村中でお釈迦様の誕生を祝って御神酒を仏様に供え、
手料理を持ち寄り御神酒を酌み交わし夜遅くまで談笑していた。



なんか退屈。
遊んでくれないかなあ。


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by shin0710s | 2019-06-28 20:36 | 遺跡 | Trackback
久しぶりに丁寧に読んだ本である。

「仏教抹殺」なぜ明治維新は寺院を破壊したのか 鵜飼秀德著

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書評に同感するものが多かった。



明治初期の薩摩藩の徹底的な廃仏毀釈に興味があり、以前鹿児島出身の人に尋ねてみたところ「知らない」とのことだった。
その時はその人が歴史に興味がない為かと思っていたが、この本で鹿児島に廃仏毀釈の史料は残っておらず、
仏教由来の国宝や重文もゼロ、県の文化財関連予算の規模も小さく公的調査や復元の妨げとなっているそう。
鹿児島では廃仏毀釈はなかったことのように扱われているという事実。
この時代に日本では数多くの仏像が破壊され、また海外に流出していった。
現代の私たちが天平の仏像を拝観できるのがどんなに奇跡的なことであるか。



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僧侶の著者が明治期の廃仏毀釈について調査。被害の大きい鹿児島、松本などの他、伊勢、東京、奈良、京都での実態を丹念に追い、
とても興味深かった。廃仏毀釈は明治政府主導で進められたと思っていたが、必ずしもそうではない。
神仏分離令に対し、旧藩主の忖度、権威的な僧侶への恨み等から、一部地域で苛烈な運動が起こった。
その惨状を伝えつつ、堕落した仏教への綱紀粛正でもあったと捉える著者の真摯な視点が印象的。
新しいイデオロギーが必要だったにせよ、古来から続く信仰・文化を踏みにじる蛮行の数々には、人の醜さを感じずにいられない。






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この本は面白い。明治維新での廃仏毀釈の活動は教科書でも知られているが、なぜそれが起きたのか、
またどこでその活動は顕著だったのかをこの本で詳しく知ることができた。
廃仏毀釈の要因は筆者によると、主に4つあげられる。➀権力者の忖度 ➁富国策のための寺院利用 ③熱しやすく冷めやすい日本人の民族性
④僧侶の堕落 神仏分離令からの拡大解釈によって、多くの貴重な文化財がこの世から消えてしまった。
本当にもったいなく残念な出来事だがこの愚行からも学ばなければならない。日本の仏教は長く神仏習合であった。それが自然の姿ではないか。


by shin0710s | 2019-06-27 19:01 | 読書 | Trackback
車を動かそうとしたらエンジンはかかるものの
Dレンジに入らない。
当然動かない。

確かにトランスミッションに違和感を感じていた。
車の状況がよくなかった。

そして今日はついに動かなくなった。
本社に連絡を入れたところ、持ってきてほしいとのこと。

そこでJFAに連絡。
車を取りに来てくれることになった。

ところがあいにくの雨。
大変だろうな、と申し訳ない気持ち。



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そして本社まで搬送となる。



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しばらく預かることになるとのこと。

どれくらいか?
1週間から10日間くらいみておいてください、
不便この上ないけれど仕方ないか。

by shin0710s | 2019-06-26 17:24 | その他 | Trackback

右巻きそれとも左?

河川敷に咲いているネジバナ。


捩花はねぢれて咲いて素直なり
          (青柳志解樹)

との俳句があった。

ラン科の多年草。
六、七月ごろ、茎上にねじれた穂をなして多数の紅色の花が咲く。




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by shin0710s | 2019-06-25 20:05 | | Trackback

宮之尾観音さん

宮之尾橋から坂道を登り右に曲がると一段高いところに
宮之尾観音堂がある。



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木造瓦葺きで南向きに建てられており、
間口3ⅿ 奥行4ⅿの大きさである。




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堂内の本尊は、木造観音菩薩立像(約30㎝)。
地元では、「馬頭観音さん」と呼ばれている。


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馬頭観音かどうかは確かではないようである。




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近くの人の話では、
「私の子どもの頃(昭和13年)お堂の欄間に長さ50㎝ 高さ30㎝余りの板に
白毛馬と栗毛馬が天に向かって躍動している姿を彫った飾り絵馬が奉納してあったのを覚えている。絵馬を刻んだのは、宮澄高平さんでないかと思う。」
と話をされた。

仏堂の絵馬については、どこにあるか不明である。
明治30年代火災が起こり家々はことごとく燃え尽き、観音堂だけが残ったと言い伝えられている。



祭礼日は、1月18日 7月10日
この日の初飯は、各家のもと帰り、仏様に供えるという。
お堂の棟札には、住王舎城修 南無妙法蓮華経 と書いてある。


by shin0710s | 2019-06-24 19:50 | 遺跡 | Trackback

遠い日

6月15日は、父の日であった。
教の朝日俳壇の俳句から。


父の日や樺美智子の父遠し
             (久慈市) 和城 弘志


1960年6月15日、安保反対のシュプレヒコールが国会を包囲する中、
デモ隊と機動隊との激しい衝突で1人の女子学生がその若い命を失った。
東大文学部生・樺美智子。

当時私は、まだ12歳。
60年安保、70年安保も歴史の一齣になっているのだろうか。


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by shin0710s | 2019-06-23 22:11 | ことば | Trackback
「人間の特徴の一つにあげることができるのは、他の動物と違って、
人間は年をとれば年をとるほど美しくなれるというのが人間の特徴ですね。」
       
                     金子大栄

他の動物は若い頃のほうが美しい。



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人間も同じではあるが、しかし他の動物と少し違う。
しかし他の動物と少し違う。どこが違うかというと、年をとるほど美しくなれる。
美しくなれるということは、往生するということなのだと思う。
やはり一刻一刻年をとったということが、中味になって新しい自分に生まれかわっていく。
そしてやがて往生を遂げ、生命の終わる時をもって、一番美しくなれる。
それが仏になる。成仏と。そうしますと新人には中味がある。
中味は生活である。
その生活は往生を遂げるという生活である。



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by shin0710s | 2019-06-22 19:40 | ことば | Trackback

今日は夏至。

現職のころからの仲間である。
今日は、その仲間の例会。
三人会とか眺世会とか呼びならわしている。


同年代で同じ教職の道を歩んできている。
退職して10年余り。

課題を持ち寄って語り合うのではないが、楽しい時間を過ごすことが出来る。
また、帰るときは心なしか元気になっている。

古稀を超えているので当然健康が一番の話題になる。
そして時事、教育、終活などが次々に出てくる。

答えを求めているわけではない。
三人で議論し結論を求めるわけではない。

「そうそう、同じ考えだ」
「うん、ちょっと違うかな」
「なるほど、そう考えることが出来るんだ」
「早速、そのやり方を取り入れてみよう」
と私の中で普段使わない脳みそがフル回転している。

このような時間を持てることに感謝している。




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畦道のあちこちにセンダンの苗木が伸びてきている。
この生命力と繁殖力に驚く。

さて今日は、夏至。
三人で語り合いを終えて、次の俳句に同感する。

老人に時の速さの夏至きたる  
         蓮田照子

by shin0710s | 2019-06-21 19:57 | その他 | Trackback

ダックス5匹の愛犬と猫2匹の動物たち。周囲約7kmの世界で見聞したことを日記風に書いています。


by shin0710s